web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前11時。被写体探し。

ストライダーに乗る息子を撮影しているうちに、いつのまにかカメラは息子に取り上げられてしまう。

◇元々、シャッターを切るという行為自体が楽しいらしいのだが、最近の息子は、明らかに被写体を狙ってカメラを構えている。ボタンを押すとカシャッと音が鳴る、というのはなるほど他の“音のでるおもちゃ”も同様で、そういう意味では元々子供の喜びそうなものではある。けれど、それが何かを写し取る、ということにも楽しみを覚えているらしい。カメラを構えるときの彼は、よくよく聴けば、「きしゃ!」「いす!」「おちゃ!」「やまのてせん!」と、いちいち被写体を名指ししているのであった。

 息子が「やまのてせん!」と言いながら撮影した山手線は、いつも彼が遊ぶプラレールの山手線のことで、極めて具体的なものなのであるが、それが最終的に静止画になってしまうと、激しいピンぼけのせいで、なんだか実際に都内を走っている山手線に見えなくもない。しかし息子はそんな出来を確認することもなく、見知った「やまのてせん」がストップモーションになる一瞬にケタケタと爆笑するだけであった。

◇言葉を話すというのは、対象を抽象化して認識し、今目の前にないものを召還して語る作業だったりする。ただ、写真が切り取る被写体は、人が言葉に変換して認識するより速い。こうした速さは、当然その分ラフで、数多くのノイズが入り込んでいる。そうしたノイジーな状態を、既に言葉になっている状態から再び呼び起こそうというのが、例えばトップ・オブ・ザ・ヘッドのフリースタイルであったり、あるいは俳句だったりするのかもしれない。似た音を連ねるという瞬発力のゲーム、あるいは極端に短い音で構成するというゲームが設定され、制限が設けられることで、言葉はついに単なる情報であることをやめ、多量のノイズを含んだイメージに還元されていく。

◇両親をよく真似る時期にある息子は、今日は蚊の退治に参加してくれた。最初は、視力と瞬発力に衰えを隠せない父の苦戦にしびれを切らして参戦してくれたのかとも思ったが、息子は父が何を狙っているのかわからないらしく、「あ、居た!」というかけ声と柏手を打つような仕草の型だけ真似る。しかし今日の認識の話に繋げるならば、そうしたボキャブラリーを蓄えていくことで、やがて蚊を感知することができるようになる、ということでもある。

スパイク・ジョーンズかいじゅうたちのいるところ』。
 『ジャッカス』のメイキングと言ってもいいくらい、破壊衝動の内幕を描いたような作品だったけれど、それより何より、マックス自身とマックスの周辺の人物がブレンドされた「かいじゅうたち」に、何かを思い出すような感覚を覚えた。
 自分と他者の二項対立がしっかり立ち上がるまでの心情が、かいじゅうたちとマックスの別れとして描かれていくわけだけど、それはつまり、これからマックスが「童貞になる」ということでもある。もちろん、二次成長が伴って、最終的にそれは完成(?)するわけだけれども。
 そういう意味では、『少年時代』っぽさもある。

「ポスト童貞」は考えたことあるけれど、「プレ童貞」についてはあまり考えたことはない。というか、はっきり言って、ほとんど忘れてしまっているのだった。