web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後11時。日記を書く夫婦。

◇手帳にペンを走らせる妻の横で、キーボードを叩く。

◇普段の週末は、ご近所さんでもある妻の実家で夕食をとることが多いのだが、こないだの日曜日は反対に、我が家に義父母を招いた。その日は僕の誕生日で、妻は僕の好物を作ってくれた。
 パーティムードにテンションの上がった息子を観て笑っているうちに、僕らのテンションも上がって、ついついあわてんぼうのサンタクロースもやってきて、息子にプラレールの車両を置いていった。数日前、サンタクロースに何が欲しいかを聴くと、「あお」「えんしゃ」「ふぉん!」「ちっちゃい!」と立て続けに言っていたのである。妻の翻訳によれば、それは「小さい本に乗っている青い電車」であり、おそらくは貨物を運ぶ電気機関車ブルーサンダー」のことだった。クリスマスツリーの麓に顕われた突然のプレゼントに、息子はとまどいつつ二度見をしてから、じわじわと喜びを増していった。

◇腹筋20回×5セット&皿洗い&米研ぎ4合。

マーティン・スコセッシシャッターアイランド』。自分自身のなかに巣食う暴力性をどう克服するか、という話であると同時に、最も愛する人のなかに目も当てられない醜悪さを観てしまう話でもある。

◇ネタバレします。

◇ディカプリオ演じるテディが、自身の暴力衝動を爆発させてしまうシーンが二度(正確には三度)描かれる。大戦中の無抵抗のSSへの発砲(および自殺を失敗した将校から、銃を引き離す行為)と、妻への発砲。ともに、彼/彼女らの取った、信じられないほど陰惨な行動に触発される形で起こる。それは忌むべき暴力への憤りでもあるが、言い換えれば暴力に感染した状態だともいえる。直視できない悲惨な現実を前に、彼は妄想の世界に逃避した、というのがストーリー上の設定ではあるけれど、こう考えてみる向きもあるんじゃないかと思う。彼は、自分自身の暴力性と、妻やSSの働いた暴力、もっと言ってしまえば世界そのものの暴力と、再度対決しようとしたのではないか、と。つまり『シャッターアイランド』は、マーティン・スコセッシの撮った『ヒミズ』なのである。

◇テディ・ライリーの一番気持ちいい部分。