web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

いろんなものの感想

◇今週のヤンマガより。
 『赤灯えれじい』が最終回だったんだけど、それに関しては特に何もありません。ってか、スゴイのはやっぱ『カテキン』で、悲惨な童貞喪失体験と、そこからの脱出をものすごく鮮やかに書いてると思う。もっと丁寧にやって欲しい気もするけれど、でもすごくラフな感じでペンをガンガン走らせてるからこそ、すごく濃縮されてイイと思った。

◇スピリッツに関して言えば。
 やっぱ『アフロ田中』かなあ。マッサージ台にうつぶせになるとき、顔をつける穴(?)みたいのがあるんだけれど、あれを下からのアングルで撮って表情を描くっていう想像力はすごく冷静だと思う。だって、多分あれって誰も見たことない顔だと思うし、おそらくのりつけ正春自身の体験取材に起因してるものだろうから、それを第三者の視点で眺めて「物凄くおかしなことだなあ」と思える感覚ってものすごく冷めてる。

◇「笑い」は絶対的にそこにあるものではなく、かといって作り上げるものでもない。強いて言えば見出されるもの。それは「美」みたいな概念に比べて、割と昔からみんなが知っていた事実だったようにも思える。

◇山下望監督『世界・人類・平和』を見た。<ネタバレ注意>
 映画はおろか、他のジャンルも特に知らない僕は、なんにせよ共感できるか否かでしか作品を観れない。というわけでこの作品はどうかというと、すごく共感した。まだ一度見ただけだけだし、監督(巨匠)のテーマ性(?)なり世界観(?)なりを根本から勘違いしてる可能性の方が高いけれど。
 山下監督は僕の一コ上だから、多分9・11の時は大学受験を来春に控えていたと思うんだけど・・・ん?合ってる?てか、様々な妄想を膨らましても、その妄想の中ですら大事を起こすわけじゃなし、自分のおもちゃ(多分、映画を撮るっていうこと)を手に入れて、でもそれすら妄想の中で終わる可能性があるっていう、身につまされる感覚があった。
 僕自身は、大学受験やだなあと思って9・11で不謹慎ながらちょっとワクワクして、でも「変わるわけない」ってのも分かってて、そうしてどこに逃げようかって思ってちょこっと小説書いたり歌歌ったりしてたら、金原ひとみと綿谷りさが芥川賞とって、僕はやることがなくなって逃げ切れずに受験したわけで、そういった記憶がばばばーっとフラッシュバックしてしまった。
 普段はユーモラスな寡黙さを湛える山下監督で、こないだも全くヒップホップの話をせずに終わったけれどw、この作品を観て勝手に親近感沸かしたりした。

◇『アラザル』より。
 僕は活字が苦手なので、というかまあ、座って本を読むと寝てしまうので、通学時間しかアラザルを読んでないんだけど、ざざっと目を通した感じ、近藤久志『chelfitchのこと』と西田博至『TO BE,OR NOT TO BE』から読みたいと思ってる。「普通に」って言ったら変な言い方になるけど、普通に分析を読ませるって、鋭さと歯切れのよさっていう点を考えるだけでもすごく大変なことだと思うんですが、それをかなり高いレベルでやってるので迫力に気圧される。

◇ヒップホップって、実は単語を羅列するだけのリリックでも成り立つ。それってカメラアイみたいなもんで、たとえ無作為な単語の羅列でも、その単語が選ばれ、ラップされる背景みたいなものを、勝手に受け手の側が読み取ることが出来る。そうした背景イメージを操作するための補助として、作り手側は単語にちょっとした形容詞付け加えたりもする。