web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前1時。妻の寝た後、秒針の音。

◇『鉄コン筋クリート』を鑑賞してから、妻は寝た。

◇BESのラップの巧さは、多分日本語のフロウでなければなし得なかった類のもののような気がしてならない。
 ラップを日本語に落とし込む時代を経て、今ようやくのびのびと日本語でラップする世代が登場した、という今日この頃。日本語でラップをするための文法はある程度整ったということだけれど、それは別に進化を終えて完成したというわけではない。まだまだ進化は終わっちゃいない。BESを聴くと、日本語のしゃべり言葉と、そのリズムの操り方と、そして声を、どういうフロウとして形にしていくかっていうスリリングな面白さを感じることができる。

◇結婚の挨拶状を書き上げる。そして新婚旅行用のスーツケースを楽天で購入。慎重で計画的な妻は、ディスプレイからはわからないスーツケースの大きさを確認するため、昼間近くのお店で大きさの確認をしてきた。そういえば、今住んでいる部屋だって引越と同時に全ての家具が不自由なく揃うような準備の良さだ。僕ひとりだったら、住んでから二ヶ月以上経過した今でもカーテンはついてないと思う。

◇hirotecさんのpodcastページを発見!→http://www.voiceblog.jp/hirotec/
 本当に素敵な人だと思う。すごいのは、スタイルに一本筋が通り続けていること。それは彼の信念と生活の態度が一貫しているということだと思う。このまま突き抜けていって、ぜひ、この世界での棟方志功になって欲しい。

◇さっき挨拶状を書いているとき、鮭さん(童貞大学院生)から電話があって、ほんのちょっとの時間だけど楽しく話した。相変わらず受話器から漏れる声と鼻息に圧倒されながら、元気な様子が伝わって嬉しかった。ルサンチマンを正々堂々と表明することが持ち味の彼は、変な言い方だけど、ひねくれていない。だからいつも話した後に、清々しい気持ちになる。

◇僕は、じわじわと非常に焦っている。生活をする上で感じたことを、どうにかして形にしていきたいと思っているのだけれど、ともすれば「それをやらなくてもいいような心情になってしまう日がくるのではないか」と危惧してしまう。そしてちょっと複雑なのだけれど、「そんなものは生活のあれやこれやが安定して日常化すれば、自然とまた形にしたいという意欲が湧くはずだ」と言い聞かせているうちに、そのまま創作意欲が消滅してしまうという危惧まである。
 僕は、愛すら意志と言い切らねばやっていけないほど臆病だ。そんな僕が、創作意欲とは自然と湧いてくるものだなんて言ってでーんと構えることなど無理に決まってる。今は焦って、必死になってブログを更新する。そして読書量も前より(ほんのちょっとだけ)増えた。
 僕の読書って、焦ったときに活発になる活動。

江藤淳が、犬を飼うことは権力意志の発現であり、同時にそれは犬に飼われることの快楽だとも言ったとき、僕は直感的に、これは言葉を考える人の結論だなと思った。犬っていうのは、やっぱり社会の動物だし、つまり言葉の動物である。人間の言葉の中にいると同時に、そのさらに大きな言葉の輪の中にもいる。犬はつまり、そういった異世界をつなぐシャーマンであり、だからこそ権力というものに結びつくのではないだろうか。女性とのふれあい方も、多分そういう感覚だったのかななんて、『妻と私と三匹の犬たち』を途中まで読んで思う。今、二年間のアメリカ暮らしの後、ダーキィと再会したところまで読んだ。

◇生活を演説するのがラップ。日常がシアトリカルに切り取られるのがラップ。そこからラップについて話が進まない…。