web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前2時。ストロングペプシを開ける。

◇ぷしっと音がして、何口か飲んでいるうちに目が覚めてくる。

◇昨夜は20時頃に寝てしまった。結果、変な時間に起きてしまったので、ライティングの仕事をコツコツとこなす。書き方の要領をつかめば、どんな内容のものでもある程度は楽しめる。
 6時ちょっと前に妻が娘とやってきて、7時頃に息子が朝イチのトイレに走っていった。

◇息子の「空手」を見ているからか、娘も私に仕掛けてくるようになった。抱き上げると、一旦両手を大きく広げてから、左右同時に手の平を勢いよく振り下ろす。きえいというかけ声と同時に私の顔に何発か入れた後、歯のない顔でにやっと笑う。耳のつぶれた柔道家と歯のない空手家には気を付けろと、ずっと昔に父が言っていたのを思い出した。
 ちなみに娘は宇良関にちょっと似ている。

◇昨日はダイニングテーブルを買いに八王子へ。我が家はこたつ机を使っていたのだが、息子が少し食べにくくなってきたようなので、我が家も思い切ってテーブル&チェアの生活に切り替えることにした。ちょうど安売りをしていたテーブルがよさげだったので、店に入って現物限りの1セットを購入。
 その後、息子が2歳になる直前まで住んでいた八王子の街を歩く。夜泣きする息子を抱えて歩いた道のりを、家族で歩く。今抱っこ紐に包まれているのは、かつての赤ん坊の妹である。
 駅に向かって歩いているとき、今の住まいのご近所さんとばったり会う。職場がこっちなんですよ、と話していて、私の方は「以前こちらに住んでいたんですよ」と答えた。

◇本日は午前中は仕事に当て、昼食を妻の実家でとった後に、家族全員で代々木公園に向かう。ブラジルフェスとスタジオパークが目当て。息子にとっては京王線の旅と井の頭線が目当て。娘にとっては初の渋谷が目当て。だと思う。
 スタジオパークは楽しんだものの、昼食を食べすぎた私たち一家は、ブラジルフェスはさらっと歩いてすぐに出てきてしまった。妻はなんだか疲れたと言い、人混みを避けたいようだった。私も気疲れしていた。妻がナンパでもされやしないか心配だったのだ。

◇三連休であることを忘れていた。すっかり夏。しかしいつ梅雨明けしたのかわからないまま。

◇非日本語ラップの件、つづき。
 GEISHA GIRLSは、その構想段階からすでに、松本人志高須光聖のなかでは「坂本龍一プロデュースで逆輸入アーティストのラップグループを作る」というコンセプトがあったらしい*1。『ガキの使いやあらへんで』のトーク中に松本人志がそのことを話してから、一気に実現に向けて動き出す。
 1994年にシングル『Grandma Is Still Alive』のレコーディングで渡米したダウンタウンは、そこでほとんど初めてラップを聴き、テイトウワのレクチャーを受けてから、その場で一気にレコーディングをするという離れ業を見せている*2
 そこで生まれたうちの一曲が『Kick&Loud』なのだけれども、方言と裏声シャウトがキツ過ぎて、一聴するだけではほとんど何を言っているのか聴き取れない。というか、日本語として受容不可能な域にまで達している。

 松本人志によれば、「アマ(尼崎)弁っていうか、大阪弁でもないアマ弁。……アマ弁でもない連れ弁(連れにしか通じない言葉)」であり、つまり仲間内にのみ流通するスラングで構成されている。「アメリカで評価を得て日本に逆輸入されるアーティスト」として、彼らは日本語でも英語でもないラップをする必要があったのかもしれない。それは結果として、ダウンタウンが元々持っている「異国性」なる資質を、あらためて浮き彫りにする作業でもあった。
 「アメリカに受ける日本」という視点を一度経由することで、GEISHA GIRLSのラップは、おそらくこの時期の日本語ラップに顕在化していなかったものを提出した。周知の通り、さんぴんは1996年だし、TOKONA-XTHA BLUE HERB、OZROSAURUSらの台頭よりも前の話である。彼らは地元をレペゼンする意図をもって方言を活用し始めることになるが、GEISHA GIRLSは地方にある種の「異国」を見て、日本語の外側にある言語として方言を活用し始める。
 自分たちの言語を異国語として活用することの不自然さは、そのまま日本語ラップの持つ不自然さと同義である。日本語ラップを初めて聞いた人の多くが感じる違和感は、まさにその「日本語でやること」に向けられており、裏返せば、ラップすること自体がすでに異国語を話すことである、とも言えるだろう。
 もちろんそこには、そもそも正統な日本語というものからして相対的なものであり、その意味で、自分の話す言語は常に日本語の外側に向けられているという姿勢もあり得る。もしかしたら、日本語ラップに不自然さを感じなくなる瞬間、自分の話す言語の異国語性を発見しているのかもしれない。

◇非日本語話者に向けた日本語のラップグループであるGEISHA GIRLSは、しかし、コンセプトだけが先行するフェイクではある。
 翻訳可能な日本語を駆使するKOHHとは逆に、翻訳不可能な日本語だけでリリックを作るのも、日本での洋楽受容に即した結果だったりもする。とはいえ、ストリート志向を打ち出したさんぴんが、後発世代からフェイクと揶揄されることがなかったわけではない。これはもちろん、本質的にリアルかフェイクかという話ではなく、オリジネイターにはコンセプト先行型のアーティストも少なからずいるという話なのだが、結果的にそういう側面から見ても、非日本語ラップ日本語ラップの鏡として見ることができるように思う。

*1:高須光聖『御影屋』(ビクターブックス)

*2:『THE GEISHA GIRLS SHOW』(幻冬舎