午後2時半。川沿いの風。
◇シャボン玉を飛ばして遊んでいた。その様子を見ながら、三歳になったばかりの息子としばらく談笑した。
◇三連休の2日目と3日目は、妻が風邪を引いてしまったため、息子とふたり、ほとんど近所で過ごすことになった。大型連休だからといって特別なことはしなかったけれど、かえってそのおかげで、ゆったりと過ごせた気がする。先週末が完全につぶれたこともあり、息子の一挙手一投足に、こんなことができるようになったのか!といちいち驚いていた。
つい先日までは、噛みつき&ひっかきブームというのが来ていて、体中に息子の歯形やらひっかき傷やらを作っていたのだが、気付くとそれもなくなっていて、今はもっぱら否定形ブームである。大体「なんで〜〜なの?」という問答から始まり、一時期までは延々とその質問がループするだけだったのが、最近はちょっと回答を間違えるとすぐに「そうじゃなくってえ!」と返される。機嫌の悪いときには泣きながら地べたによよと崩れ落ち、連呼する。どうやら本人のなかで、はっきりとはしていないが想定される受け答えの定型みたいなものがあるらしく、そこと食い違うとこういった反応になる様子。つまり、会話に型があること自体は既に体感しているわけで、裏返せば、「そうじゃなくってえ!」は、その少ない型のバリエーションを増やす機会に触れている、ということでもある。
ただ、そうじゃなくってえ!が極まると、大抵うわあああああと声を挙げて泣きじゃくって、すぐに非言語に逃げ込もうとする。しかしその逃げ込んだ先が居心地の良い場所だとは本人も思ってないらしく、その辺で揺れるのが3歳児なのだろう。
今日も不平不満を涙ながらに訴えつつ、睡魔に負けて寝た。寝室を出て一時間ほどすると、泣き声とともに不平の続きが聴こえ、妻がまた慌てて寝室に入っていくのだった。
◇川柳川柳がガーコンのなかで必ずかける歌のひとつに『空の神兵』があるけれど、ECD『いるべき場所』をこないだ読み返したら、一発目に出て来る曲だった。ECDの母親がよく口ずさんでいたということだが、川柳とECD母はそれぞれ31年生と36年生の5歳違い。この曲自体は1942年に発売後、同年秋の同名映画の主題歌になって更にヒットしたらしいのだが、川柳はガーコンのなかで、「見よ落下傘空に振り」のところから、ビートを倍速にして、扇子で8分音符を刻み始める。当時の人々のビート感覚はわからないけれど、戦後に一挙ジャズ化するまでを辿るこの噺のなかで、大戦中の軍歌にこうした拍子の変化をつけているのが印象に残る。
『空の神兵』が世に出た1942年は、のちに『東京ドドンパ娘』で大ヒットを記録する渡辺マリの生年でもある。『東京ドドンパ娘』は1961年に発売後、100万枚超のセールスを記録したそうだが、同時に当時のダンスミュージック、ドドンパを代表する曲でもある。ドドンパは、大戦後に流入したジャズ、あるいはルンバやマンボといったダンスミュージックに対抗すべく開発されたということで、日本のポップスのなかに、リズムを中心に据えた時期があったことを示してもいる。