web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

就活の合間に

◇やっと説明会やら選考やらに参加し始める。
 アッパーなノリで自己啓発しようとする会社の様子を見るたびに、『Life』の黒幕のことを思い浮かべながら「ワだば黒幕になる!中二病2.0!」と唱えて乗り切る。
 ってかちょっと思ったのは、友達がいっぱいいて、毎日たのしくって充実してて、っていう学校的コミュニケーションを実践する会社こそ、中二病患者に合ってるような気もしてくる。だって中二病ってその中でこそ続けられるわけだし。黒幕が中二病を進化させることができたのも、TBSというアッパーな環境があってのことではないかと思ったりする・・・。→http://www.tbsradio.jp/life/2007/12/lifeinpart2_1.html#more

◇とかいいながら、僕は結構そういう体育会系(?)的ノリについていくことはそんなに苦ではない。っていうか、アッパーなノリを気持ち悪いって思ったら「それ恥ずかしいよ〜w」って嫌味にならない程度に言えばいいんだと思う。さすがに説明会とかでそれやるのはできないけど。

◇『Life』の「愛の告白」外伝パート2。まだ一聴しただけだし、まだ何言ってるのかさっぱりわからないけれども、とりあえずメモ(→http://www.tbsradio.jp/life/2008/02/2008210part9_1.html)。
 セカイ系って言葉、何回説明されてもピンとこない。てか、一神教との違いがさっぱりわからない。「イエス=キリストの御名を通して」世界と触れ合うっていうのはセカイ系??
 もっというと、僕がよく考えるのは、彼女を信仰の対象にするということ。彼女が僕の倫理規範になるってこと。イエス=キリストは死をもって永遠となり、つまり無限となった・・・だから、イエスの御名を通すことは、そのまま世界に向かう意識を持つことになる。だけれども、彼女は有限なものなので、彼女を倫理規範にすれば、どうしても世界からはつまはじきにされる可能性だって出てくる。「彼女の笑顔さえあれば」とか言って彼女に不利益な人を殺しまくるような感じっすね。それって、彼女の実存的な側面「だけ」しか絶対視していないってことになる。
 彼女は社会的な役割を担っている存在で、そういう側面からのみ捉えれば、彼女は交換可能な存在になる。けれども、彼女は実存としては交換不可能。だから実存としての彼女をして、僕らは唯一絶対と呼ぶことができるようになる(その過程は『シガテラ』に実に鋭く描かれている)。
 たしかに、彼女の絶対性は実存からくるものではあるんだけれども、でも彼女は社会的な役割を担わされているという事実を見過ごすこともできない。気持ち的に「ちょーすき」と思って盛り上がったって、やっぱりそういう事実はどうしてもついて回るわけで、つまりそれこそが、「彼女」という「実存と社会的存在の混合体」を信仰の対象にするってことだったりする。

◇あ〜わけわからないね。もうちょっと丁寧に書かなきゃいけないんだけど、眠いから早く書き上げたいのよw

◇イエス=キリストが死んだのは、「実存にして世界」っていう存在になるためだった。でも「社会的な役割を担わされた個人」っていう見方が最初に提示されているのならば、死をもって永遠にならずとも、個人は最初から無限なものにつながっているんではなかろうか・・・?つまり、実存と社会的存在の混合物としての「彼女」を愛するということは、「今ここにいる僕の彼女」を愛すると同時に、「他の人にとっても同様に存在するであろう大切なこと」をも愛することなんじゃないかって思う。

セカイ系ってこういうことなんじゃないのかな?って自分なりの理解を書いてみたんだけど・・・。

◇ネタにマジレス、かこわるい。

◇でもそんなんもういいっす。関係ないけど、僕は太田光をベタに支持してたりします(→http://www.youtube.com/watch?v=eKgUeQWZWl8)。