午後11時。真冬のブルーベリー。
◇息子が寝静まると、妻とふたりでお茶を飲む。
夏に穫ったブルーベリーが冷凍庫に眠っていたので、部屋を充分温かくしてから食べる。
◇今年のクリスマスは短かった。
息子のプレゼント「2カラーせんせい」を開けるや否やすぐ出社しなきゃなんなかったし、ならばと少しでも早い帰宅を試みるも、結局帰ったのは23時過ぎ。家では妻と息子がすやすや眠っていて、翌朝の食事の下準備と、中途半端に片付けられたクリスマスツリーがあった。息子を寝かしつけた妻が、ツリーの片付けに取りかかった頃、ちょうど息子がまた泣きだしたのだろう。目に浮かぶ。皿洗いをして、ひとりツリーの片付けをしていると、息子に渡したプレゼントが目に入った。ボードには赤と黒のペンで二頭ずつ、熊の顔がある。この熊は断乳の時、子供に授乳の終わりを告げるために、おっぱいに描かれる予定のものだ。
◇2012年は終わりの年らしい、というネタでPUNPEEとBACHLOGICが相見えてから3年。いまや彼らはシーンを両側から引っ張る二大プロデューサーになっているわけだけれど、さて、それはそうと今年は日本語ラップの大変な当たり年でもあった。そういえば2012年終末説ってのは、世界が終わることではなくて、ひとつのサイクルが巡るって解釈もあるらしい。
今年も2Dcolvicsさんにて「2012BEST ALBUMs In 日本語ラップ」の企画に参加させていただいたので、そのことについて手短に書いていく。ランキングはご覧の通り→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52157479.html
まず、10位に選んだSALU『IN MY SHOES』。日本語ラップが到達したひとつの頂点として、クラッシックのひとつに数えられるのは間違いない。日本語の発話を細かく分割して自由自在にコントロールできるSALUは、精巧なオブジェとしてのラップを練り上げると同時に、リスナーとプレイヤーの間にしっかりと線を引く。両者は互いに干渉し合うことなく、完全に分断された場所からひとつの音楽に向かい合っており、その意味において、このアルバムにおけるSALUのラップはサイファーを囲むラッパーのそれではなく、コンサートホールの中央から聴衆に向けて朗々と歌い上げるヴォーカリストのそれだと思う。このときリスナーが捉えようとしているのは、SALUのラップそのものであり、ラップするSALUではない。ちなみにメモっておくけれど、ラップする身体を捉えるのか、ラップという歌を聴き取るのかについては、結構深く掘っていく価値のある問題だと思う。
これとはまた別の角度から、リスナーとプレイヤーを区分しているのが3位のMoe and ghosts『幽霊たち』。『アラザル8』でも触れたけれど、Moeのラップもまた、彼女自身の身体の在処をどこまでもぼやかす。けれど、どうもその身体は「ないんだけれど、あるような気がする」もしくは「多分あるんだけれど、捉えられない」といった類のものであり、最終的には、その身体の不明瞭さそのものに焦点が合わせられている。例えば写真に写り込んでしまったノイズが人の顔に見えたりするように、レコードの上にしか存在しない「身体」というものがあり、そういったものに僕らは幽霊の身体を見る。ラップは、多かれ少なかれ日常口語に漸近するけれど、ひたすら歌声のまま、日常生活の口語行為に全く近づかずにラップするMoeの姿は、まさに「幽霊」そのものだろう。とはいえ、個人的な好みを言えば、隠しトラックで人間(a.k.a.生活者)としてのラップを披露するMoeもすごく魅力的。
WATTER『WATTER』。完成度はそんなに高くないと思うけれど、変なラッパーと変なトラックをコーディネイトする能力に、ちょっとした凄みを感じて9位にしてみた。なんとなくPUNPEE周りは、MACKA-CHINみたいな変なセンスを纏っていて、いつもツボってしまう。で、それを見事にポップな方向に昇華すると、7位のLBとOtowa『インターネット ラブ』になる。リリックもライミングもキャラクター(声)も最高レベルだし、音楽産業を取り巻く各方面の状況も見据えて乗りこなす様子は、日本語ラップ界の大秀才といった気配。このアルバムを一位にしても、結構面白いランキングが作れる気がする。
7位のERA『JEWELS』は、多分今年一番聴いた。m-floのタカハシタク的なソリッドでカラフルなサウンドの「きらびやか」もあるけれど、ERAは、例えば終電車の床の上に落ちたスパンコールの鱗だとか、オール明けの街でカラスがつつくゴミ袋から割れたガラスが反射しているだとか、そういう闖入する「きらびやか」を丁寧に描写する。むちゃくちゃ好き。で、4位のECD『DON'T WORRY BE DADDY』は、生活に闖入する「何か」を限りなく広げることで、あるべき「生活」のイメージといったものをどんどん取り壊して行ってしまう。たびたび挿入される目覚まし時計の音が、段々と目覚まし時計の音に聞こえなくなってくる様子が象徴的だけれど、生活というゲシュタルトが崩壊しても人間で居られるのは、夢をみることができるからなんじゃないか、なんてことを考えたりした。
similab関連。5位のQN『New Country』と、6位のOMSB『Mr. "All Bad" Jordan』では、どちらを高順位にするか本当に迷った。結論から言えば、ラップのテクニックと今年のQNの頑張り具合を見てこういう風にしてみた。次回作やら今後の展開の期待から言うと、OMSBの方が上になる、ということは付け加えておく。対比させながら聴くと、QNはトラック選びやラップのこだわり方を聴くに、すごく繊細なところまで気をまわしていて、大味なところがなく上品にまとまっているけど、それがこじんまりとした印象も与える。OMSBは無骨さを隠さないラップと大胆なトラックメイクで、ちょっと有無を言わさない迫力。同じグループに居なくてもいいけど、いっしょに仕事する機会をどんどん増やして欲しいとは思う。
◇休憩。「2012 BEST on YouTube In 日本語ラップ」も選ばせていただいたので、よろしければそちらもぜひ→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52157471.html
◇上位2つは、心情的にはどちらも1位。両者ともにラッパーとしての魅力が溢れてる。
◇2位、MOMENT『UP DOWN』。
昨年リリースされたミックステープ『Joon Is Not My Name』に収録された『I LOVE HANDAI』は、まあ金もないけどそれなりに楽しけりゃいいじゃんね的な、一見イマドキの大学生っぽいとも言える雰囲気をまとっていた。韓国からの留学生という立場から見た日本の不思議なところが、そのまま日本の学生の“社会への疑問”といった視線とうまくくっついて、大学というアイデンティティを保留にしておける空間を描写していた。しかし、よくよくリリックに耳を澄ませば、ゆるい空間においてすら、他者としての自分への意識が常に働いている。彼の「とりあえず飲もう!」という声は、ぬるま湯のなか、いつまでも自他の境を曖昧にできる無邪気なそれとは異なり、パーティだけがそうした問題を取り払ってくれるということへの叫びであったりする。つまり、momentにはこのときから、大学生活の外側がはっきりと見えていたのだとも言えるだろう。
今回のミニアルバムは、彼の入隊直前までレコーディングされたもので、外人ラッパーを自称する彼のドキュメントとしても非常に貴重なものになっている。全体を通して前に出ているのは、彼の「迷い」であるが、それは言い換えれば「揺らぎ」でもある。言語、学生生活と兵役、日本社会における外人、といった具合に、テーマのなかに複雑に絡まり合った二つ以上の事情を用意し、韻を踏みしめながらリリックを前に進めていく。シンプルな押韻にも関わらず豊かにグルーヴするのは、3カ国語を咀嚼する彼の身体に依るものであり、複数の事情の間で揺れる彼の苦悩に依るものでもある。そのいくつもの側面の、いずれをも否定することなく、そして引き裂かれることのないまま、momentは“individual”をラップによって提示する。
2年間の兵役を終えて阪大に戻った彼に、軍人としての規律生活について聴いてみなければならない。勉強しとかないと。
◇1位はKOHH『YELLOW T△PE』。
ちょっとだるそうに、大好きなギャルやファッションについて延々歌うのがすごくいいと思って、早速ミックステープを購入してみたのだけれど、予想外というか、ちょっと感動してしまった。“自分の興味あることだけ歌う”という姿勢は、ある決意に貫かれていた、という事実を目の当たりにしてしまったのである。
13曲目『FAMILY』は、KOHHの家族をテーマに、2歳の頃に亡くなった父、向精神薬と大麻を手放せなくなった母、弟の流産と、その後の妊娠で無事生まれてきた10個下の弟(LIL KOHH)のこと等が淡々と歌われるのだが、彼はそれを「普通の家族さ」「君と違うだけ」とさらっと言い切っている。自らの境遇に対するこのような距離感は、僕に古谷実の作品を思い起こさせた。事実、3曲目『I NEED HER(REMIX)』の「おちんろんとおまんろんがンパンパ」というリリックは『僕といっしょ』からの引用だったりもするのだが、さて、その『僕といっしょ』の主人公すぐ起とイトキンは、「爆笑」という手段を身につけることによって、圧倒的な暴力に晒されつづける“人生”をサバイブしていたことを思い出してみる。この「爆笑」にあたるものが、KOHHにとっての「ラップ」であるというのは間違いないだろう。SALU『STAND HARD』が、KOHHの手にかかれば「歩いてるだけでやたら目につくカワイイコ」になってしまうように、いかなる状況でも彼はギャルへのエロい視線を送らずにはいられない。暴力に真っ向から対峙するのではなく、その隙間を縫うように駆け抜けること。それが、KOHHの示すサバイバルである。
ところで、僕には主人公であるすぐ起の姿が、KOHHと重なって見えているのだが、どうだろう。少なくとも、彼はすぐ起&いく夫兄弟を、どう読んだのだろうか。
◇推敲というか、最近全然書けないので公開が遅くなってしまった。
◇書けないというのは、時間的な問題ではなくて、そのままの意味で「書けない」ということだったりする。