web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後4時。長い影見てるだけ。

◇今日の夕方は薄暗くて、ただでさえ薄い冬の影が、さらに薄く伸びていく感じだった。

太陽の光がなくなると、人は月の光を頼りにした。月が見えなくなると、星のともしびを頼った。星が雲に隠れると、ランプの灯りを頼った。そしてついにランプが消えると、人は自らの光を頼りに歩き出した。

これ好き。帰宅したらちゃんと引用して出典書く。

◇完結できない作品、自律できない作品のひどい言い訳として、都合良く「メタ的に見ると面白い」とか言い出すのを見ることがある。ネタにマジレスだけど、それ、メタでもなんでもないからって言いたくなる。メタっていうのは、例えばラッパーのラップを聞きながら考えてる状態。彼の語り口でしか味わえない語りを聞いているとき、彼とラップの関係を通じて、ラップと自分の関係を考えている。優れた作品ってのはみんなメタだ。

BPM遅めの曲だと、隙間が気になって言葉詰め込んじゃったりする。文字通り、間が抜ける気がして。それで微調整ばっかに時間が取られてる状況。まあ楽しいけど。もしかしたら、ここはぐっとこらえて、間が抜けた感じを恐れないで行くのもいいのかもしれないな。一応今回はまだ最初だから、普通に自分の好きなフロウにするつもりだけれど、今後そういうのもやってみるかも。

◇dailymotionにて、朝ズバの森ゆうこ無双動画を見た。これを見て溜飲をさげた人は多いはずだけれど、むしろ大好きなみのさんや番組を批判されて、居間に土足で踏み込まれた気分になってる人達に対して、どうやったら説得できるかの方を考えなきゃならないと思う。都条例の話もそうだけど。マツコデラックスに期待する以外、なんかできないだろうか。
 ツイッターでRTするのもいいけれど、それだって取り込めるのは中庸な人だけだ。対立する人よりも多数派になるっていうのは、現行制度においては有効なやり方で、そういう方法も把握しておく必要はある。けれど、対立する意見とどう融け合っていくか、どうやっていきゃいいんだろうなあ。

◇ところで僕は、この動画でみのもんた氏に好感を持つことになった。
 「あれだけマスコミが騒いだ西松建設の件、いまどうなってるかご存知ですか?」と迫る森議員に、どうなってるんですか?と素直に尋ねてしまう。自分に集まってくる情報がいかに偏狭であるか、おそらく隠せるほどに知りもしないのだろう。そして、森議員が場を支配した“感じ”になると、そっちの方が正しいんじゃないか、などと思い始めているようにすら見える。多少なりとも理屈で考える与良氏、杉尾氏、高木氏などが、それでも自らの立場を守ろうと焦り出すのとは対照的。場の空気と勢いに圧されて「なんとなく」流され、かつ自らの立場をもかなぐり捨ててしまう。責任感がないからだ。
 みのもんた氏には、信念や倫理や正義などがあるわけではなく、清々しいまでに俗っぽい感情と、類稀なるタレント性があるだけだ。つまり、無知で思慮が足らないことを恥じない。彼が象徴しているものは、まさに“大衆”そのものであり、だからこそ彼は彼の番組しか見ない視聴者と、彼の番組だけは見ない視聴者を同時に作る。
 こういうときに批判すべきは、立場ばかり気にする半端な奴らじゃないか。みのもんたを相手に攻撃することは、自分の溜飲を下げることにしかならない。攻撃する人のゆがんだ顔が、まんまみのもんたになる。鏡に映った自分の顔に不細工だと怒り出すようなもの。

◇ANSWER [LIFE SANDWICH feat G-KEN]

これ本当に励まされるわ。頑張ってこうぜって声かけたくなる。リスペクトっていうやつですな。

◇水泳は45分1650メートル。ゴルフ用の小さなカウンターを手に入れた。これはロッカーの鍵のゴムバンドにつけて使えるので、今何往復か数える必要がない。泳ぐのに集中! これはいい買い物をしました。