web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

雑記

◇バイト中にお腹が痛くなり、ホントは明日朝までバイトの予定だったけど替わってもらった。夕食はバナナとヨーグルト。

◇んで、帰宅して早く寝りゃいいのに、日記をいちいち書いています。

◇こないだちょっと考えた、charlieの「ヤンデレから逃げてしまう男を簡単に糾弾できない問題」(→http://d.hatena.ne.jp/andoh3/20080110/1199949990)について、なんとなくわかってきた気がする。
 まあ対象から逃げて逃げて逃げまくって同じことを繰り返す男の行動に関しては全く賛同しかねるけれど、「キミの全てを受け入れてやるぜえっ!」なんて鼻息荒く挑んだのに結局逃げ出してしまうって男の場合なら全然わかる話。それって自分の誠実さと無限性を無根拠に信じてしまった結果だと思うんだけれど、そんな傲慢な自分を自覚するためにはそれも必要な行動。
 ただ、charlieの言うとおりその結果が刃傷沙汰になるのはあんまりです。そうならないようにするにはどうしたらよいだろうってことを考える・・・って話に翻訳すると、僕にとってもリアルな話になってきた。

◇みんな思想地図のイベント行くのかあ・・・。大岡山だから近いっちゃ近いけど、あんまり興味ないってか話が難しそうってかみんなどこに惹かれるのかすらわからないって感じ(涙。まあテスト期間中だし、今回は遠慮させていただきます。←個人的な私信に見せかけた気持ちの吐露。

◇『アフロ田中』って、思いっきり対象から逃げて逃げて逃げまくる話だと思う。んで、『稲中』や『僕といっしょ』は必死に逃げようとしても、どうしても対象に向き合わずにはいられないという特徴がある。
 逃げようっていう姿勢はギャグとして現れるんだけれど、『アフロ田中』と『僕といっしょ』(も最終的に)は、逃げた先に何もないことがわかっている。『アフロ田中』は適当なところで済まそうとする。それはそれで自分の身の程がわかっている証拠で、非常にクールな姿勢。一方、『僕といっしょ』はきちんと向き合ってしまう。『僕といっしょ』の最終話には、残酷な現実が待ち受けているわけだが、それでも彼らは対象と向き合わずにはいられない。主人公たちにとっては対象と向き合うことよりも恐ろしいことがあるからだと思う。