web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

もう僕は自分を自意識過剰なんて言うのをやめます。

◇このエントリ読んでそう思いました。→http://d.hatena.ne.jp/gohanzora/20080116

◇“女子”っていう呼称の自意識が、僕は結構ベタに嫌で「自分を“女子”と名乗る人とは基本的にお話ししたくない」なんてヒドく幼稚なことを考えるんですけれどもw(ごめんなさい・・・)、この書き手の方の説明を読んで尊敬してしまった・・・。
 僕は自分の自意識を嫌悪して、「苦しい」なんて笑っちゃうようなセリフ吐いてたけれど、女の子の自意識ってもう僕らなんか足元には及ばないんだなあと思いました。自意識過剰な人間の好む「不幸くらべ」なんかやったら、そんなんで「苦しい」とか言えるなら楽よね〜、なんて簡単に言われちゃうんだろうなって。自意識人間にとってはそういう不毛な対決に勝つことがアイデンティティのよりどころとなるわけですから、もうコテンパンですよw
 男の子の抱える自意識なんて、結局「世界」とか「歴史」程度しか相手どれないわけで*1、全然ステキでロマンチックなわけです。だって古谷実程度ですよ*2。女のコの自意識って、基準が「カワイイ」だったりするんだけれど、それは「美」みたいな大文字の概念じゃなくって、もっと即物的で刹那的なものだったりして、具体的に「だれだれみたいなカワイさ」っていう形で指し示すことが出来るんだと思う。だからどう転んだって「私」は「あのコ」にはなれないっていう、流動性の著しく欠如した基準が、「女子」と自覚的に自称する方々の不可能性を担保することになってるみたい。
 もう僕なんかが「僕の自意識をどうにかしてくれ!!」なんて言ってた過去を消したい。すみませんでした。

◇ってなわけで、もう今日になってしまいましたが、文学フリマhttp://bunfree.net/)のHEADZブース(http://bunfree.net/2008_spr/circle_base_b.html)にて販売される『アラザル』という同人誌に、僕の自意識の禊のひとつになった『中二病闘病記としての古谷実』という古谷実論を載せています。これは自分の中ではホントに習作になったもので、正直これを完成品とはしたくない気分ですが、でもなんらかの形にしておくのは良いだろうと思って掲載させていただきました。
 今パッと思いつく限りでも、『痙攣する古谷実 〜切羽詰まれない僕らの信仰〜』『自意識と誠実さを武器に世界に立ち向かうことを、僕らは古谷実と呼ぶ』みたいなテーマで、きちんとまとめ直したいです。

◇「不可視学生」。いや、キーワードリンクがつくかチェックするために書いてみただけ。

◇とにかく就活だ!!

◇そして彼女と「絶対」「幸せ」になる!!

◇↑消せない過去として今を刻むのだw(なんて言い訳して照れ隠しw)

*1:もちろん、自意識なんて程度問題じゃなくて、如何に誠実に克服するかの話だと思います。参照→http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080508/1210268430

*2:もちろん、古谷実の凄さは自意識の強さじゃない。自意識を介して世界に立ち向かう誠実さだと思う。