web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

嫌文化系女子メモ。他。

◇8月2日に法政大学で行われるイベント、『ゼロからはじめる「文学」、あるいは「小説」』(→http://d.hatena.ne.jp/inamo-dereda/20080717)に行きたいかも。彼女も仲俣さんファンだしw
 ホントに状況も前提もなんも知らずに書きますが、文学の言葉って、分析的・説明的な言葉みたいなのがメタ視点に立ってるのに対して、状況を隣にあるものとして語る言葉っていうこと?でも、例えばまあ社会学みたいなのが槍玉にあげられるけど、そういう社会学的な分析が記述されていたときに、そこに何か文学的な読み方をするっていう姿勢はやっぱりあったと思う。そうしたことと、いわゆる文学の言葉ってどう違うのかなって、素人考えなんですけど、思います。
 あと、文学が志向するのが、そのメッセージ性とか作品の社会的意義とかじゃなくて、むしろ強度であるとした場合、「今必要なのは社会学じゃなくて文学だ」っていう視点自体がなんか社会学的なんでないかい?なんて思ったり。ま、社会的な要請を受けてメッセージをこめようとして、そんで結果として強度の高いものを生むっていうのも、多分文学への大きなモチベーションになってるんだろうけれど。

◇やっぱ口口口(クチロロ)は、強度の高いものを目指すっていうのがモチベーションになっているような気がする。その辺が、最近ではjustarobberとかをやってるいとうせいこうと重なるところなのかもしんない→http://www.10do.jp/ooo/blog/index.php
 僕は前のエントリで、口口口をhiphop目線で考えてしまったけど、それはもしかしたらそうじゃなくて、先人達の築き上げてきた文法とか技法を用いて、良質なポップミュージックをやろうとして更新した結果のように思えてくる。

文化系女子における「自分ブランディング」の三要素を考えてみたんだけど、「キメない・コビない・ゆるがない」なんじゃないかって思う。
 常に自然体で、男の前で態度が変わったりすることもなく、そしてブレがない。多分そこには、男性を過剰に敵視しがちなフェミニストへの同性からの嫌悪感とかも前提としてあって、結構女性性も持ちつつ、だけれども男性に隷属してるわけじゃありませんよ的な姿勢を持ちながら、男女問わず愛される感じを追及してるんだと思う。合コンで気合入れて必死になったり、あるいは男性に負けまいとムキになったりっていうのは、文化系女子の纏いたくないキーワードかもしれない。「必死」「ムキになる」はNGだと。例えば辛酸なめ子さん(http://www.tbsradio.jp/life/2008/04/part1_15.html)なんかが、「ゆっくりしゃべる」「男性ウケを狙ってなさそう」「ユーモアがある」という要素をしっかり抑えて、文化系女子の中でかなり高評価なのはわかる。

文化系女子的に「モテる」っていうのは、老若男女問わず幅広くモテることで、野獣系ギャルみたいにイケメンにピンポイントでアピールすることによって同性の他部族や元ギャルたちからの恨みを買うようなことはしない。そんな風に見える。
 確かに、キャンパス内でけたたましい雄たけびをあげ、いっつもキメ顔で歩いてる女の子なんか見ると、僕は憤りを爆笑に変えてその瞬間をやり過ごすw。でも、文化系女子みたいな男女問わず誰からも好かれようと思ってる人間は、それと同じか、あるいは自分の方がヤツラより上のレベルに行ってると思ってる分、もっと性質が悪いんじゃなかろうかと思ったり。
 だっておんなじでしょ。文化系女子は結局のところ、自然にカワイイ振る舞いが出来ないからちょっとナナメ目線になってしまうってだけなんじゃないんすか?自分のことをカワイイと思えないし、カワイコぶってる自分を客観視してしまう。そうしたことの裏返しとして、なんの衒いもなくカワイイ行為をしている女の子を嫌い、一発逆転を狙うのではないか・・・。
 その根底にあるのは、多分嫌われるのが怖いっていう感覚。自分を自分でカワイイとは思えないけど、そんな可愛くない自分を嫌わないでくださいっていう。ただ、その恐怖から逃れようとして世界の全てから受け入れてもらおうとしても、それは死ぬしかないんじゃないかっていうのが僕の考え。古谷実ヒミズ』を読んでいただければわかりやすいかと。
 生きることを選択する以上、どこかからは受け入れられ、どこかからは跳ね除けられる。そうしたことを前提にするというのが、まあつまりオトナになるということだけれど(それにしても、オトナ女子ってなんだよ!!wオトナじゃないじゃんw!!)、自分には嫌な部分もあればイイ部分もあるし、そうしたことの中に女という性もあって、っていう風に考えられることが一番カッコイイんじゃないかって思います。『シガテラ』のさわやかさです。

◇ところで、本田由紀先生は魅力的です。本田由紀先生は、「早口」「必死」「すぐムキになる」。

 けれども、とってもカワイイ。文化系女子的要素を排しているにも関わらず、文化系女子の思い描く成功を収めている人だと思う。こういうのを自然体と呼び、男女の区別なく話す、ということじゃないかと(文化系女子にウケるかは微妙なとこだけど)。
 本田先生になぜそれが出来るのかというと、それはひとえに、自分の思い通りに動いてくれない世の中に対して、ないものねだりせずに手持ちの武器で挑んでいるからじゃないかなって思ったりする。

 それはつまり、真摯だということ。
 「自分ブランディング」しようとして失敗したときに、それを失敗と認めようとしない人は真摯とは言えない。自分の思い描いた自分像の通りに見てくれない周りを非難する。見て欲しい自分と実際に見られている自分の間のギャップを「しょうがない」と受け入れる人を、僕は真摯な人と呼ぶ。しょうもない自分を受け入れた瞬間から、本当の意味での自然体(個性を得る)になれるんじゃないかと思う。

◇今全部読み返したけど、これは正確に言えば文化系女子ワナビーの話ですね。天然モノで文化系女子とされる人は真摯な人が多いと思う。問題は、いちいち文化系女子というジャンル分けをしようとする人の存在。