web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後6時。朱い川沿いに影が伸びる、日々を風がいとおしむ。

◇彼女と奈々ちゃん(彼女んちの柴犬)でお散歩に。昼間の汗ばんだ肌を風がさらさらとかわかしていく。月曜日から始まる僕の新生活に、彼女はどうにも落ち着かない気持ちになってしまったらしい。そして僕はその気持ちをすっごく理解できたのだった。環境が、変わるのだ。彼女と連続させてきた時間の最前線たる今が、月曜からの未来とうまく接続できないでいる。しかし、環境が変わったところで、もう僕は変わらないのだ。意外に強靭で図太いから、大丈夫だ。

◇昼間は南町田の109シネマへ。『グラン・トリノ』。クリント・イーストウッドは「気高いアメリカ」の受け渡し先を、真剣に考えまくってる。テレビドラマっぽい演出に、僕はそんなに感情移入しないだろうと思ってたけど、気付いたら号泣していた。だって、やっぱしっかりツボ抑えてるんだもん。まったく、イーストウッドは誰よりもヒーローを知ってるヒーローなんだなあ。

◇グラントリノを観た後、彼女のヴィッツで帰る。免許を取って2週間が経つ。

◇この前、松江哲明監督の最新作『あんにょん由美香』の試写会に行ってきたのだ。アダルトビデオが発見した天才女優林由美香と、彼女と時を共有した人々を、ひとりひとり追っていく。林由美香と謎の韓国Vシネ、林由美香松江哲明林由美香カンパニー松尾林由美香いまおかしんじ林由美香平野勝之・・・。不在の林由美香を軸に描き出される人間模様は、ひとつひとつがちょっとないくらい濃密なものになっていて、それらをまとめて観た僕は、もうへとへとだった。そして、まだもう数度は見なければならないと思った。しかしこんなにも濃密な関係を次々映し出していくとは。公開が7月上旬からだそうだけど、ポレポレ東中野だけってちょっと苦しいかも・・・。

アラザル2の原稿をまず二つ読んだ。近藤久志『『われらが歌うとき』まで』と、西田博至『一柳慧のいる透視図』。いずれも、これを読み終えてから「さて、僕はどうする?」と立ち返っていることに気付く。リチャード・パワーズの著作とがっぷり四つに組みながら、あるいは一柳慧とその周りに確実にあった匂いを立ち上がらせながら、そしてそこにはそれを書くその人がしっかりと刻み込まれている。「言葉は物質性を持たせなければ現れることができない」というのは大谷さんがインタビューの中でおっしゃっていたことだけれど、つまり、「書くこと」と「刻むこと」は同義で、そしてこれらはそういう原稿なのだ。だからこそ、読む人がもういちど「自分」に立ち返る。