午前7時。頑固な寝癖と赤子の泣き声。
◇今日は母方の祖父母の記念会*1がある。着なれないスーツを用意して、寝起きの髪を整えようと水でぬらすが、寝癖は一向に直る気配がない。食卓の方から息子の泣き声が響いている。今日僕は息子と妻を残して遠出をしなければならないのである。耳の奥に息子の泣き声が残る。
◇そんなわけで水泳はお休み。
◇土曜日は息子の予防接種を行った。Hibと肺炎球菌の予防接種が、生後二カ月から可能なのである。かつてはこの二つを同時に投与するのが一般的だったらしいが、過去に事故があったこともあり、以降、病院によっては別々に投与するところも増えてきている。
妻は僕に、丁寧にウイルスと予防接種の制度について説明をし、また近所のどの小児科が別々の投与を行っているかをしっかり調べてくれていた。他にも乳幼児の予防接種の種類は多く、またどれもが一度受けておしまいとはいかないので、子供の体力を考慮したうえで、かなり綿密な計画を立てる必要がある。妻はそれを一枚のグラフにまとめて僕と相談し、予防接種時に医師に相談した。実際の生活行動に根付いた動作を、ごく当たり前のこととして平然とやってのける姿に、僕はあらためて感心している。
息子は注射の際に泣きだしたが、その後拒否反応を起こすこともなく、高熱も出さずにこの週末を過ごした。真っ赤になって泣きだす姿が、気の毒だが愛らしい。
◇江藤淳『日本と私』。アメリカでの生活を終えて日本に帰ってくるエピソードに始まるこのエッセイは、しかし友人「Y」の死によって、ぷっつりと中断されたままになっている。日本と私の関係をひとつの作品として完結させることができなかったということになるだろうか。
アメリカで正々堂々と、孤独に耐えうる強靭な個人として振る舞うことのできた江藤淳は、日本の生活そのものについても次々と言葉にしていこうとする。けれどその文章は、福田和也の言葉を借りれば「感情による揺らぎを見せている」。
日本の社会で「適者」になるためには、自分の輪郭を適当にぼやけさせておくことが必要なのかも知れない。 ――江藤淳『日本と私』
言葉は、物事の輪郭を丁寧になぞる作業によって成り立っている。日本において自らの生活を言葉にしていこうとするときに居心地の悪さを感じるとき、血縁や地縁などによって繋がれた者以外を排除するあの気持ち悪さを見つけることができる。
友人とは、私と君とは他人同士だという自覚的な振る舞いによって成り立つ関係であり、血縁や地縁などとは異なる極めて「個人」的なものである。山川方夫は、江藤淳が日本の生活のなかで個人であることを認めさせてくれる、ほとんど唯一の友人であった。だから「日本と私」は彼の死によって言葉の着地点を見失い、宙ぶらりんになっている。
◇我が家に戻って妻と息子の顔を見ると、今日一日無事に過ごすことができたことに安心する。不幸を知っているから幸福を噛み締めることができる、という言い分に反対はしないが、幸福を知っているからこそ不幸に怯えることができる、という風に考えた方が広がりがある。
◇風呂場で鏡を見ると、寝癖はようやく直ったようだった。
*1:仏教でいうところの法事。僕の実家はクリスチャンなので、こう呼ぶ。