web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

カンガルーを眺めながら、早い夕暮れを感じている。

◇富士サファリパーク。カンガルーって手足の長さの比率が人間とけっこう近い。そして指がよく動く。おなかや背中を掻くとき、短い前足、つまり手を使用するし、さらにそれが指の動きだけで掻くやつも居て、どうにもリアルな不気味さが楽しい。寝姿などはジャッカルの頭を持った人間に見えてくる。メスを追っかけ、腰を掴むときの手つきもいやらしかった。「オヤジ」の祖先はカンガルーだったんじゃないだろうか。そんなことを思いながら、僕と彼女と友人カップルは言葉少なに夕方の涼しい風を感じていた。

◇そろそろエロ本にポエムをつける時期だ(もう(笑)はつけないよw)。何書こっかな〜。

◇文章を書きたいって欲求は、人と話をしたいって欲求と、リンクしつつもまた微妙にズレてる気がする。
 こないだアラザルで講評会なんてことを行ったのだけれど、しっかり論の主旨を理解してくださってる方がいると、たしかに「伝わってる」ことへの悦びを感じる。いやしかし、でも書いてるときって正直そんなこと考えただろうか。僕の文章は伝わりやすいようにってことを考えて平易な言葉遣いになったわけではなく、僕が一番書きやすく、一番快感を覚えやすい文章で書いていたわけで、「書くこと」はどこまでも個人的な行為な気もしてくる。けれど、それは同時に「読者」として想定されているのが「自分」だということでもあるのかもしれない。「書くこと」と「自分を他者化する作業」が、すっごく近いような気がするんだよなあ。

◇かつて物語を欲していた日本のヒップホップ。「物語を欲する」ことを逆手にとってやりづらさに変換したスチャダラパー。そして、格差社会やらファスト風土やらなんでもいいんだけど、とにかく自分たちを語る言葉が用意されはじめた昨今、「現代・日本」のナカグロが薄くなってきているような。やっぱり僕は「ナカグロを取り払うための物語」に未だに感動してしまうんだけれど、環ROYとか見てると、ニュートラルに今を語ってるので、うれしくなってくる。だって、フリースタイルのレベルの総体がここまであがったのって、そういうことなんじゃないかな。