web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前7時。寝耳に染み入る淡い声、うつらうつら夢現。

◇朝の電話は、寝ぼけていてほとんど内容は覚えてないんだけど、それでも会話になってるから不思議ですw*1

アラザル2の『童貞論』について、MasaruSさんがブログ「僕のラジオに手を出すな」にて感想を書いてくださった!! web上に現存する唯一の感想なので、すっごい嬉しいっす→http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-789e.html。ていうか、こんなに丁寧に読んでくださると、嬉しいだけでなく、本当に助かる。次を考えやすくなるんです。ありがとうございます!!

◇てなわけで、そろそろ僕自身、アラザルのページを捲りながら『童貞論』の感想を。
 一言でいって、まず変な文章。どんな類の「変」かというと、それは多分スピリッツ連載中の『土竜の唄』を読んだときに近い。いや、これはちょっと高橋のぼる先生に失礼だし、非常に恐れ多い発言ではありますが、しかし僕は自画自賛の意をこめて、そう思ってしまう。
 何かが余計で過剰。んでそのためにどこかが欠けていて、硬い。反対かもしんない。どこかが欠けているから、過剰になるのかもしんない。変なところに力がこもっててなめらかに読めない文章になってしまうというのは、つまり下手だということで(意図的である場合を除く)、これはもう残酷なまでに読書・文筆量の乏しさを物語っているわけだけど、しかし、僕はそういうへたくそな今しか醸すことのできない、異様な熱量を孕む文章を書くことには成功したんじゃないだろうか、なんて思っている。
 だって、自分で『童貞論』を読みながら、「コイツこれ狙ってんのかなw、いや、やっぱマジなのかなw」とか失笑してするし。そして今となってはその辺りがどうにもよくわからなかったりもする。どうやらマジで書いてるっぽいところはあるんだけど、どうにも間が抜けていて、しかもその間が抜けてる気がしながらも、意図的に無視してマジで突っ切っていくようなところがある。いや、ちがうかも。もうホントわっかんない。
 でも、自分の文章を読んで、僕はなんだか感動したよ。

◇あ、これ、論理的に虚弱なところを突っ込まれたときの逃げ道を作ってるわけじゃないからね。論の展開の仕方についての話をしてるだけです。本論の主張について、反論とかそういうのは全然受けて立つつもりなわけで、いただけたらすっごい嬉しいです。

◇おっかなびっくり車を運転しながら、今日で一週間。車社会とネット社会って似てるなあとか思いつつ、『アメリカン・グラフィティ』を観た。車に乗ったり、ネットをやったりすることで、外の世界をヴァーチャルに作り変えていく。その外側を気にかけながら過ごす一瞬ってのが、まさしくノスタルジーとして懐古される青春なんではないかなって思う。

tumblrはヤバイっすね。はてなは「あのねあのね」って語る感じがあるけど、tumblrってもっと個人的w 自分で作って自分で愛でる。今ちょっとはまってしまってますよ。なんというか、web空間を、世界と繋がってる・世界にむけて発信してるって捉えるよりも、世界の中から切り取っておくって捉える力が強い。

*1:この後、会話にはなっていないとお叱りを受けたww