午前10時。ひとり珈琲をすするとPCのディスプレイが曇った。
◇僕の机があるのは台所なのだが、ここは我が家で一番気温が低いところ。冬の弱い陽光は窓を介すと青白くなるので、今が遅い朝なのだということにも気付きにくい。朝風呂につかりひげを剃ってから風呂を洗い、一息ついてひとり朝食をとる。妻は所用で外出中。あまり体調がよくないので心配だ。僕はバターロールを焦がした。
◇最近は寒くなったのであまり発泡酒などは呑まなくなったんだけれど、昨夜は喉が渇いていたせいもあり、ダイエーのプライベートブランド発泡酒を買ってしまった。帰宅するや否や喉を鳴らしながら気付けば3本飲み干していて、おなかがぼがぼになってしまう。空腹で喉が渇いている状態で飲む発泡酒は、ビールにひけをとらない。
◇今週の文化系トークラジオLIFEには菊地成孔&大谷能生が出るらしいので、久々にメールを書いた。久々だから長文過ぎて読まれないだろうけれどまあいいか。削るまでして読まれずとも。ところで、仕事の合間って意外とメール書きやすいことに気付いた。企画書書くの煮詰まったときとか。
◇身体と意識を二項対立させるとするなら、その両方が互いに互いを客観視し合う関係なのかもしれない。意識の側で身体を対象化するというのは割と自覚しやすいけれど、身体の側から意識を対象化する、というのはやはりこうして文章で書くとなかなか理解しづらい。けれど例えば、自殺の準備をしているときに火事が起きて逃げ出したとか、そういう話を思い浮かべるとわかりやすい。要は単純なことで、無意識の顕在化は身体を通して起こりうるということ。
身体というのはこうして意識も無意識もひっくるめて個人に属する。のだけれど、例えば言葉をぽんぽん放ることが可能に見える昨今、個人の意識が身体に属していないかのように錯覚できる状況ではある。これは僕もブログやらツイッターやらを使う上で感覚的にわかる話だ。けれど、それは単純に僕が未熟なだけで、そこにはやっぱり言葉を放る身体と言葉を受け取る身体があるということは忘れられない。つまり書くときは無意識の顕在化から逃れられないし、読むときもそれはそうだということ。読むときに起こりうる無意識の顕在化は、憑依という言葉にも言い換えられる。黙読のときは視覚的に、音読のときは口伝えに、文章がリズムになって身体に憑依していく。
理解の仕方の傾向を二つに分けるならば、説明可能な理解と説明不可能な理解があると考えてもいい。前者は、分かったというならば説明できるはずだという考えで、後者は、分かったけれども説明できないから体得せざるを得ないという考え。もちろんこれは単なる傾向であって、この二つを明確に分けることはできない。ので、文章を書いたり読んだりするときは、この両輪を感じながら受け止めなければならない。理解をめぐるこの二つの側面を無視し、どちらか一方の側面だけで文章を書いたり読んだりすることは、はっきり言ってつまらない。前者を無視しても後者を無視しても、閉鎖的なものにしかならないからだ。もっとも、一般的には、前者を無視して書かれた文章を閉鎖的と見るようだが、批評やら論考やらの際に見かけるつまらない文章の大半は、むしろ後者を無視しているように思える。「これ」と言えば万人が同じ「これ」を思い浮かべることを前提とした論の展開も、それはそれで充分内輪な言葉になりうるだろう。佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』が良かったのは、言葉が本来的に担っている説明可能性と不可能性、言い換えれば論理と体感の両方を見据えながら文章が進んでいくところ。非常に強い文体を持って語られるのは、まさにそういうことだろう。文中にKRS-Oneが出てくるのもよくわかる。身体に言葉を憑依させる試みは、まさにラッパーのそれだからだ。「Hip is the Knowledge , Hop is the Movement」。
さて、身体を意識するときに、どうしても立ち上がらざるを得ない感覚があって、それは「私は死ぬ」ということ。身体の絶対性を、身体が有限であることと切り離せないからだ。死の恐怖から、有限な身体から逃れたいがために、死を説明可能な領域に持って来ようと試みる人も居るけれど、それは無駄な抵抗と言わざるを得ない。学生運動やらオウム真理教やらその辺を頑張った人たちは沢山いた。今でも沢山いるだろう。が、それらは自分自身を誤摩化しているに過ぎないのではないか。そしてその誤摩化しは、常に今ここに居て、日々変化している身体を無視する。しかし、正直に、丁寧に考えて思い出してみるべきだ。身体を意識し、「私は死ぬ」ことを実感したとき、そこには有限であることの失望しかなかっただろうか。同時に立ち上がったもうひとつの感覚はなかったか。「しかしとりあえず今の私は生きて動いている」という感覚が。
◇今日はアラザルのメンバーが中心となったクラブイベント『WCIT』というのがあるそうだ。僕はいけないけど、ご都合のよろしい方は行ってみてはいかがでしょうか。アラザルの仲間は普段シャイを気取ってるくせに、結局踊るのが大好きなのが素晴らしい。
◇今週の水泳。水曜日に50分2000メートルを達成! 明日は2000泳げるかなあ。