web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後1時。ひげをぶつける。

◇お昼寝をしに寝室に行った娘が、なにやらあごをぶつけて泣いている。どこが痛いの?と妻に聞かれて、不機嫌そうな声で「ひげ」と答えていた。

◇ブログが滞り過ぎ。書き留めなければどんどん忘れてしまう。

◇昨年末辺りからぶらり途中下車な感じで商店街散策に行っている。久々の旅で、今週は桜上水に行ってきた。レギュラーメンバーがひとり欠席して、息子と娘と私の3人チーム。
 息子は店に入るでもなく、ひたすら商店街を歩くのが好きなようで、今回は「八王子ではなく新宿方面で」「しかし笹塚や明大前といった特急・準特急停車駅ではないところで」といったオーダーがあった。前に代田橋に行ったことがあり、そのとき私たち両親はあまり楽しめなかったが、息子は結構楽しかったようだ。今回の桜上水は、代田橋に似て駅から少し出ると国道と高速道路が走っている。そのとき気づいたが、息子は商店街が好きというよりも、駅によって異なる表情を見せる「駅前」が好きらしい。
 私は私で、最近、街中のタグを見つけて写真に集めていて、桜上水は結構よかった。ひとつ、デザインとしてはほとんど凝ったところのない書き文字のタグがあって、それを写真に撮っている私を見ながら、これはなんだかほかのやつとはちょっと違う感じがする、と息子が言う。
 ひたすらタグを探して歩く私と、駅前を散歩する息子の後をついて、娘はニコニコと歩いていた。歩きながら、ずーっとしゃべり続けている。散歩をしながらおしゃべりをする姿は、これはもうひとつの完成形なのだろうなあと思う。

キャスリン・ビグローデトロイト』。がっつりビグロー印ではあるんだけど、“ソウルパワー”がはみ出てしまっていて、これまでのビグロー作品とは違った感触が残る。

◇言ってしまえば、ビグローのどこまでも醒めた視点とソウルミュージックの力強さの対決がこの作品の中心的なやり取りになっていて、ここにはビグローの白旗も、ソウルミュージックの白旗も同時に描かれていたと思う。
 これまでお仕事人間ばかり描いてきたキャスリン・ビグローの作品らしく、今回もやっぱりお仕事人間としてのソウルシンガーが出てくる。
 いわゆるワークソングから派生したとされるソウルミュージックにとって、コールアンドレスポンスは重要な要素だが、そこに照らして考えるならば、このソウルシンガーは常にコールしかできない。レスポンスを常に待ち続けるソウルシンガーだ。

◇現実につぶされないための歌声は、ある種の力強さをたたえるけれども、ひっくり返せば無力感をも漂わせてしまう。劇中しょっちゅう鳴り響く「リバーヴのかかりまくったモータウンサウンド」に象徴的だが、つまりソウルパワーの無力を暴くことが、この作品の一種の狙いになっている。
 ラストのゴスペルシーンにおいては、レスポンスという(神の)声を待つためにこそ、コールとしての歌声を響かせるべき、みたいな結論を提出したようにすら見える。あるいはラストから連なるエンドロールの前半までは、ゴスペルからヒップホップの連続を示すようにTHE ROOTS『It Ain't Fair』がかかるのだが、後半、作品のミュージッククレジットを流す段になると、不協和音やドローンが多用される音楽に変わり、そのままエンドロールも終わっていく。ベタに言いたくはないが、それは「音楽は無力だ」的な指摘に近い。
 音楽は僅かな抵抗としてしか機能できないかもしれないし、かといってそれはもちろん素晴らしく気高い決意でもあるのだけれど、それじゃああまりにもあんまりだと言いたくなるような現実が、この作品ではがっつり描かれている。

◇過去のビグロー作品を引くならば、例えば『K19』で描かれた「酒を酌み交わすシーン」が、一見デトロイトソウルミュージックに対応しているようにも見える。赤ワインの乾杯も、ウォッカ献杯も、どうにもならない現実に「我々は酒を飲むしかない」的な。
 確かにその意味では、それを真っ向からがっつり指摘された時点で、そして、50年前のアルジェ・モーテル事件から現在まで、それがそっくりそのまま、全く変わっていないという時点で、ソウルミュージックの白旗が描かれているとは思う。けれど、ソウルミュージックの力強さが、作品内から突き抜ける瞬間も、実はちゃんと描かれている。
 ソウルシンガーの歌声が普通に評価される瞬間が、二回ある。一回目は、女の子をナンパするシーン。もう一回目は、取り調べ中の祈りのシーン。
 いずれも、その歌声のなかに「真実」を聴き取る人物が描かれていて、劇中、数少ないコールアンドレスポンスが成立した瞬間になる。それを安易な感動に落とし込むどころか、一種の皮肉として配置する演出はさすがだけれど、あれはやっぱり驚異的な瞬間が描かれているのではないか。
 このふたつが対比されながら描かれているだけでも、現実的な抵抗としての音楽の可能性が示されていると思う。

The Roots -- It Ain’t Fair (feat. Bilal)

ECDが亡くなって、FEBBの訃報が届く。個人的にも、つい最近知り合ったばかりの人が亡くなったりするなど、なんだかすべてが早過ぎる。2018年。