web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

批評のひ

◇本日は彼女とともに、佐々木さん&東さんのトークイベント『文芸批評から遠く離れて』に。生東を初体験しました(意外にも?彼女に好評だった東氏w)。以下に書くのは僕というフィルター越しの本日のお話。
 批評には、本人の意志とは関係なく、いやおうなしにある種のポリティクスが働いてしまう。それを極度に嫌がる東さんは、分かりやすく一言で、「個人の美的判断の公共的利用が嫌」とおっしゃる。それは確かに大問題だけれど、ある意味では逃れられない。しょうがないことだとわかっているけれど、どうしてもそこは回避したいということで、現在ニュートラルな東さんの批評は読めない状態になっている。そこで佐々木さんがおっしゃるのは、そういう態度を取り続けると「ニュートラルな批評を書かない人」って見方がされちゃうってこと。記名で書く以上、そこにはどんな政治性だって読み取られてしまうから、もう気にするとほんとに何もできなくなるってのが佐々木さんの立場。
 じゃあどうする?って言われたら、その中間くらいで曖昧になあなあにしてやるしかないねっていう、みもふたもない話が見えてくる・・・。
 感想。佐々木さんは「好きなことやればいいじゃない」って言っていて、それはホントにその通りだと思うけれど、それはいろいろ考えて一回転して戻ってきた結論なのであって、無邪気に「好きなことやってりゃいいんだ!マジ最高」なんて言って、自分の行動に無責任になっていいわけない。自分の行動のすべてには望むと望まざるとにかかわらず責任がついて回って、それらすべてを背負うことは不可能。かといって無責任になんでもやっていいわけでもない。
 あ、あと、様々なバックグラウンドを持った人が語るときに共通言語として思想があるっていうことを言っていて、「そうなのか」って思ってから「たしかにね」って思ったんだけれど、共通言語としての実存ってのもあるなってちょっと思った。

◇BRAINZの卒業制作の会議に初参加。みんなめちゃくちゃしっかりやっててびびりまくり。多分佐々木さんもここまでやるとは思ってないだろうなとw。批評をするってことをとにかくやってみるというあがきを、一生懸命刻もうとしてる姿に感激。佐々木さんのお言葉頂戴するみたいな感じになってないのがいいよね。