web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

ATフィールド/徹底的な孤独の享受/交換不可能な個人

◇今日は比較的時間があったので、いろいろなブログを読んで回った。

◇MIYADAI.comブログでたびたび連載する性愛論が気になっていたので、新しいのだけ読んだ(→http://www.miyadai.com/index.php?itemid=605)。これといって新しい発見はなかったけど、正確な分析だと思う。

◇次回は、Mひろくんの言う後期童貞問題につながりそうですね。肉体的には童貞でなくても、セックスしてもATフィールドが解除できない精神的童貞の話に。

◇ATフィールドね、なるほど。「後ろを見せたくない」って感情ですけれども、僕の場合は、絶対に後ろを見せたくないから、ずーっと孤独であることを選択した。
 孤独っていうのには疎外感と同時に全能感があって、大体思春期くらいまでは疎外感を忘れて、全能感だけを加速させつづけられる。「オレには後ろ(弱み)なんかない」というイタイ錯覚を覚えるほど、それは可能なんだけれども、しかし徹底的にそれをやりつづけると、いずれネタ切れしてしまう(『稲中』が途中から妙に孤独になっていくのはまさにそれですね)。ネタ切れしたときが大変で、全能感が全てひっくり返って疎外感になってしまう。「ああみんな偉いなあ。それに比べてなんて僕はダメなんだろう」って。人前に立って誰よりも目立たなきゃ気がすまなかったのに、授業中に先生に当てられたときに顔真っ赤にして声が震えるようになってしまったり。
 とにかくそんな風に、「もう僕は全然ダメだあ」っていう裏返しの自意識みたいなものに耐えられなくなったとき、僕はついに猛烈に彼女が欲しくなった。ようするに、自分で選び取った孤独に耐え切れなくなり、救ってもらいたくなったわけだ。

◇ただ、このmiyadai.comのエントリを読むと、セックスの値打ちが下がって、徹底的に孤独を享受する環境すら残されてないように思えてくる。中途半端に孤独だから、疎外感もそこそこしかない。そもそも、人に「愛に出会えないんです」なんて相談できること自体、全然疎外されてないんじゃないかって気も・・・。いやまあ、可能性としてはそういうことを思わず言ってしまうくらい追い詰められてるってこともありうるんだけどね。

◇えっと、「愛に出会えない」とか「どこかにまだ見ぬイイ女がいるはず」って願望、僕は大嫌いです。だってそれって、彼女の交換可能性を考えることで、孤独ゆえの全能感を保持しようとする態度だと思うから。本当に疎外感に耐え切れなくなったら、全能感なんかいらないから、孤独から救ってもらいたいって考えると思うんだけど・・・。

◇自分で選び取ったはずの孤独ではあるんだけれど、その中の全能感が消え、疎外感しか残らなくなったとき、僕は彼女が欲しくなったと書いた。んで、付き合いはじめたころに怖かったのは、やっぱり彼女の交換可能性だった。あのとき、それが彼女じゃなくて他の女の子だったら、僕はそっちと関係を築いていたんだろう・・・みたいなこと。
 ただし、僕はそのときに、「彼女よりももっとイイ人が」って思ったんじゃなくって、全然逆で、「彼女にとってもっとイイ人が現れたらどうしよう」っていう風に心配したわけ。とりあえず一時的にかもしれないけれども、救ってもらっていたわけだから、「今」はめちゃくちゃ幸せだった。
 問題は、この、幸せだけれども交換可能な関係=いつ壊れてもおかしくない関係をどう保持し続けるかってことだった。 
 そのときに思いついたのが、「時間が関係を強固にしていく」ってこと。絶対の関係ではないかわりに、多くの時間を共有すれば、「僕と彼女は相対的に、他の人よりはこの人と一番時間を過ごしている。だから関係が強固だ」っていう考え方をした。
 まあそれは今でも変わってないけれども、即効性って意味では問題がある。
 そこでもうひとつ思ったのが、もうめちゃくちゃ当たり前のことで、実存としての彼女は交換不可能だってこと。つまり『シガテラ』6巻の荻野くんがたどり着いた結論「不幸になるまでがんばる!!!」ってヤツですね。
 幸せが壊れるかもっていう不安に怯え、自らこの幸せな状況を捨ててしまおうかと思ったとき、僕はこの言葉の通りのことを思った。今はとりあえず不幸にはなっていない。だから、「不幸が訪れる直前まで、僕は君を超幸せにする」。そこには、とりあえず少なくとも、今の僕にとっては交換不可能な彼女がいる。だからこそ交換不可能であるという考え通り、彼女を絶対と認識して接しようと決意したわけだ。

◇結構このとき思ったのは、「ああ、そうやっていいんだ」っていう気持ちだった。「個人を絶対視してもいいんだ」っていう気分。なんとな〜く「個人っていうのは社会的に交換可能なんです」って言うことが、正しいとかカッコイイとか頭いいとか現実見えてるみたいなことを感じてしまっていたんだけれども、そればっか言うってのも、それはそれでめちゃくちゃ頭悪いんじゃないかってことに気がついた瞬間でもあった。