web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後2時半。連弾兄妹。

◇息子のピアノのテキストには、鍵盤の上に2本足で立った動物たちのイラストがあしらわれている。それを見た娘が、ピアノを足で弾こうとする。

◇もう少しで1歳半になる娘は、人の真似が楽しくてしょうがない。特に両親よりも年の近い兄の方を真似したがる。息子が鍵盤に触れると、すぐに妹もそこに寄ってきて短い腕を必死に伸ばす。息子はそのことを練習しない理由にしたいのだが、言い方が悪かったために妻に叱られた。泣いて隣室の布団にダイブしにいくと、妹も兄を追いかけ、大喜びで布団にダイブした。

◇娘はもう言葉自体は大分わかっていて、発音はまだできなくても、こちらとのコミュニケーションは大分スムーズ。発音も「うん」という軽い同意程度なら可能だし、このあいだは語尾だけ「ねー」と同調することを覚えていた。

◇5月は『バンコクナイツ』と、そこに至る空族サーガをいくつか観た。ゴーギャンの『私たちはどこからきたのか、何ものなのか、どこへ行くのか』の映画化だと思って問題ないと思う。サウダーヂで田我流が演じた極右ラッパーも、国道20号線に出てくるやつらも、どこにいようとみんな「異邦人」だった。
 しかしそれにしても、バンコクナイツの音楽の良さには参った。エムレコードから出ているLPを思わずいくつか買ってしまった。ミュージカル映画とまでは言わないけれど、音楽と映像が依存し合う関係で結びついている。

アラザル同人の杉森さんに誘われて、スタジオでセッションしてきた。スタジオに入ったのはおそらく10年ぶりくらいだと思う。もちろんジャズセッションの経験もないし、フリースタイルもまだまだ続かない。なので、とりあえずいくらかリリックを書いて参加。おっかなびっくりだけれども、基本的なセッションのフォームも教わりつつ、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごした。みんな演奏うまい。

是枝裕和『海街ダイアリー』。
 親に捨てられた子供たちの生活を描くという意味では、『誰も知らない』の美人姉妹バージョンと考えていい。『誰も知らない』にも植物を育てるという日常の所作によって、兄弟たちの日常を肯定する素晴らしいシーンがあるけれども、『海街ダイアリー』はそれをさらに広げていて、限りなくやさしい映画だった。
 やさしさには、常に覚悟と決意が伴う。覚悟や決意なく人にやさしくすることは甘やかしであり、同時に自分自身への甘えでもある。海街ダイアリーが映すのはまさに甘えとは異なるやさしさで、それはおそらく人に期待することの残酷さも、人に受け入れられることの厳しさも、充分理解した上に表れる態度であるように見えた。

◇WAR『Why Can't We Be Friend?』

「I seen you walkin' down in Chinatown. I called you but you could not look around. Why can't we be friends?」

ミュージックマガジン6月号『日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100』に参加。同時にgogonyanta氏の『リスナーが選ぶ日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100』にも参加。ともにベスト30を選んで、同じランキングを提出した。
 ミュージックマガジンの方では25位いとうせいこう『MESS/AGE』、38位LowPass『Mirrorz』、47位スチャダラパー『WILD FANCY ALLIANCE』についてのレビューを、gogonyanta氏の企画の方ではベスト100にランクインした作品についてはすべてコメントしてある。
 個人のブログの方では、自分が選んだ30作品とそれに対する全コメントをメモしておく。一応、ミュージックマガジンのやつとは別の原稿になってます。

日本のヒップホップ・アルバム・ベスト30。2017年:安東三提出バージョン。


1.ALPHABETS『なれのはてな
日本語ラップがすごいことになった!」と思ったら、すごいのはアルファベッツで、その後のヒップホップアーティストへの影響がちょっとよくわからない。しかしとはいえ、この路線を突然変異と捉えてしまうのはやっぱりもったいなくて、ここからの枝葉はまだどんどん伸びていく余地があるんじゃないか。そんなことを期待したくなる名盤。


2.スチャダラパー『WILD FANCY ALLIANCE』
宮台真治『終わりなき日常を生きろ』は95年だけれども、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件よりも前の段階で「終わりなき日常」を主張したのはこのアルバムだった。というのは後付けだけれども、でも実際そうとしか思えない。そこにはある種の覚悟としての「まったり」があるわけで、『彼方からの手紙』にはその決意に至るまでの道程が読み取れる。「川」が何を指しているのかを考えてみれば、彼らの論理と倫理が明確になるだろう。ちなみに、サンプリング元ネタのジョージ・ベンソン『ブリージン』は、中原昌也の小説『誰が見ても人でなし』にも使用さえていて、そういえばこの短編を収めている書籍タイトルは『ニートピア2010』だったこともメモしておく。


3.GEISHA GIRLS『THE GEISHA GIRLS SHOW 〜炎のおっさんアワー〜』
ゲイシャガールズなんか入れんな!と怒られてもいいからランキングに入れたかった。松本人志がラップをやろうと思った理由とかは色々調べているけれど、いずれにせよ日本のテレビ芸能とヒップホップが早い段階で結びついた例のひとつなのは間違いない。そしてまた、ゲイシャガールズは「逆輸入アーティストとしての日本語ラッパー」を提示していたと思う。逆輸入的な日本「人」ラッパーとしてはShing02からKOJOEまでの系譜があるけれど、やっぱり彼らは英語でラップすることで向こうのプロップスを集めてきたラッパーだったと思う。また同様に、DJやトラックメイカーなどの日本人ヒップホップアーティストもアメリカで評価されてきた流れはあった。そう考えると、日本語でなされた日本「語」ラップだけがやっぱり言語の壁を越えられずにいたとも思うのだけれども、これはご存知の通りKOHHがついに突破した。日本のヒップホップの歴史として、フェイクが先行してリアルが追い付くというケースは多いけれど、まさにそれに当てはまる例がGEISHA GIRLSからKOHHという流れだったんじゃないだろうか。


4.NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDNITRO MICROPHONE UNDERGROUND
完成度と革新性を兼ね備え、それでいてフォロワーも生んで新しい潮流を作った最強のアルバム。アルバム単体の革新性はもちろんのこと、やっぱりDEF JAM JAPANとかRIKOといった名前も思い出されて、そういうヒップホップのディストリビューターまでよく見える「産業としてのヒップホップ」も面白かった。ヒップホップにそれほどのめり込んでるわけでもなかった私でも、町田のTAHARAで大々的にDEF JAM JAPANとニトロのパネルを見たときは感動した(記憶違いだったらすんません)。


5.SEEDA『花と雨』
6位のPSGと本当に迷ったけど、ここはBACHLOGICSEEDAの奇跡的な仕事が刻まれたという意味で、こちらを少し上にランキングした。とはいっても、また選ぶ時期が変わればどっちが上になるかわからない。


6.PSG『DAVID』
PUNPEEBACHLOGICは、日本のヒップホップの流れを一気に変えたプロデューサーだったと思う。『花と雨』がSEEDAに文学的な拡がりを与えた作品だったとしたら、『DAVID』はどこまでも映像的な音だったと思う。ちょっと感覚的な言い方だけど、でもghettohollywoodの超名作ビデオの出来を見ても、やっぱりそうなのかなという気がしてくる。


7.BUDDHA BRAND『病める無限のブッダの世界 〜BEST OF THE BEST(金字塔)〜』
まあこれは普通に、どう考えても選ばないわけにはいかない。日本語ラップが目指したひとつの頂点を極めてしまった。スタッテン島のシャオリン使いたちと同じ水準でやってのけたのがブッダブランドだったんだろうなあと思う。


8.LowPass『Mirrorz』
凝ったトラックの上でめちゃくちゃうまいラップが展開するだけでもすごいけれど、そのリリックが言葉遊びに終始してることに感動する。言葉遊び系とはいっても、やっぱり日本語ラップ黎明期のそれとは大きく違っていて、一番違うのは支離滅裂な展開の仕方。全体を通してのコンセプトが見えない。これには書き言葉の言葉遊びと話し言葉の言葉遊びの違いというのがあるんじゃないかと思う。


9.ZEN-LA-ROCK『LA PHARAOH MAGIC』
いまだにヒップホップの黒歴史的な扱いを受けることさえあるニュージャックスウィングだけれども、このアルバムを聞けば聞くほど、まだこちらの道へと延びていくヒップホップの豊かな可能性に気づかされる。テディーライリーという分岐点から、ファレルにいくのか、ZEN-LA-ROCKにいくのか。まだまだわからない。


10.SCARS『THE ALBUM』
ハスラーの世界を日本語で歌う。その強烈なインパクトもさることながら、マイクリレーの巧みさにも目を見張る。ある意味では実録ニトロだったと言ってもいいかもしれない。


11.いとうせいこう『MESS/AGE』
完全に書き言葉的な、コンセプトと展開がぴったり一致した言葉遊びではある。ラップ=メッセージをどのように崩すのか。みうらじゅんアイデン&ティティ』よろしく「不幸なことに、ぼくらには不幸なことがなかった」の問題に、日本語ラップとして初めて答えを出したのがこのアルバムだったのではないか。ちなみに、この次にその問題に回答を出した作品はスチャダラパー『彼方からの手紙』だと思う。


12.キミドリ『キミドリ』
インディペンデントカルチャーは雑多な未発達の文化の混交・交流を促すけれど、日本のヒップホップにおいて、その様子が色濃く投影された作品がこれだと思う。ラップスタイルも「ストリートっぽい」と形容すればいいのか、ぶっきらぼうな感じがむちゃくちゃパンク。


13.AUDIO SPORTS『Era Of Glittering Gas』
ヒップホップが明確にジャンルとして線引きされる前、可能性としてのヒップホップに挑んだ作品。普通にめちゃくちゃかっこいい。


14.m-flo『ASTROMANTIC』
ヒップホップは成り立ちから見ても、ボトムアップで切磋琢磨するカルチャーだと思われている。でも、これだけ大きな産業には、お金も人もふんだんにリソースを割いて、トップの人たちだけで構成されている側面も当然あるわけで、m-floは確実に日本でそれを担っている。(細野晴臣でなく)坂本龍一にラップさせたこのアルバムは、m-floの路線を確固たるものにした。ように見える。


15.YOU THE ROCK★『THE★GRAFFITI ROCK ‘98』
アルバム一枚でヒップホップの歴史を辿ってみせるという、一種の離れ業だと思う。ユウザロックのラップの魅力も全開で「全身でラップする」という表現がぴったり。


16.ECD『The Bridge 明日に架ける橋』
正直に白状すると、ラッパーECDを本当にすごいと思ったのはこのアルバムからだった。つい最近です。流行りのビートもしっかり咀嚼したうえで、自分のラップを乗せる真摯な姿に胸を打たれる。あと、これは今後、ラッパーの高齢化問題に取り組んだ最初期の作品になるのではないだろうか。


17.SHAKKAZOMBIE『HERO THE S.Z.』
実は入口は『カウボーイビバップ』だった。「日本語ラップはダサい」という偏見しかなかった中学生が素直に聞き入ってしまった曲が『空を取り戻した日』。まあこれは個人的な経験だけれども、とはいえ、そういうジャンル・メディア横断的なことができる拡がりを持った名作なのはひとつ。


18.LUNCH TIME SPEAX『B:COMPOSE』
MVでTAD’SがTシャツをパンツインしてラップしてる様子がむちゃくちゃかっこよかった。GOCCIの男ウケ間違いなしのラップがむちゃくちゃかっこよかった。メロコアもヒップホップもストリートのことを言うけれど、それが同じものを指していることを知ったアルバム。


19.SOUL SCREAM『The positive gravity〜案とヒント〜』
はじめて買った日本語ラップのアルバムだった。日本語でどのようなフロウを完成させるかが日本語ラッパーの宿命だった時代に、一番魅力的なものを提出したグループだと思っている。


20.THA BLUE HERB『STILLING STILL DREAMING』
対東京、対渋谷を打ち出した功績が大きいのはもちろんだが、単純にものすごいスピーチが聴けるという意味で抜群の存在感。演説とラップはつくづく同じものなんだと思う。


21.TWIGY『SEVEN DIMENSIONS』
単純に、ツィギーの魅力が一番詰まったアルバムなんじゃないかと思う。多種多様なフロウを緩急自在に使いこなすキレッキレのツィギーが聴ける。あと客演してるマッカチンがむちゃくちゃかっこいい。


22.KAKATO『KARA OK』
フリースタイルがすごすぎるふたりの即興的快楽を、カラオケという密室空間で見事に表現。J-pop的記憶の使い方もさることながら、普通に良質なポップスにしてしまってるのもすさまじい。


23.MACKA-CHIN『CHIN NEAR HERE』
マッカチンは明らかに時代を作ったアーティストだと思う。PSGを初めて聞いたときの衝撃にデジャヴがあったんだけど、絶対この作品を思い浮かべてたと思う。サンプリングの仕方も、ラップの主題の選び方もなんか変。マッカチン自身のものすごくハキハキラップする姿にも惹かれた。ニトロのファーストの後にこうした展開を用意できるところに、音楽的厚みを感じる。


24.THREE ONE LENGTH『THREE ONE LENGTH』
思わず「エバーグリーンな名作」とか言いたくなるくらい、一瞬と永遠が同義であることを認識させられる。いつ聴いても、このアルバムを聴くときは、いつも同じ自分になってしまう。


25.DELI『DELTA EXPRESS LIKE ILLUSION』
ニトロ以後、ニトロ的世界観をもっとも展開していったのがDELIだったんじゃないかと思う。なんというか、自身のソロ作品なのに客演ぽいというか、その辺がとても冷静。客演というヒップホップにおける重要な要素を考えるために、これからも何度も聞き返されるべき作品。


26.Dragon AshViva La Revolution
これはやっぱり、ロックミュージシャンのアルバムではなくて、ヒップホップとして数えられるべきアルバムだったんじゃないか。日本版『walk this way』だと思ってる。


27.SIMI LAB『Page1:ANATOMY OF INSANE』
ファーストだけれども、OMSBとQNが同時在籍していた時期の最後のアルバム。とか考えてしまう。それはともかくとして。日本語ラップは日本語を分解してまた組み直す作業なわけで、微妙な言い方になるけど、おそらくシミラボは組み直す際の手つきに独特なものを持っている。


28.NORIKIYO『OUTLET BLUES』
孤独であることのなかには、さみしさとは真逆の、一種の円満な、幸福に閉鎖された世界もある。多くのラッパーからそういうことを学ぶけれども、NORIKIYOがリリックで描く街は、そういった幸福な閉塞をもたらす存在のように聞こえることがある。


29.KOHH『YELLOW T△PE』
まるでL.A.かと思うような『we good』のMVを観たとき、日本語ラップが完成したと思った。ミックステープが出るというのですぐさま買って、『僕といっしょ』からのサンプリングや『family』を聴いた。完璧な日本語ラッパーが現れたと思った。


30.Moe and ghosts『幽霊たち』
ゴーストコースト(彼岸)というアイデアは□□□『お化け次元』でも提示されていたけれど、それをガチでやってしまったのは間違いない。ラップは話し言葉に漸近するものであり、そこにラッパー自身が見えてくるのだと思っていた。しかしMoeがやってのけたのは、どこまでも「話し言葉に近づかないままのラップ」であり、要するに歌声のままラップするということ。このコンセプトを突き詰めた先にはテクニック派に向かうしかないようにも見えるけれども、もしもそれとは違う道が見えたら、ラップが、ヒップホップが変わる。

2016年日本語ラップベスト

◇昨年は諸事情から辞退させていただいたmiseさんのところの日本語ラップ年間ベスト。2016年は参加させていただいた。

◇『2016 BEST act In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253560.html
 “国民的歌手”宇多田ヒカルにKOHHがフックアップされた2016年。KOHHをどうにかして言語化しようとする日本語ラップ批評(?)よりも先に、一気にど真ん中に突き抜けてしまった感すらある。KOHHの客演はフックアップであるだけでなく、ある種の逆輸入アーティストとしての側面も持ち合わせていて、「KOHHはゲイシャガールズのリアルなやつ」と言い換えてもいい。
 フリースタイルダンジョンの成功も含めて、日本のテレビ芸能的な位置づけを考えてみる必要性が一気に高まったのが、2016年の日本語ラップシーンだった。

◇『2016 BEST ALBUMs In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253562.html
 2016年は、言ってしまえばKOHH不在の年であり、ポストトラップの年でもある。いや、全然KOHHは居たし、トラップの猛威は相変わらずだったわけだけど。
 長らく、日本語ラップは逡巡をテーマにしていた。人種差別や貧富の差を歌うことの逡巡、ギャングでないことの逡巡、あるいは自意識の逡巡、そしてヒップホップをすることの逡巡。それらは音楽の上で、リリックの上で、はたまたファッションや姿勢や立ち居振る舞いの上で、直接的あるいは間接的にヒップホップに反映されていた。
 そういった逡巡が生み出す「アイデンティティの揺らぎ」によって、USヒップホップの内包する「アイデンティティの揺らぎ」と響き合う構造を持っていたようにも思う。
 しかし、もはやそうした二重に捻じれたアイデンティティの揺らぎはもはや必要なくなってきたのが、2000年代以降の日本語ラップが歩んできた道だったのかもしれない。
 KOHHはそうした世代の頂点だったと思うし、それは世界的にも共通した動きだった。よって、ワールドワイドにバズったりもしたのだろう。
 2016年は、逡巡なき日本語ラップがいよいよ極まるなかで、あらためて90年代からの日本語ラップとの再接続が試みられるような、そんな動きが見えた気がした。

◇気づけば、今回の10作品は、概ね上位3作品のいずれかの方向に分類されるように選んでいた。
 3位の『田中面サウンドトラック』は、一時期までのサンクラ/ディジタルディガー層を一気に取り込むと同時に、単純に「いい音楽ファン」にもリーチし、おそらく今後のコミュニティミュージックの在り方をいち早く提示していた。もちろんそうした一連の動きは田中面舞踏会の第一回から形になっていたわけだけど、音源として1枚に収めたという意味で、そしてそれがどんな方面にも目配せしているという意味で、極めて音楽的にコンセプトを達成したんじゃないかと思う。
 2位のKANDYTOWNは、どう考えても2016年のニューヒーロー。90年代信仰のうるさ型ヒップホップヘッズを音楽的にもレトリック的にも黙らせる日本語ラップの「正統派」感も出しつつ、サグなギャングもいいとこの子もUSもJPもラップすりゃみんな平等的な価値観で、リアルとかフェイクとかを端から問題にしない。“my house is a your home”のラインのやさしさに泣きそうになってしまったりしながら、「みんなで広げるホーミーの輪」を本気で信じられる気がしていた。草刈正雄浜田雅功の子供たち世代がこういうことを言っているという意味でも、次のフェーズに入った感じがする。

◇ある種のバックラッシュで評価されてる部分はあるかもしれないけど、しかし昨年彼らの登場を目撃できたのは圧倒的に良いことなんじゃないかと思う。

◇パブリック娘。を1位に選んだのは2011年以来、2作連続。正直、ひいきのアーティストを1位に、しかも2回連続で選ぶというのは、選者としては結構勇気のいるセレクトだったけど、胸を張って挙げさせていただいた。
 「ぶっきらぼうに見えて器用」なラッパーの系譜はキミドリからやけのはらまで連綿と続いているわけだけど、パブリック娘。はそこに貪欲な「非」アーティスト性を盛り込もうとする。ともすれば「ナード系」とか「文化系ヒップホップ」に回収されそうなところをギリギリで避けることができているのは、たぶん「文学性」やら「音楽性」といったアーティストっぽさを上手に回避して、「社交性」を前に出しているからなんじゃないか。
 もちろん、だからといってパブリック娘。が文学性やら音楽性やらが希薄なグループだと言いたいわけではない。ただ単に、そういった文化系受けしそうな自意識の逡巡をテーマにしていない、ということである。その意味で、2位のKANDYTOWNと非常に近いところでラップをしているようにも見えるし、見えている景色も似ているのかもしれない。
 学生時代にリリースした過去作からの変化という点では、社会人になってもリリックの巧みさは相変わらずで、そしてなんと、ラップがうまくなっている! しかしうまくなっているにも関わらず初々しさがあるというか、声の出し方がいまだに全然こなれていないというのは、これは絶対に狙ってやっていることだと思う。

◇2016年は出張の機会が以前より増えたんだけど、KANDYTOWNとパブリック娘。を交互にかけながら、新幹線の窓から外を見てみたりした。



2017-01-03 - 日々:文音体触 〜compose&contact〜
より抜粋

午前8時。寝間着姿の座布団運び。

◇唐突に笑点のテーマを歌い始めた息子が、我が家の座布団をせっせと敷いている。1歳になったばかりの娘が司会席に座らされ、32歳になった私は小遊三師の席に座らされた。5歳児はとにかく山田くんの役を生き生きとこなしていた。

◇ふいに始まった大喜利だが、歌丸師であるはずの娘はとにかく小遊三師であるはずの私の膝によじ登ってくるし、山田くんであるはずの息子は「1枚増やすこと言って」「減らすこと言って」と、客のヤジのようなことばかり言う。私は慣れないなぞかけをしながらそれらに答えているうちに、朝からへとへとになってしまった。

◇日記を書かずにいる間に、娘は1歳になり、2017年に入ってしまった。娘は髪を伸ばし、昨年の10月頃から妻の母と似たような髪型になっている。

◇昨年末12月23日に父方の祖父が他界し、今年は喪中である。
 認知症も末期がんも進んでいて、晩年は施設に入っていたが、それでもひ孫ふたりを見せることができた。娘は昨年10月に1度会ったきりだが、喪主となってくれた叔父と叔母はそのことをとても喜んでくれた。

◇通夜と告別式は我が家からは私だけが出て、私の実家からは父母両方が出席した。これは私には意外だった。というのも母は、父方の実家にはもう30年近く行っていなかったからである。
 母いわく、夫さえしっかりしていれば嫁と義実家の関係はうまくいくはずであり、つまり母が父の両親と距離を置くことになったのは、父がそれに失敗したかららしい。たしかに父が、母の基準に照らせば相当に不器用であることはよくわかる。私から見るにそれは、ただのマイペースに過ぎないのだが、しかしそのマイペースこそが、母にとっては耐えられないことであることは、息子の私にはよくわかる。母は、家族が自分の思うように動いてくれないことを、自分への無関心と捉える傾向が強い。
 ただ、父以外に誰か母の希望に応えられる人はいるだろうかと考えると、それはやはり相当に難しいのではないかと思ったりもする。
 とはいえ、父もまた相当なもので、毎日のように母の怒りを受け続け、ときにケガをし、ときに家を追い出され、ときに職場にまで電話をされ、ときに持ち帰った職場のPCを壊されても、ある部分では絶対にマイペースを崩さないのである。
 私は小さいころ、父に離婚を勧めたことがある。父のためを思ってである。あまりに理不尽に母の怒りを受ける父を、私は被害者なのだと思っていた。しかし父は曖昧に、いやあ、と言ってにやにや笑うだけであった。寒空の下、父と息子ふたりして家を追い出された日の記憶である。
 2〜3年前、実家に帰った私は、父の話を聞いてぞっとすることになる。なんの拍子だったか忘れたが、父はいきなり、「君にどう映っているかはわからないけど、お父さんは君のお母さんのことがいまでも好きなんだよなあ」と言い放ったのである。
 夫婦というのはやはり、どこか狂気を帯びた関係なのだという確信が、私のなかにはずっとある。

◇私は私で別件で母と揉めていたため、母も葬式に参加することを聞いたときは、正直なところあまり気が進まなかった。まあ、母と私が揉めるのはいつものことなのでしょうがないかと思ったが、物持ちで交通機関をあまりつかわない母が居るせいで、宮城まで6時間かけて自動車移動することになった。これは気が重い。そして遅刻が許されない父は、途中渋谷で降りて新幹線に乗っていってしまった。
 案の定、車中で母と再び揉めたが、5時間半というのは揉めるだけでは埋まらない。果たして、喜怒哀楽の全てが車中の会話で沸き起こることになった。母の私や父への恨み節は、いつのまにか笑い話にすり替わっていた。
 母はマイペースな――母の言い方で言えば「愛も理解もない夫」との関係に悩み、友人の勧めでいくつか占い師のところへ足を運んだらしいのだが、占い師たちは誰もが口をそろえて、こんなに相性のいい夫婦は見たことがないと話すのだそうだ。私は吹き出しながら、やはりぞっとしていた。

◇昨年は諸事情から辞退させていただいたmiseさんのところの日本語ラップ年間ベスト。2016年は参加させていただいた。

◇『2016 BEST act In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253560.html
 “国民的歌手”宇多田ヒカルKOHHがフックアップされた2016年。KOHHをどうにかして言語化しようとする日本語ラップ批評(?)よりも先に、一気にど真ん中に突き抜けてしまった感すらある。KOHHの客演はフックアップであるだけでなく、ある種の逆輸入アーティストとしての側面も持ち合わせていて、「KOHHゲイシャガールズのリアルなやつ」と言い換えてもいい。
 フリースタイルダンジョンの成功も含めて、日本のテレビ芸能的な位置づけを考えてみる必要性が一気に高まったのが、2016年の日本語ラップシーンだった。

◇『2016 BEST ALBUMs In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253562.html
 2016年は、言ってしまえばKOHH不在の年であり、ポストトラップの年でもある。いや、全然KOHHは居たし、トラップの猛威は相変わらずだったわけだけど。
 長らく、日本語ラップは逡巡をテーマにしていた。人種差別や貧富の差を歌うことの逡巡、ギャングでないことの逡巡、あるいは自意識の逡巡、そしてヒップホップをすることの逡巡。それらは音楽の上で、リリックの上で、はたまたファッションや姿勢や立ち居振る舞いの上で、直接的あるいは間接的にヒップホップに反映されていた。
 そういった逡巡が生み出す「アイデンティティの揺らぎ」によって、USヒップホップの内包する「アイデンティティの揺らぎ」と響き合う構造を持っていたようにも思う。
 しかし、もはやそうした二重に捻じれたアイデンティティの揺らぎはもはや必要なくなってきたのが、2000年代以降の日本語ラップが歩んできた道だったのかもしれない。
 KOHHはそうした世代の頂点だったと思うし、それは世界的にも共通した動きだった。よって、ワールドワイドにバズったりもしたのだろう。
 2016年は、逡巡なき日本語ラップがいよいよ極まるなかで、あらためて90年代からの日本語ラップとの再接続が試みられるような、そんな動きが見えた気がした。

◇気づけば、今回の10作品は、概ね上位3作品のいずれかの方向に分類されるように選んでいた。
 3位の『田中面サウンドトラック』は、一時期までのサンクラ/ディジタルディガー層を一気に取り込むと同時に、単純に「いい音楽ファン」にもリーチし、おそらく今後のコミュニティミュージックの在り方をいち早く提示していた。もちろんそうした一連の動きは田中面舞踏会の第一回から形になっていたわけだけど、音源として1枚に収めたという意味で、そしてそれがどんな方面にも目配せしているという意味で、極めて音楽的にコンセプトを達成したんじゃないかと思う。
 2位のKANDYTOWNは、どう考えても2016年のニューヒーロー。90年代信仰のうるさ型ヒップホップヘッズを音楽的にもレトリック的にも黙らせる日本語ラップの「正統派」感も出しつつ、サグなギャングもいいとこの子もUSもJPもラップすりゃみんな平等的な価値観で、リアルとかフェイクとかを端から問題にしない。“my house is a your home”のラインのやさしさに泣きそうになってしまったりしながら、「みんなで広げるホーミーの輪」を本気で信じられる気がしていた。草刈正雄浜田雅功の子供たち世代がこういうことを言っているという意味でも、次のフェーズに入った感じがする。

◇ある種のバックラッシュで評価されてる部分はあるかもしれないけど、しかし昨年彼らの登場を目撃できたのは圧倒的に良いことなんじゃないかと思う。

◇パブリック娘。を1位に選んだのは2011年以来、2作連続。正直、ひいきのアーティストを1位に、しかも2回連続で選ぶというのは、選者としては結構勇気のいるセレクトだったけど、胸を張って挙げさせていただいた。
 「ぶっきらぼうに見えて器用」なラッパーの系譜はキミドリからやけのはらまで連綿と続いているわけだけど、パブリック娘。はそこに貪欲な「非」アーティスト性を盛り込もうとする。ともすれば「ナード系」とか「文化系ヒップホップ」に回収されそうなところをギリギリで避けることができているのは、たぶん「文学性」やら「音楽性」といったアーティストっぽさを上手に回避して、「社交性」を前に出しているからなんじゃないか。
 もちろん、だからといってパブリック娘。が文学性やら音楽性やらが希薄なグループだと言いたいわけではない。ただ単に、そういった文化系受けしそうな自意識の逡巡をテーマにしていない、ということである。その意味で、2位のKANDYTOWNと非常に近いところでラップをしているようにも見えるし、見えている景色も似ているのかもしれない。
 学生時代にリリースした過去作からの変化という点では、社会人になってもリリックの巧みさは相変わらずで、そしてなんと、ラップがうまくなっている! しかしうまくなっているにも関わらず初々しさがあるというか、声の出し方がいまだに全然こなれていないというのは、これは絶対に狙ってやっていることだと思う。

◇2016年は出張の機会が以前より増えたんだけど、KANDYTOWNとパブリック娘。を交互にかけながら、新幹線の窓から外を見てみたりした。

午前11時。およそ2カ月ぶりの月曜日。

◇今日から息子の幼稚園が新学期を迎える。気づけばセミも鳴いていない。私はしっかりと二度寝を取ってしまった。

◇会社を辞めて形ばかりの開業をして、今年の夏休みは昨年とは違った意味で忙しく過ごすことができた。
 おたまじゃくしを飼い、近所の公園でサイクリングを楽しみ、虫取りゲーム(ボードゲーム)に興じて、絵本を読んだり歌って踊ったりして、立川と諏訪湖の花火大会と多摩動物公園とサファリパークと鉄道博物館に行った。京王線南武線埼京線都営大江戸線と、そして特急あずさに乗った。兄妹の風邪や熱もあった。妻の免許更新もあった。そして仕事もした。
 打ち合わせ等で不可能なこともあるが、基本的には朝食と夕食と風呂の時間をいっしょに過ごす前提で、一日のサイクルが成り立っている。

◇夏休み最後の日に息子は5歳の誕生日を迎えた。娘は奇妙なはいはいで自由自在に移動している。毎日は目に見えて急激に変わっていく。
 息子の鉄道博物館は半年ぶりだが、シミュレータやミニ鉄道などのアトラクション系よりも、車両の展示や鉄道のしくみを解説するコーナーの方が楽しいらしい。
 娘は齢8カ月にして10キロの大台に乗り、妻は手首を痛めた。相変わらずよく笑うことに変わりはないが、その口元には上下2本ずつ、生えかけの歯が光っている。

◇ようやく今月から黒字化するので、あとは目の前のことをこなすだけである。とはいえ、意外とここからの方が大変かもしれない。

◇新宿眼科画廊で行われていた山本浩生展が9月7日に終了した。運営的なものはよくわからないけれど、なんだかんだで結構盛りだくさんなイベントで、アラザルも各人それぞれに楽しんでいた。
 山本作品をこのような展示の形態で見ると、あらためてそのストレートな美しさに驚く。作品の生成過程を括弧に括りやすく、自律性を普通に担保できる作品だと思う。つまり作品という出来事を自分のコンテクストに位置づけて語ることができる。
 おそらく、9/5(月)に行われたトークイベントの議論を延長させていくと、最終的には山本作品の完結性はどこから来ているのかという話になっていったのではないかと予想する。その議論の視点自体は極めて今日的だけれど、実は根底には「美の現出」という大ネタに挑む作品であることを認めているのではないかと思ったりした。そしてそれはすごく正しい視点だと思う。

◇ちなみに、山下望がトークであんなに回せるのかと少し驚いた。トリックスター的な立ち居振る舞いも、彼のちょっと特異な普段の言動とうまく結びついていて、身内としては笑いつつ感心した。

午後7時。蛙を2匹放す。

◇昨夜までおたまじゃくしだったのが、今朝には尻尾がほとんどなくなっていた。息子と蛙になったおたまじゃくしの様子を確認しながら、今日中に放してやることに決めた。
 4歳男児によれば、周囲の環境によって色を変えることができるから「かえる」で、おたまじゃくしはそれが無理だから「かえない」と呼ぶのだそう。

◇結局蛙を近所の田んぼに還したのは、夕食後になった。朝には洗濯機の引き取り、昼は妻の実家で誕生日ランチパーティ、その後息子と明日の準備でブラウニーづくりをしていたら、あっという間に夕食になってしまった。子供の夏休みは1日が早い。
 田んぼにつき、水槽代わりにつかっていた虫かごの蓋を開けるが、蛙たちはなかなか出てこない。もう眠くなっちゃったのかもしれないねと言い合って観察を続けていると、おっかなびっくり息子が1匹の蛙をすくって放してやった。これまで息子は蛙の本も好きだし観察も好きだったが、触れなかったのだ。
 2匹目もすくい出すと、その蛙はすぐには水に飛び込まないで、少しの間虫かごの淵に座っていた。

◇妻は鼻歌の多い人だが、それを普段から聴いている息子にも鼻歌が多い。今朝は『マイ・ウェイ』をハミングしていた。
 妻の方は基本的にメロディをハミングするだけだが、息子の方はたまにオリジナルの歌詞を乗せる。やはりこちらも妻がよく鼻歌でハミングするアンジェラアキの『手紙』という曲だが、なぜか「生ゴミ」という単語だけで一曲成立させたりする。字余りとか字足らずはなまごみ→なまごごみ→なまごみみみみという風に処理していて、ちょっと面白い。

◇娘の方は、おしゃべりが楽しいらしい。父母兄が食卓を囲んで会話をしていると、同席している娘もそこに入ってきて、発話の妙を楽しんでいる。だから我が家は文字通り口数の多い状態が続いている。
 相手の発声を受けて、こちらからも発声する場であるところまでは理解しているらしく、割とインタラクティブなやり取りになっている。それがことばであると認識するのはいつなのだろうか。というかもう認識しているのだろうか。
 発話の妙を楽しむことと、ことばを話すことの楽しみは同根であったことを思い出す。

日本語ラップ批評ナイトに行ってきた。終わり間近に駆け込んだと思ったが、ありがたいことに延長してくれたのでそこから2時間近く観覧することができた。
 延長戦は、日本語ラップに対して批評は何ができるのかというところを出発点に、4人の登壇者が語り合うことになった。たしかに批評は常に対象の外側にあるものなので設定それ自体は頷けるが、とはいえしかし、こうしたテーマは時折、シーンの外側に特権的な「外野」というポジションを獲得することだったり、シーンの人間関係との距離の取り方といった程度の話と混同されてしまう危険を孕む。対象に対する外からの視点を獲得することと個人的な人間関係や立ち居振る舞いの話は当然別の問題だし、あるいは反対に批評対象から反論されない安全圏からの批評などというものも存在しない。身内の発表した作品に批評的な視線を介在させることができるならば、それは理想的なコミュニティを形成し、というかまさにヒップホップはそのようにして動いてきた。
 批評がない状態というのは、ある種のポピュラーミュージックが迷い込む共感か否かで全てが決する世界のことである。ヒップホップは細かいトライブを形成しやすいカルチャーだが、各トライブは常に覇権争いをしていて、それらがひとつの価値観に基づいた統一的なトライブを形成することなど目論んでいない。シーン全体としては共感よりも批評の方が上に立ちやすい傾向にある。少なくとも現在のところは。
 トラックに対する批評であり解釈であるのがラップだし、それに対する批評もまた、例えば楽曲へのディスだったり、あるいは客演だったりといった形で表現される。当然のことながら、批評は文章によってのみなされるわけではなく、そしてまた表現と対立するものでもない。あらゆる創作行為が批評行為を内包している。だから「○○に対して批評は何をもたらすのか」といった問いはたくさんあれど、少なくともヒップホップカルチャーに限っていえば、それに対する回答は、ラップが噴出します、ということでしかなくなってしまう。
 ラッパーと批評家を分割してしまうのではなく、むしろ異分野の同業と看做す方が自然なのではないかと思っている。

アラザルでやってる『ラッパー宣言』という連載は、ラッパーとして文章を書いている。ラップという言語を使用するのではなく、文章という言語を使用して対象との距離を言葉にする。つまり、対象と自分の間にある距離を言葉にすることが批評であり、それはラッパーが与えられた一定時間のヴァースの上で言葉を紡ぐことと同じである。言うだけ野暮だけど、何がラッパー宣言なのかあらためて言うと、文章という言語を使って時間=距離を言葉にしていく私もラッパーなんですよ、ということだったりする。

◇トラックの批評としてラップが乗る。そのラップの批評として更にラップが乗る。

午前2時。ストロングペプシを開ける。

◇ぷしっと音がして、何口か飲んでいるうちに目が覚めてくる。

◇昨夜は20時頃に寝てしまった。結果、変な時間に起きてしまったので、ライティングの仕事をコツコツとこなす。書き方の要領をつかめば、どんな内容のものでもある程度は楽しめる。
 6時ちょっと前に妻が娘とやってきて、7時頃に息子が朝イチのトイレに走っていった。

◇息子の「空手」を見ているからか、娘も私に仕掛けてくるようになった。抱き上げると、一旦両手を大きく広げてから、左右同時に手の平を勢いよく振り下ろす。きえいというかけ声と同時に私の顔に何発か入れた後、歯のない顔でにやっと笑う。耳のつぶれた柔道家と歯のない空手家には気を付けろと、ずっと昔に父が言っていたのを思い出した。
 ちなみに娘は宇良関にちょっと似ている。

◇昨日はダイニングテーブルを買いに八王子へ。我が家はこたつ机を使っていたのだが、息子が少し食べにくくなってきたようなので、我が家も思い切ってテーブル&チェアの生活に切り替えることにした。ちょうど安売りをしていたテーブルがよさげだったので、店に入って現物限りの1セットを購入。
 その後、息子が2歳になる直前まで住んでいた八王子の街を歩く。夜泣きする息子を抱えて歩いた道のりを、家族で歩く。今抱っこ紐に包まれているのは、かつての赤ん坊の妹である。
 駅に向かって歩いているとき、今の住まいのご近所さんとばったり会う。職場がこっちなんですよ、と話していて、私の方は「以前こちらに住んでいたんですよ」と答えた。

◇本日は午前中は仕事に当て、昼食を妻の実家でとった後に、家族全員で代々木公園に向かう。ブラジルフェスとスタジオパークが目当て。息子にとっては京王線の旅と井の頭線が目当て。娘にとっては初の渋谷が目当て。だと思う。
 スタジオパークは楽しんだものの、昼食を食べすぎた私たち一家は、ブラジルフェスはさらっと歩いてすぐに出てきてしまった。妻はなんだか疲れたと言い、人混みを避けたいようだった。私も気疲れしていた。妻がナンパでもされやしないか心配だったのだ。

◇三連休であることを忘れていた。すっかり夏。しかしいつ梅雨明けしたのかわからないまま。

◇非日本語ラップの件、つづき。
 GEISHA GIRLSは、その構想段階からすでに、松本人志高須光聖のなかでは「坂本龍一プロデュースで逆輸入アーティストのラップグループを作る」というコンセプトがあったらしい*1。『ガキの使いやあらへんで』のトーク中に松本人志がそのことを話してから、一気に実現に向けて動き出す。
 1994年にシングル『Grandma Is Still Alive』のレコーディングで渡米したダウンタウンは、そこでほとんど初めてラップを聴き、テイトウワのレクチャーを受けてから、その場で一気にレコーディングをするという離れ業を見せている*2
 そこで生まれたうちの一曲が『Kick&Loud』なのだけれども、方言と裏声シャウトがキツ過ぎて、一聴するだけではほとんど何を言っているのか聴き取れない。というか、日本語として受容不可能な域にまで達している。

 松本人志によれば、「アマ(尼崎)弁っていうか、大阪弁でもないアマ弁。……アマ弁でもない連れ弁(連れにしか通じない言葉)」であり、つまり仲間内にのみ流通するスラングで構成されている。「アメリカで評価を得て日本に逆輸入されるアーティスト」として、彼らは日本語でも英語でもないラップをする必要があったのかもしれない。それは結果として、ダウンタウンが元々持っている「異国性」なる資質を、あらためて浮き彫りにする作業でもあった。
 「アメリカに受ける日本」という視点を一度経由することで、GEISHA GIRLSのラップは、おそらくこの時期の日本語ラップに顕在化していなかったものを提出した。周知の通り、さんぴんは1996年だし、TOKONA-XTHA BLUE HERB、OZROSAURUSらの台頭よりも前の話である。彼らは地元をレペゼンする意図をもって方言を活用し始めることになるが、GEISHA GIRLSは地方にある種の「異国」を見て、日本語の外側にある言語として方言を活用し始める。
 自分たちの言語を異国語として活用することの不自然さは、そのまま日本語ラップの持つ不自然さと同義である。日本語ラップを初めて聞いた人の多くが感じる違和感は、まさにその「日本語でやること」に向けられており、裏返せば、ラップすること自体がすでに異国語を話すことである、とも言えるだろう。
 もちろんそこには、そもそも正統な日本語というものからして相対的なものであり、その意味で、自分の話す言語は常に日本語の外側に向けられているという姿勢もあり得る。もしかしたら、日本語ラップに不自然さを感じなくなる瞬間、自分の話す言語の異国語性を発見しているのかもしれない。

◇非日本語話者に向けた日本語のラップグループであるGEISHA GIRLSは、しかし、コンセプトだけが先行するフェイクではある。
 翻訳可能な日本語を駆使するKOHHとは逆に、翻訳不可能な日本語だけでリリックを作るのも、日本での洋楽受容に即した結果だったりもする。とはいえ、ストリート志向を打ち出したさんぴんが、後発世代からフェイクと揶揄されることがなかったわけではない。これはもちろん、本質的にリアルかフェイクかという話ではなく、オリジネイターにはコンセプト先行型のアーティストも少なからずいるという話なのだが、結果的にそういう側面から見ても、非日本語ラップ日本語ラップの鏡として見ることができるように思う。

*1:高須光聖『御影屋』(ビクターブックス)

*2:『THE GEISHA GIRLS SHOW』(幻冬舎

午前6時。娘の寝癖を梳かす。

◇髪が長いので、寝癖もすごい。髪を整え、女の子らしいこぎれいな服に着替えて座らせると、酒飲みのようなげっぷをして娘が微笑んだ。

◇息子に空手の「突き」を見せてやると、私のあだ名が「空手くん」になった。息子を「空手キッド」と呼ぶと、喜んで妹に空手の「突き」のようなものを披露する。食事中も集中せずに空手キッドに成り切っているので、妻から「ごはん中は空手禁止」というお触れが出た。

◇子供が二人になって思うことは、会話が家のなかの至るところで同時多発するということ。まだ娘は言葉を話さないけれども。
 子供がひとりのときは、話題はひとつであった。そしてひとりっこで育った私は、3人兄弟の妻の実家で、食事中、話題が同時多発する様子に、昔はついていけなかったことを思い出した。

◇4月末に仕事を辞め、6月にフリーとして開業届けを出してから、なんとなく仕事をポツポツ受け始めている。とはいえすぐに現金になるものがないので、何かしなければならない。

◇今のKOHHからは、これまで日本語ラップシーンにはなかったプロップスを感じる。英語圏で日本語のままラップをして評価を勝ち取り、そのことがまたさらに日本での評価につながるという。
 もちろん、これまでもShing02やkojoe、DJKrush、nujabes……挙げればキリはないけれども、海外で評価を勝ち取ってきたアーティストは居た。けれど、それらは英語ラップやトラックメイクだったりと、やっぱり言語の違いはオーソドックスな形で乗り越えようとしていた。いわゆる逆輸入アーティスト的評価はありつつも日本では「洋楽」的な評価になったし、日本語ラップシーンでの彼らの評価は、やっぱり日本語ラップシーン内の活動において評価されていたと思う。
 KOHHのラップは、私は『we good』で初めて知ったけれども、なんというかビデオの撮り方まで含めて、ダイレクトに向こうと繋がってる印象を受けた。無理に詰め込み過ぎない符割で、自然にビートを乗りこなす様子はやはり独特だった。耳が慣れないとラップは聴き取りづらいものなのだろうと思うけれど、KOHHとMONY HORSEのラップは初めて聴いた人でも充分に聴き取れるんじゃないかと思う。
 とはいえ、このラップの系譜は、例えばSCARSのA-thugとかSTICKYとか、主にハスラーラップをやってた人たちに起源を求めることもできるんだろうけれど、もう少しKOHH達は乗り方が英語っぽかった。それはラ行をRで発音するとかそういうことではなくて、アクセントがかなり効いているという意味で。

 もっと言ってしまえば、「〜じゃありませんか」を「〜ジャ、アーリマセンカ」と、「ありませんか」の「あ」に強迫を置くようなものに近く、トニー谷よろしく、日本語を話す外人のフロウのようにも聞こえる。
 つまりこれは、日本語を日本語のまま、しかし非日本語話者=「外人」にも音として親しめるように翻訳しているのでもあり、そういった作業をわかりやすく示したのが『It G ma』だった。この頃はもう、アクセントを自由自在に操っている。

 KOHHや318がどの辺りから非日本語話者を明確にターゲットにしたのかはわからない。ただ、この時期、KOHHの持っていた特徴が、色々な形で先鋭化していく。
 アクセントの操作以外にも、テーマの普遍化/極大化、押韻というよりもフレーズの繰り返しといったテクニックが次々と生み出されている。テーマの極大化は、おそらく翻訳されることを前提としたことによって起きた現象で、言語的なコンテクストを外しても伝わるための工夫だろうし、フレーズの繰り返しはコール&レスポンス対応だったり異国語を聴き取らせるための工夫だろう。


 KOHHのこうした一連のラップは、日本語を駆使しながらも、非日本語話者に通じるラップとして磨き上げられたものなのだと思う。元々日本語ラップのなかにあった要素をグローバライズすることで成り立っていて、それは当然、KOHHというキャラクターのマネジメント能力が優れているだけではなくて、何よりもまずKOHH自身の身体能力に依るところが大きい。
 仮に、日本語話者に向けた日本語のラップを「日本語ラップ」とするならば、非日本語話者に向けた日本語のラップを「非日本語ラップ」と呼ぶこともできる。もちろん、日本語でなされたラップは全て日本語ラップなので、これは一時的な分類だけれども、例えばこういう風に分けると、非日本語ラップの系譜で見えて来るものもあるんじゃないだろうか。

◇と、非日本語ラップという系譜を無理矢理作ってしまうならば、オリジネイターとして浮かべたいのがGEISHA GIRLSだったりするのだけれども、その話はまた別の機会にするつもり。

◇ちょっと個人的に、webメディアを作りたいと思っている。あんまりおっきいものじゃなくて。あと自宅から徒歩1分のところに事務所を構えられるだけの収入を得ようと思っている。家賃2万円で事務所利用可能な物件があった。