web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前9時。食卓脇、静かなプラレール。

◇息子が矢来の従兄弟の家に出掛けると、両親は何をすればいいのかわからなくなってしまった。

◇先週の水曜日のこと。祖父母が週末に従兄弟の家に出掛けると話すと、息子もいっしょに行くと言い出した。両親は留守番をしていれば良い、とも言う。その後、木金土と、両親はしつこく何度も息子に確認するが、別に気分が変わることもなく、そのまま今朝、義父の運転する車に乗り込んで出掛けていった。元気よく手を降っていた。
 お言葉に甘えて、私と妻はふたりで何をしようか考えたが、特に何が変るわけでもなく、少し手持ち無沙汰な日曜日になっただけだった。

◇と思ったのもつかの間、16時頃に帰宅した息子はおそろしいほど上機嫌で、年上の従兄弟たちにかわいがってもらった余韻を反芻していた。移動は全て駆け足で、その間も話が途切れることはない。一瞬だけ眠い、と漏らしたので一安心して寝床へ連れて行くと、寝た振りをする両親に構わず、歌や踊りや器械体操を延々と繰り返す。年が少し上の従兄弟たちと遊ぶたび、語彙や修辞を爆発的に増やすらしく、それを使い回す快楽に浸っているのかもしれない。こんな言い回しをいつの間に覚えたのだろうと思いつつ、笑いをこらえているうちに、ようやく寝息が聴こえてきた。果たして23時。疲れた妻は、息子より先に寝入っていた。

◇2月が過ぎるのは早かった。ただでさえ日数が少ないうえ、息子が高熱を出して、調子の悪い日が月の半分ほども占めた。普段体調を崩さないせいで慣れていないのか、高熱にぐったりとしていた。両親もまた、初めてみる息子の様子に狼狽えた。川崎病をはじめとする、重篤な病気も疑いながら複数回診察を受けた結果、遅ればせながらの突発性発疹だったようだ。

◇1月は、私と妻の5回目の結婚記念日を迎えたり、新しい職場を早速休んでディスニーランドへ出掛けたりと、それなりに慌ただしく過ごした。気付けば息子も4月から幼稚園に通う。夫婦であったり両親であったり、私達ふたりにも色々な種類の役割が与えられ、そのたびごとに新しい関係が切り結ばれているのかもしれない。

◇サンプリングはパクリである、というのは事実だと思うし、それを肯定的に捉えていいとは思うけれど、最近思うのは、元ネタを暴力的に切断したり引き延ばしたりしているうちに、元ネタが持っている、いわば無意識みたいなものを汲み取っているケースもあるのではないか、ということ。それは、作者の意図を汲む「引用」と呼ぶには突飛過ぎるし、単に暴力で奪い取る「剽窃」と呼ぶにはもうすこし誠実なのかもしれない。あるいは、オリジナルの強度が、そうした誠実さを強制しようとするのかもしれないけれど。

KOHH実弟、Lil Kohh主演のDVD『日本の小学生』が、ノーカット完全版でyoutubeにupされていた。

Lil KohhがイベントのフライヤーやポスターなどでKohhの姿を発見するたびに、「お兄ちゃんだ!」と嬉しそうにはしゃぐ様子が大変愛らしく、ファン的には大変和む作品なのだけれども、見所は318氏がはじめてラップをする小学生たちを相手に、ディレクションをしているところ。驚くほどの上手さに舌を巻く。
 街のこどもたちの面倒を見るちょっと悪そうだけどやさしい兄貴、318氏の姿を見ていると、ベッドタウンとは違う下町の地力みたいなものを感じる。と同時に、スパイク・リー『クロッカーズ』に出て来る床屋の親父にも似た雰囲気を感じとって、やっぱり一筋縄ではいかなそう。

島田紳助は自分の進むべき道をあらかじめ計画し、その通りに実行することに命をかけるように見える。その彼の事業計画書のなかに「ロック」はあっても、「ラップ」はなかった。彼にとっての「ロック」は、おそらく情動の発露であり、また同時に制御でもあったのだと思う。ある種の物語に情動をはめこんでいくための、話芸の一種であったのかもしれない。そして島田紳助がそのツール足り得ないと早々と見切った「ラップ」は、ゲイシャガールズによって見事に昇華され、事業計画書を書かない松本人志によってひとつの達成を見る。