就活/『ヒメアノ〜ル』
◇ひさびさの面接だった。16時半からだったんだけど、朝起きてからずーっとキンチョーしっぱなし。なぜか僕はキンチョーするとあくびが出るという性質があって、なんとなく朦朧としたまま日比谷へw。
面接が始まって話し出すと目が覚めてくるってのが普段の感じなんだけれど、今日はひさびさだからか全く冴えない・・・。帰宅途中に質問されたことと受け答えを反芻していたら、そういえば今日僕は面接で恋バナをしていたことに気付き、急に赤面。そりゃないよ〜。それは飲み屋でする話だよ・・・。
◇それにしても僕が目指す理想の社会人は、『文化系トークラジオLife』の黒幕なのだ(→「Life公開ゼミin早稲田」http://www.tbsradio.jp/life/2007/12/lifeinpart2_1.html)。
つまり、与えられた仕事をルーティン・ワークと捉え、自分のやりたい仕事をソウル・ワーク(←造語)と捉えるならば、黒幕はその二つをとても有意義に使っていると思う。ルーティン・ワークとは、独力では気がつかなかった自分を発見できるもの。とりあえず咀嚼してみる姿勢をとることで、自分で自分を規定することの不毛さを知る。んで、ソウル・ワークはそれとは全く別に自分の中で進行させておいて、そのアウトプットは、web2.0な総表現社会の中で試みるという手もあるわけだ。だけど黒幕がいいのは、そこでルーティン・ワークとソウル・ワークを折衷させている点。おそらくそれは恵まれているといえばそうだし、自分でそうした環境を作ったともいえるんだと思う。
やっぱ理想的な職業環境って、こうした折衷型のアウトプットが出来るところだろうなあって。そうした環境を作るには、少なくとも個人の積極性は不可欠かなって思う。
◇古谷実『ヒメアノ〜ル』(今日発売のヤンマガ)。久々の古谷実についてのメモ。
段々わかってきたのは、狂気を抱えてしまう人も居る中で「幸せ」をどれだけ共有できるのか、みたいなものがテーマになってきてるってこと。
運の悪い事に 人の血を飲む事や内蔵をモミモミする事にしか欲情できない人もいる・・・(シガテラ5巻)
つまり「自分の幸せをまず最初に考え、それがとりあえずの安心を担保できたら他の人の幸せも考えよう」というのが主人公荻野くんがたどり着いた一応の結論だったわけだけれど、幸せの基準が全然違う人と隣り合って暮らすにはどうしたらいいだろう、っていうことなんだと思う。
それにしても、そろそろ単行本が出てもいい頃だとは思うんだけど・・・。
◇面接の質問って、その後ろ側にどのような意図が隠されているかを見通さなければならないと思うんだけど、今日は面接を終えてから気がつくことが多かった・・・。
ところで、「この質問はこういう意図で出しているんですが」っていう前置きをしないのはなぜだろう?就職試験対策の本とか読んでも、そのほとんどが、面接の質問形式とその意図の説明に終始している。
あ、そうか。論理的思考力+αの、「+α」の部分に、空気を読む力や、会話のストックってのが入ってくるっていうことか。でもそうすると、こういう面接の質問方法では、コミュニケーション術に長けた人の方が、論理的な考え方ができる人より有利なような気がする。あ〜でもそもそも面接はそこを見るためのものか。論理的思考力は筆記とかで見るからいいのか。
とすると、面接のみの選考で決める企業が欲しがる人材っていうのは、一にも二にもコミュニケーション能力で、そこに論理的思考力は要りませんよってことか!!いやそうなのか・・・?ちょっと結論を急ぎすぎてないか??
違うぞって思ったりした方、教えていただけたらありがたいです。ブログはこうやって他の人の反応を見ながら使うもんだと思ってるので。