web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

女子と男子と童貞で

文化系女子(童貞女子)論の最前線と言っていいと思う→http://d.hatena.ne.jp/gohanzora/20081210。とある文化系女子による映画版『俺たちに明日はないッス』評。

◇このエントリで示されている大切な視点は、「やっぱりどう考えても童貞女子って変な言葉」っていうこと。女子って言葉の中には「処女性」=「母性」も含まれていて、それはその時点で既にひとつの完成形だったりする。でも童貞っていうのは、本質的に「飢餓感」を伴っている言葉で、受け入れてもらわない限り満たされないような精神を指す。だから、「童貞」かつ「女子」っていうのは明らかに矛盾してる・・・。
 「童貞」と「女子」がくっつくと、「飢餓感を常に持っている状態をして充足と呼ぶ」みたいな事態に陥る。例えば童貞男子の僕のブログが「ここ間違ってるかな?合ってる?」って自信なさげなのに対して、童貞女子のブログははっきり断言することができる。にもかかわらず何かに対する飢餓感はあって、ブログを書き続ける。これはつまり、僕は結局誰かからの承認がなくては不安で、童貞女子は飢餓感があるにも関わらず他者からの承認は必要としていない(かのような印象を受ける)っていう基本的な姿勢の違いなんだと思う*1。「じゃあ何に対する飢餓感なの?」っていう疑問に、童貞女子であるid:gohanzoraさんは答えを用意している。このくだり結構迫力ある。

童貞女子の演出されない『母性』、無意識の『母性』、彼ら(文化系童貞男子)が望む以上の、圧倒的な『母性』の存在。あたりまえのはずなのに、童貞という意識が邪魔をして、声高に言えない私に自信を与えてくれるはずなのです。私は、この演出されない、無意識の、圧倒的な『母性』を持っている女性こそに嫉妬を覚え、そして憧れます。

*2
つまり、童貞女子の童貞たるゆえんは、「女子」or(大文字の)「女性」に対するコンプレックスなのではないだろうか。そしてそこに出てくる男子は、童貞女子に「受け入れる」という自信を植えつける存在。
 これは、正しい。ここでは男子が女子に対してある種の承認(の前段階)を用意していて、奇妙に原作『俺たちに明日はないッス』のトランス・セクシャルものに通じていたりもする*3。男子は女子へのコンプレックスから直接女子からの承認を求める。女子のコンプレックスはより女性的な存在に対して抱かれ、それは間接的に男子からの承認を得ることで、あとは自分で解消へ向かっていく。
 じゃあ完璧母性的な女性って、誰も必要としてないの?って言ったら、多分そうだと思う。孤独の中に全能感しかない状況だから、円満な幸福の世界に入り込んでると思う。

◇男子も女子も、童貞ならみんなひざまずいてしまう「女子」!!!!

*1:大体、他者他者うるさいのは男子だ

*2:この部分を読んで、なるほどid:mamiamamiyaさんがid:amiyoshidaさんを熱烈かつ執拗wに追いかけるのはこういうことか、と思ったりもするのですがw

*3:おそらくタナダユキは映画をトランス・セクシャルものとして描いてはいないだろうけれど、でも確かにそこを感覚しているんだろうってことが分かってくる・・・