web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後9時半。寝息のユニゾン。

◇息子を寝かしつけている最中に、ふと振り返ると妻も寝ていた。寝顔がよく似ている。
 日曜日の夜はなんとなく夜更かしをしたいので、ふたりを起こさないようにPCの前まで戻る。いくつか溜まった音楽を聴いたりエロ動画を見たりしているうちに、自分でも驚くほど早い時間に眠くなってしまった。苦心して手に入れたハートランドも飲まないで、布団に戻ることにした。

◇久々の水泳は45分1850メートル。腕が痛い。

CLSCmise(Mise Colvics)さんの運営する日本語ラップ情報サイト『2Dcolvics』(http://blog.livedoor.jp/colvics/)にて、日本語ラップの2011年ベストを選ばせていただいた。
 CDからアナログ、フリーミックステープまで、とにかく今年リリースされた日本語ラップというくくりの中でランキングを作成するという企画主旨が大変面白いのだけれど、いざやってみると非常に骨が折れる。何しろ、楽曲の並びのみで批評性を持たせなければいけないのである。そういえば、ランキングを作るということ自体、中学の頃やった好きな女の子ランキング以来だなあと思いながら、この難題に取り組んだ。

◇ラップは音楽的な技法のひとつだが、喋り言葉に近いという特徴を持っていることから、社会的な側面を強めることが宿命づけられている。ラップをその重要要素に定めるヒップホップは、メロディやリズムなどの要素と同様に、社会性もその音楽を構成する要素のひとつに数える。その意味において、ヒップホップはシーンというものに対して、他の音楽よりも多少なりとも意識的で有らざるを得ないかもしれない。
 ただ、シーンとは、ある線を境にして内と外とをはっきり分けるものなのではなくて、ある点の発した色と、隣の点の発した色が互いに影響し合いながら総体がグラデーションをなしていくようなものである。例えばあるところにはスチャダラパーが居て、あるところにはボスが居て、あるところにはクレバが居る。彼らは独自に自身の色を放ちながらその周囲に影響力を及ぼしており、僕らは彼らラッパー全員の彩る模様を見て、日本語ラップシーンの現状を観察する。
 つまり、ラッパー自身が各々の問題意識からラップをすること自体が、そのままシーンの形成に直結するのである。自分自身が今シーンの内側に居るか否かを問う必要は全くなく、むしろそれに怯えることをこそ、僕はセルアウトと呼びたい。
 そういったわけで、自分の問題意識にしっかりと取り組んだラップをする、というのを最低限の条件にしたうえで、彼らの影響力を順位に反映させていただいた。もちろん影響力とは、物理的に何人の賛同を得るかということだけではなく、音楽自体の面白さやリリックの面白さということも全て加味したものである。

2011 BEST ALBUMs In 日本語ラップ(Selected by 安東三)
 まず、10位と1位を最初に決めた。いわば日本語ラップシーン全体を背負うような格好になっているseedaは、海外から最先端の音を輸入しつつも見事に血肉化したラップを響かせるが、パブリック娘。は日本語ラップシーンという意識とはおよそ無縁なところで、ラップ自体が持っているプリミティヴな魅力を存分に聴かせている。この二者を平面上の両極と定め、今年の日本語ラップの立体的な像を立ち上げたい。
 9位のkakatoは、環ロイと鎮座ドープネスというフリースタイル巧者の即興的快楽を、カラオケという密室空間を聴き手とともに共有することによって見事に再現している。反対に、トラックとラップの相乗効果によって空間を支配することに成功したのはsick team(8位)で、おそらく今年最もスタイリッシュな完成度を持っていたのはこのアルバムだった。7位のサイプレス上野とロベルト吉野は、持ち前の爽やかさと相変わらず切れ味抜群のアイデア&レトリックを駆使しつつ、実はフロウのバリエーションも増やしており、まだまだ懐の深さがある。アナーキー(6位)を聴いて気がついたことは、泥臭さと器用さは矛盾しないということだった。声の調子はあまり変えずとも、リリックの書き方によってここまで様々な表情が出て来るのか、という驚きがあった。元々アナーキーはラップのメッセージについて非常に聡明な見解を持っており、その分析の鋭さを証明するアルバムに仕上がっている。
 5位はmoment。韓国語と英語と日本語のスイッチを成り立たせているのは、三ヶ国語をまたがる韻である。意外に言葉を詰め込み過ぎないフロウだが、にも関わらず複雑な揺らぎを聴かせるのは、異なる言語間で踏まれた韻のグルーヴだからなのかもしれない。今後もさらに独自のグルーヴを刻んでいくだろうと思う。日本語について別角度から腑分けしているのは4位のクチロロである。音が言葉として像を結ぶまでを音楽空間のなかで再現した『あたらしいたましい』は、PVも見事にビジュアル化されていて舌を巻く。耳が単語を受け取る速度を変えたのはラップだったろうけれど、今回のクチロロの作品はその速度の制御に挑んでいる。3位のmintは、軽いにも関わらず奥行きのある音楽としてのラップを存分に聴かせてくれる。それがメッセージであろうと言葉遊びであろうと、ラップされた時点で、僕らは音楽的になんらかの高揚を促される。『yeahでごまかしてる』すらアゲアゲにリミックスされてしまうこの肌触りはイルリメにも通じるけれど、多分ミンちゃんの方が振り切ってる。一番驚いたのはECD(2位)だった。おそらくタイトルの『DON'T WORRY BE DADDY』の一言に集約されてしまうのだけれど、年を取って体力が落ち、しかしそのかわりに獲得されていく迫力をダイレクトに反映させることができるほど、ECDの生活はラップされ続けている。原発デモ中のパフォーマンスもレコーディングも、全く同じ強度を保ったまま聴かせてしまう凄みは、そういうことなのかもしれない。1位のパブリック娘。は僕が今一番推したいアーティスト。一位に選んだ理由は、彼らのラップを聴いていると自分もラップしたくなる、ということに尽きる。このシンプルな感情を呼び起こす才能こそが、ラップ・ミュージックに最も大切なものであり、かつ得難いものでもあるように思える。パブリック娘。の具体的な楽曲についての言及はこちらを→http://d.hatena.ne.jp/andoh3/20111107

◇それから、2011 BEST on YouTube In 日本語ラップ (Selected by 安東三)というのも選んでみたので、こちらもよろしければご覧ください。

◇そうそう、僕はシーンという呼び方は別に良いと思うのだけれども、クラスタという呼び方にはちょっと違和感を覚えたりする。

◇昨日、土曜日は息子の予防接種に。初めての三種混合とHibの同時摂取だったが、思ったより早く泣き止んだ。なかなか泣きやまなかった先週の肺炎球菌は、やっぱり相当強い注射なのだろう。風呂に入っている頃には、腫れはもうほとんど見当たらなかった。息子は注射は嫌いだろうけれど、直前やその後は比較的笑ったりしているので、病院自体は居心地が良いのかもしれない。