web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前10時。子の昼寝、夫婦の二度寝。

◇息子は6時くらいに起きるとすぐに全力で遊び始め、朝の離乳食が終わるくらいまではテンションを維持する。息子が食事を終え、妻の胸元にしがみついて「デザート」をねだる頃が、大体僕の出社時間となるので、そのままうたた寝を始める平日の息子の姿を知らない。本日はそんな平日の母子のサイクルに、僕も参加させてもらった。

◇本日は息子の誕生日なので、半休を取ってお祝い。
 妻はホットケーキを、息子の食べられそうなフルーツとヨーグルトクリームでデコレーションして、見事なバースデーケーキに仕立てていた。数日前から数歩歩いていた息子だが、一歳当日の今日は10歩ほど歩いて、そんな祝いの声に応えている。

◇最近水泳に行っていない。まずい。これはまずい。

古谷実サルチネス』。単行本1巻が発売となっていたので、早速購入。古谷実作品は、同じテーマを何度も少しずつ変奏しながら、その度ごとに全力で回答を出していくものであるため、今のところ全作品をひとつの作品と考える作業が有効だと思っている。とりあえずここでは、作品史的な関係をちょっと整理しておく。ちなみに作品の発表順は、『行け!稲中卓球部』→『僕といっしょ』→『グリーンヒル』→『ヒミズ』→『シガテラ』→『わにとかげぎす』→『ヒメアノ〜ル』、そして『サルチネス』です。

◇主人公の中丸タケヒコは、前作『ヒメアノ〜ル』に出てきた平松ジョージという人物に似ている。『ヒメアノ〜ル』は、岡田→安藤→平松の順に人としてヤバい度合いが高まっていき、その果てには森田という決定的に「普通」を望むことすら許されないような人物が配置されることになるが、このうち、岡田と安藤までには彼らを救出する女性が存在する。つまり普通の側に入れるか否かの境界線は、安藤と平松の間に引かれているということになる。『ヒメアノ〜ル』が描き出した森田の顛末とは別に、おそらく『サルチネス』は、平松の物語を描こうとしているのだと、まずは考えることができるだろう。
 女性の登場によって普通の側に入れるか否かが決まるというモチーフは、『行け!稲中卓球部』における井沢と前野から何度も繰り返されているのだけれど、この二人の性格的な違いをもう少し明確にしたのが、『僕といっしょ』におけるイトキンとすぐ起であったろうと思う。イトキンは隙だらけですぐに誰かを頼るが、すぐ起は(少なくとも自分のなかでは)ストイックで妥協を許さない人間であり、後ろを見せることを何よりも恥とする。人に頼ることに恥を覚えないイトキンは、その後『グリーンヒル』のなかで幸せな家庭を築くことに成功したようだが、ではすぐ起は一体どうなったのだろうか。
 ある意味では、同じ中学生である『ヒミズ』の住田が、もうひとりのすぐ起として描かれていたとも言えるが、『サルチネス』は、より正しく『僕といっしょ』の“続編”めいた様子である。

◇今気付いたけど、『シガテラ』の荻野、『ヒメアノ〜ル』の岡田は、『僕といっしょ』のいく夫だったんじゃないだろうか。

閑話休題。「14のときからずっと家にこもって」いた中丸タケヒコの夢は、妹が立派な大人として幸せに生きることであり、物語はそれがすでに達成した後から始まる。最初に明らかになるテーマは、一度倒した筈の「“人生”という摩訶不思議な化け物」に今一度立ち向かう、ということである。早めに言ってしまえば、「自分が幸せにならない限り、身近な人を幸せにすることはできない」という裏テーマもここにはあると思うのだけれど、ともかくこの主人公は、妹の幸せを願う一方で、自分は妙な修行ばかりしている。それはつまり、自分自身の幸せへの希求は妹のそれと完全に同一化させているのだから、にも関わらず尚溢れ出る自分の欲望さえ抑えられれば万事うまく行く、という考えがあるのだと思う。ふと『僕といっしょ』のすぐ起がプロ野球選手になる夢を捨て、いく夫に全てを仮託している姿を想像してしまう。
 14歳の家出で幕を引いた『僕といっしょ』から数年、「14のときからずっと家にこもって」いた男が、再び家出をする。『サルチネス』の幕開けをそう位置づけてから、今後を観ていこうと思う。

◇このキャラクターの不気味さを、挙動ひとつで説得する松本人志が見事。

◇REV TAPE vol.1(→http://dopetm.com/2012/09/05/1928.html)が素晴らしい。いくつかレビューしたいものもあった。