web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前9時。胡瓜の花と葱坊主。

◇登園中は、専ら通園路の微細な変化を話題にしている。道すがら出会う動植物の様子と、踏切を通る電車の車型と、近所で行われている工事の進み具合である。主題はほとんど変らないが、対象が日々変化していくので、話す内容もそれに合わせて変化していく。
 いつも水を張っていた田んぼからカルガモのつがいが姿を消していた。カルガモの夫婦はどこへ行ったのだろう、おそらく近所の公園に移っただけだろう。そう話しながら幼稚園に着いた息子は、同じくらいの園児達の列に並び、元気に登園していった。帰り道、カルガモの居なくなった水田を見れば、田植えが始まっている。まだほとんど黄色に近い、小さな稲が整然と並んでいく。

◇5月の末に退職を申し出ると、そのままほぼその日中に退職となってしまった。転職先は決まっていたが、入社時期はこれから詰めるという段階であった。退職の一月前の申請が義務づけられていたが、会社も相当苦しいのだろう、私はその条件を呑むかわりに、私が仕事を依頼したスタッフさんへの支払いが遅れないよう、一筆書いてもらった。それにしても、収入の面もそうなのだが、それ以上に健康保険が心配である。調べると、20日以内に申請すれば、退職後も現在の健康保険組合を任意で継続できるらしい。つまり、20日以内に新しい職場に入れるのか、交渉してみる必要がある。
 果たして本日先ほど、6月の半ばに入社が決定し、胸を撫で下ろした。今回の転職は、万事こんな調子で、全て唐突に始まり、全てギリギリのタイミングで決まっていった。
 ところで、30歳の妻子持ちというカードは、転職市場においてはなかなか引きがあるんじゃないだろうか。つまり、後がなく、踏ん張ることが見込まれ、仕事上はまだ伸びしろを期待される年齢、ということである。そしてそれはそのまま、おそらく私に注がれる世間の目という奴になっている。

◇5月6月は小学校時代からの腐れ縁達が、立て続けに結婚式を挙げた。4人のなかで最も早かったのは私だが、結局30歳で全員結婚していた。バンドを組んでいた私達は、かつて熱狂した音楽達が披露宴のところどころにBGMとして使われているのに気付くと、目を合わせてにやりとしながら、しかし同時に寂しいような気分にもなった。ただそんななかでも、なんとなく、この曲だけは結婚式には使用しない、という曲がある。

『How Many Times』は、ボブ・マーリーがスカを演奏していたstudio1時代には既にあった曲だが、後年、ドゥーワップ調のレゲエとして歌い直されてもいる。おそらくそちらの方が有名だろう。失恋の痛みを甘く軽やかに歌い上げていて、レゲエバージョンでは甘みが増している。ただ、私が初めてこの曲を聴いたのはこのスカのバージョンで、繰り返されるサックスのフレーズに顕著だが、全体的な軽やかさがとても好きだった。
 失恋の曲だから結婚式にそぐわないのは当然だが、しかし私達のうち二人はこの曲の歌詞を全く理解していなかった。だからきっと、この曲をかけない理由は、リリックだけではないのだと思っている。

◇ヒップホップのいうリアルは、常にハスリングとともにある。ものすごく単純な言い方をしてしまえば、彼がリアルであるかどうかを問われるとき、ハスラーとしてサバイブしているかどうかが問われているのである。そのヒリヒリした切実さを喪えば、彼はきっとセルアウトしてしまう。商業主義に陥ること自体が悪いのではない。それによって自分自身の切実さから目を逸らすことが問題なのだ。