web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前0時。同じ寝相のふたつ影。

◇クーラーをつけても、結局風を通した方が気持ち良いってことが多い。

◇水泳は土曜日に。50分2050メートル。
 昼間は混むだろうと思ったので、夜行くと案の定ガラガラ。「センターコート」の屋根は夜にも関わらず開いていて、すっかり暗くなった空から夏の湿った空気が降りてくる。八王子はこの日花火大会で、打ち上げる音が水中にも届いていた。昼、ビールの誘惑に負けなかったことを誇らしく思った。

◇つたい歩きが大分楽しいらしく、息子はふすまの周りをぐるぐる廻ってきゃあきゃあはしゃいでいる。いままでハイハイで移動していた距離も、壁に手をついたり、妻や僕の足にしがみつきながら足を交互に動かして移動するようになった。ある方向へ向かっている妻から、別の方向に向かう僕へと器用に乗り移る姿が、なんとなく『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出させる。

◇FBのアカウントを実名で取り、それを仕事(ハスリング)用アカウントとしている。仕事柄、やっぱりどうしてもSNSを使うと楽なのでそうしているのだけれども、実名でネットを使う場合、かつての同級生/ネット上でのみやり取りする人/仕事の取引先/趣味の仲間/親戚など、様々なコンテクストを気にかけながら発言することになり、ネガティブに言えば「しがらみ」に捕われるということにはなるけれど、これはこれで面白いと思う。というか、発言中はあまりそんなことを気にしていないことに気付く。
 とはいえ、『ソーシャル・ネットワーク』を観てしまったせいか、やっぱりFBに童貞臭を感じてしまう。入会の際の異様なまでの実名“推奨”も話題になったけれど、こういった想定の範囲外を嫌うところや、しかしその内部はむちゃくちゃハイスペックで素晴らしく使い勝手が良いところなどを見ると、四畳半の内側に全てを配置する欲望が充満している気がしてならない。

◇ラッパーは、目の前に迫る、自分を追い立てる実名の時間を相対化すべく、別の時間軸に自分を用意する。普通に考えれば、実名の時間が「現実」で、別名の時間が「虚構」になるはずなのだが、しかしにも関わらず、別名でラップする際にはリアルが求められるのである。このことのひとつの回答として、「虚構」だからこそリアルを求めるのだ、というのもある。間違いではないけれど、でもそのままだとやはり言葉足らずで、「虚構」は「現実」の下位である、という主張の補強にもなり得てしまう。
 実名の自分が「素」で、別名の自分が「キャラ」を演じているわけではない。どちらも等しく自分であり、言ってみればどちらも「キャラ」を演じている。つまり、ひとつの、実名の時間にのみ身を委ねたままで居ると、それが「演じられた自分」であるという自覚を得ることはできない。別名の時間を立て、「虚構」のなかにリアルを求めることで、同時に「現実」のなかにもリアルを発見できるようになる。「現実」を無条件にリアルとしてしまう者は、そもそも「現実」のなかにリアルか否かという視点を持ち込まない。

◇「安東三」で作っていたアカウントは7月いっぱいで終了させ、新たにFBページとして「安東三」を作っておいた。http://www.facebook.com/and0h3

◇『エヴァンゲリオン』のテレビシリーズ全話と、旧劇場版2作を観たせいで、多分こんなことを書いている。つまり本当の自分がどこかに居るという幻想は、大抵、居心地の良い空間に浸っていたいという欲求の表出だったりするのだと思う。

◇妻の実家で、妻が10ヶ月の頃の写真を眺めた。笑顔が息子とそっくりで、笑いがこみ上げてくる。結婚前から何度も見ている写真なので、妻の子供の頃の顔は知っているつもりだったが、あらためてアルバムを開かなければこのことに気がつかなかっただろう。日曜日に義父母と妻の誕生会を開いた際、息子を見ながら妻が乳児の頃を思い浮かべていた。