web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

昨年末のLife

は結構面白かった。
まあいくつか書きたいことはあるけど、まずは簡単なところから。

僕のcharlieへの愛情w

 今回はまず、しまおまほさんとcharlieさんの対立かなw
http://www.tbsradio.jp/life/2008/01/post_45.html
 いや、二人とも「大人なので口には出さないけど・・・まあムカつく?みたいな〜」な関係であるらしく、お互いにどの辺りがムカついてる(笑)のかはしっかり把握し合っている様子w。
 対立軸は、「カッコつけることがカッコいい」と思っているcharlie vs 「カッコつけないことがカッコいい」と思ってるしまおまほ みたいな感じで、お互いの美的感覚の問題なのかなって思う。
 しまおまほさんがcharlieにムカつくその辺りの心情に関しては、実は非常によくわかるw。僕も正直カッコつけてるcharlieには恥ずかしくなってしまうしw。
 でも、ちょっと意地悪な言い方をするけれども、しまおさんのグダグダな自然体の方にこそ、むしろ僕は作為的な印象を受けてしまったりする。なんというか、「自然体な自分を演出する」って感じで。そこに「自分を見て欲しい」っていう自意識の影を感じてしまうんだよな・・・(すんません)。ま、こんなとこにいちいち反応しちゃう僕が一番自意識こじらせてるわけでw
 ただ、僕はcharlieをイタいと思うことが多々あるけれども、ここが反転していて、むしろそこがcharlieの最大の魅力だったりする。charlieがいとしくて、カッコいい(笑)とすら思うのだ。
 自分を見てほしいっていう自意識は見苦しいものなんだけれども、それでもやっぱり持ち合わせてしまうものだと思う。いくら隠そうとしても隠し切れない。だったら、自分はそんな風に自意識くんなんだ、ってもう堂々と言い放ってしまう方が、よっぽど人間的にでっかくて、カッコいいと思ったりするのだ。
 つまり、カッコつけて、聞いてる方が恥ずかしくなって、そして失笑されてしまうcharlieをこそ、自然体と呼ぶべきなんじゃないのか??っていうわけ。まあ、charlieは多分に天然な部分があるからこそできるんだろうけどw。
 しまおさんみたくベタにcharlieを見てしまうと、そりゃあイラっと来るだろうなあとは思うw(charlieさん、ごめんなさい)。

ヤンデレ・・・。

 外伝ではヤンデレについて語っているんだけれども、悲しいことにわからない・・・。いやかなりしっかり考えたいところなんだけど。(→http://www.tbsradio.jp/life/2008/01/part9_1.html
 charlieは『スクールデイズ』という作品を挙げていて、女の子と向き合わないことを徹底する主人公は、結局刃傷沙汰に巻き込まれる、みたいな話をしている。
 番組中のチャーリーの発言を起こしながら考えていきたい。

最初に付き合った女がお嬢様で、セックスさせてくれない、と。させてくれないから、させてくれそうなコの方にいく。いくんだけれども、段々ソイツが重たくなってきて、させてくれない彼女とさせてくれる女の子との間の三角関係が段々ウザくなってきて、別の女の子に更に逃げる。っていうことを繰り返してる内に、刃傷沙汰になるっていう、まあありがちっちゃありがちな話しなんです。

・・・ふんふん。

 ようするにこれは、男の「逃げて逃げて、関わらない関わらない」っていう態度、「関わらないでいることが、お互いを傷つけずにいられることじゃん」っていう態度を徹底した結果が刃傷沙汰だってことなんですよ。
 ネットの反応とか見てると、主人公のイトウマコトに対して「女の子に対する思いやりのないヤツめ!」みたいなのが結構あるんですけど、でも僕は「いやでもそれってふつう逃げない?」って思っちゃうんです。だって高校入って最初に付き合う女の子がそれで、でも世の中はみんなやりまくってるみたいな情報があったら、逃げるべフツーって。

えっと・・・逃げる・・っていうのが一般的な態度なんでしょうか?
いや僕はあんまりよくわかんないんですが。
なんつうか、そのイトウマコトっていう主人公、このcharlieによる説明部分だけ聞いていると、恋愛がしたいんじゃなくてセックスがしたいだけの、よくいるタイプの想像力の乏しい男の子を想像してしまうんですが・・・。
だってさ、自分がセックス求めて付き合うのと同様、相手だって付き合うことで何かを自分に求めてるに決まってるじゃありませんか。そこから逃げることで相手が傷つくのを想定しないっていうのは、あんまり頭のよろしくない行動にしか見えない。それも承知の上で逃げ回っている、命がけで逃げ回っているっていうのだったら、それはそれで天晴れだとは思うけれども、もし刺されてから気付くってんだったらちょっとそれは・・・って思うんですが。

 男のその態度がダメなことは正しい。正しいんだけれども、それによって相手の「病み」を発動してしまって刺されてしまうってこと自体に、なんというか、それは絶対にダメってことは簡単に言えないんですよね・・・。
 <中略>彼女の病みを発動してしまう男を倫理的にダメだって言うのは簡単なんだけれども、とは言うものの、そう簡単には否定できない自分っていうのがあるときに、でももし否定しないっていう下意があるなら、それは「お互い死ななかった」という、どっちも死なないっていうことでしか解決できないんじゃないかって思う・・・。

ああ。そういう話なのか。なるほどね。
とにかくその優柔不断な男がバカなのはバカなんだけれども、そういう男を簡単に否定できない自分がいる、と。
でも、否定できないっていうからには、今でも自分はそういう男だってことなんじゃないのだろうか。
過去自分がそういう男であった、というならば、過去の自分の過ちとともにそれは断罪されるべきだと思う。だけれども、まだ否定できないっていうのは、やっぱり現在もそういう状況に立たされたら逃げるって思うからなのでは?
 あと、個人的な印象だけで言わせていただくと、僕らが「逃げて逃げて逃げまくる男」であるのは、付き合う前までだと思う。付き合った後に逃げるなんて、そんなノープランなこと、恐ろしくってできやしない。そんな人の方が多い気がする。
 付き合うっていう行為自体が、めぐりめぐって腹をくくってたどり着いた結論だと思う。
 覚悟を決めて付き合ってはみたものの、やっぱ辛くて逃げ出してしまった・・・。たとえそんなことがあったとしても、それでも絶対に否定すべき自分を発見できる。逃げることを繰り返すなんてことはないんじゃなかろうか。

 心の病みたいなものに、向き合ってあげればいいんだって単純にいえないときに、あるいは単純に出来ないときに、それでも倫理的な解、逃げるっていう以上の倫理的な解って、なんかありうるだろうかってことをちょっと追求したくて。

いや、このcharlieの問いを立てる前に、彼女の心の病に向き合えないのはどうしてなのってことが先に立っちゃう。メンドクサイから?キミの兄貴にも父親にもなりたくないから?
彼女が望むんなら、兄貴にだって父親にだって母親にだってなってあげればいいじゃないって思う僕には、やっぱりこの話がよくはわからない・・・。