web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後3時。台所の曇り硝子と青白い冬の陽光。

◇遅い昼食の後片付けも一段落。妻はこたつでしばし休憩中。

◇と思ったら、トランプで遊ぼうと言う。最近我が家では大貧民やセブンブリッジのブームが巻き起こっている。

◇昨日の水泳は45分1800メートル。土曜日にも関わらず人が少なかったので、もしや2000メートル達成できるかと思ったのだがなかなかそうもいかない。10往復、つまり500メートル泳いだときにインターバルを入れてしまったので後半が詰まって時間切れ。2000メートルを目指すには、体力配分もネックになってくる。

菊地成孔大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』を読みながら、リズムの訛りについて勉強。訛りが起きるのは、複数秩序の単線的叙述、つまり二つ以上の異なった秩序を強引に同じレイヤーに乗っけたときに起きる現象なのだという。なるほど、いわゆる訛りというのは、例えば方言と共通語という異なる秩序を一つの口から発するときに起きる現象なわけで、音の上だけでなくリズムの上でもそれは起きている。
 ラップとトラックの関係についていつも思うのは、ラップのリズムはラッパーの時間に依拠するところが大きく、トラックはBPMに依拠しているということ。少なくとも語りに近いレベルまで個人の口語の速度に近づけた歌唱法であるラップは、単語ひとつとっても個人の身体に即した速度で再生される。内的な速度というのは伸び縮みする。一曲の最初から最後まで一定であるはずがない。しかしBPMというデジタル管理された伸び縮みのない速度が用意されたとき、ラッパーは二つの時間の間で揺れる。あるいは、サンプリングで作るトラックの場合などは、そのトラック自体が音ネタとドラムループの間に微妙なズレを発生させている。そのズレをそのまま受け取ってラップすることも、訛りの発生要因になる。字余りや字足らずがグルーヴィだと思うのは、こういうことなのかもしれない。

◇と言いながら、リリックを書く。少し遅めのBPMだと、自分の口語の速度を自覚しやすい。忙しいときに時間に振り回されている気分になって、暇なときに時間を持て余す感じに似てて面白い。持て余さずに、自分の速度でラップできるか。

◇こんぐらいリズムを自分のものにしてみたい。