web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

正午。丸めた頭、秋の散歩。

◇少し蒸し暑いような天気だったけれど、バリカンをあててから出かけたため、風通しの良い散歩になった。

◇息子は毎朝、食事を終えると筋トレをする。その時間にBGMをつけることにした。どうも耳をそばだてているらしいそぶりを見せることもあるので、結構本気で曲を選んでいる。今のところレゲエ勢に興味らしきものを示しているようで、特にピーター・トッシュが強い。
 考えたらこういうのは久しぶりかもしれない。相手がどんなものに反応するのかを観察しながら曲を聴かせるというのは、以前は(というか今でも)よく妻にやっていた。付き合った当初の頃は、僕の自意識的な動機から曲を聴かせていた節もあったのだろうけれど、すぐにそういうのはなくなった。妻の態度が明確だったのもあるし、そういった妻の反応に、僕の方の自意識もきちんと整えられていったからだ。かといって妻の好みに完全に合わせて選曲するということもなく、気がつけば、僕らの音楽聴取とは、各々が持ち寄った曲に対して、自分が楽しめるものを見出す、という風になっていた。これは音楽に限らず、ドラマも、映画も、ひいてはあらゆることに共通する話である。

◇昨日、息子が少し耳だれを起こしていたので、駅前の病院に行ってみた。予防接種の相談もしたいところだったので、小児科医探しも兼ねている。着いてみればまるでホテルのように豪華な病院で、前日は二人揃って風呂に入りそびれ、今日に限ってくたびれた格好をしていた僕ら夫婦は気後れした。息子だけがきれいな格好をしているというのも、なんだか赤貧に喘ぐ若夫婦が、腕は確かだが値の張る医者に息子を診せようと、せめてもの思いで一張羅を着せたような雰囲気である。当たり前だが、それでも医療費は他と同様、自己負担無しだったので安心した。
 ここの小児科医は非常に人当たりの良い、体の大きな女医さんだった。少しキャシー・ベイツに似ている。いかにもベテランらしい逞しさと人懐っこい物腰に関心しつつも、いつか、突然何を考えているのかわからない表情になるのではないかと心配したが、もちろんそんなことはなかったのでほっとする。こちらの質問にもひとつひとつ丁寧に応えてくれる先生で、何かあったらここに罹ろうと決める。耳だれに関しては特に大きな心配をしなくても良さそうだった。

◇本日はベビーカーデビューを果たしたのだけれど、息子はあまり気に入ってはいない様子。激しく泣いて嫌がるということはないが、ちょっと立ち止まるだけでぐずぐず言い出すので、帰りはお気に入りの抱っこ紐を使うことになった。今日は僕が息子を抱いて歩いた。相変わらず息子は、僕の両手の親指を五本の指でしっかり握り、眠ることなく外の景色をよく眺めていた。

◇自分だけが可哀想だと心底思っている人間は、簡単に誰かひとりを悪者にできる。自分だけは全く悪くないと思うために、自分を可哀想な存在に仕立て上げる。かつての「サブカル」みたいな感覚にはそういった自己憐憫がいつもつきまとっていて、僕はその辺の不誠実さが大嫌いだった。そして、そういう人が古谷実を語るのが嫌でしょうがなかった。もちろんいまでもそれは同じ。先日『ヒミズ』の評にそういうのを見つけてしまったのだが、住田は安易な自己憐憫にひたるのを徹底的に拒絶するために「運命」と闘おうとしている、ということを彼は全く理解できていないのである。住田は俺だと語ることで自分の自己憐憫を補強して悦に入る人間には、住田の誠実さが理解されるわけもなく、同時に作品を読む誠実さもものすごい勢いで欠いている。



二番手のtech n9neが凄まじい。こういうラップをする人だとは知らなかった。ほとんど演説とラップが同じだということが改めてよくわかる。