web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後五時。湿気の少ない風、夏あと少し。

◇風さえあれば、もうホントに全然暑くない。クーラーのない我が家の電気代は、毎月2000円に満たない。

◇市民プール、本日は小学生まで無料の日。夏休みにも関わらず、思ったより子供が少なかったのは、たまった宿題のせいかもしれない。

◇給料日後の週末ということで、僕ら夫婦と義父母でちょっと高めの焼き肉屋さんへ。お父さんも食べなくなったし、僕も食べなくなった。いいものを少量食べれば満足。昔、引越のアルバイトをしていたとき、社員さんの持論が結構面白かった。何肉を食べたいかは、その人の体力に関わる。要は、殺せる動物の肉を食べたくなるってことで、牛を殺す体力のあるヤツは牛肉が食べられるし、豚を殺せるヤツは豚肉が食える。鳥、魚ときて、最後は米と野菜になる。なるほどと思った。

◇今まで、自分の中でまとまっていないことをまとめるために文章を書いていた。日記サイトにはじまって、今やってるブログもアラザルも全部そう。だけど、もう結構まとまっていることを、改めて言葉にするというのも必要かもと思ったり。どっかできちんとやってみよう。
 童貞とか自意識のこととかは、くだらなくて取るに足らない話題で、にも関わらず僕は切実に悩んでいた。特にこの辺りの話は僕自身が救われるために書いていたようなものだった。そういうくだらなくてどうでもいい問題って、当事者でなければ書かないわけで、その逡巡を終えた人はもう話題にもしない。個人で解決するほか無い問題だからそれは正しいとは思うのだけれど、でも、周りの状況を眺めるに、段々と楽観視できる状況ではいられなくなっている気がする。その逡巡とともに暴れている奴らは、どんどんネット的なつながりで全能感を広げてるんじゃないか、なんて危惧もある。そんなん無視して大丈夫、という大人な態度が正しいのかもしれないけれど、僕はそうだったらいいけれど、とちょっと怖くなっているのもたしか。

◇チリ炭鉱事故のニュース。自分がその状況に置かれることを想像すると、ホントに怖くなる。気を抜けば世界から切り離されてる感覚に陥って、目に映る現実が世界の全てであるかのように錯覚しちゃうかもしれない。そこが「唯一絶対」の状況になって、閉塞感を覚えるってこと。

◇童貞の悩みって、セックスできない悩みじゃない。世界征服についての葛藤。

◇「唯一絶対」って、童貞が欲する概念だったはず。世界で唯一無二の存在になること。世界のありようが、自分のイメージ通りになっていること。
 でも自覚的に「唯一絶対」を目指すこと自体矛盾していて、そもそも唯一絶対の人ってのは自分が唯一かどうかなんて考えてない。疑う発想すらない。つまり、唯一絶対を目指してる時点で、それは自分の把握しきれない世界の広さを前提としていて、負けることは自明だったりするわけだ。
 童貞は世界認識を誤っているわけではけしてない。むしろ、正しい世界認識ができてしまうがゆえに悩み苦しむのが童貞だったりする。自分が世界と等価足り得ないことが、どんどんわかってきてしまう。
 ここで、童貞の倫理が試される。把握できないくらい広い世界を相手に、どちらかが負けるまで闘いを挑み続けるか、あるいは把握出来る世界をのみ世界と勝手に認定して、負けないようなゲームボードを作りあげるか。もちろん前者の姿勢の方が倫理的だとは思うわけだけれども、でも、後者のような負けないゲームボードを設定するのも、結局世界の広さを前提にしているわけで、ホントにそのゲームが世界の全てになってしまったら、「ビビる(by外山恒一)」わけだ。
 肥大した自意識の話で説明すると、「見られたい自分像」と実際に「周りの目に映る自分像」は、いつも一致するわけではない。しかし、その一致しないことに不安を覚えるのが童貞だということになる。本当はその自分像の乖離にこそ世界の広さがあるわけだけれども、暴力的なまでの世界の広さを恐れ、ついつい引きこもって自分で自分を慰めたり、自分の望む自分像の通りに見てくれる人だけを身の回りに置くのが、童貞の不誠実さだったりする。

◇さて、そんな童貞たちが最終的に望むところというのは、実は乏しい世界だということがわかる。目に見えるものだけが世界の全てになってしまう。僕はあの炭鉱のシェルターに、童貞の理想とする世界のイメージを見てしまい、必要以上に慄いてしまったのだった。あれは怖い。今まで暮らしの中にあった家族や共同体や太陽の光など、そういった世界の全てがバーチャルになって、目の前にある現実がリアルになってしまう。ああゆうときの臨床心理学的対症法って、どうなっているんだろう。とにかく、これからも無事を祈るばかり。