web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後2時半。連弾兄妹。

◇息子のピアノのテキストには、鍵盤の上に2本足で立った動物たちのイラストがあしらわれている。それを見た娘が、ピアノを足で弾こうとする。

◇もう少しで1歳半になる娘は、人の真似が楽しくてしょうがない。特に両親よりも年の近い兄の方を真似したがる。息子が鍵盤に触れると、すぐに妹もそこに寄ってきて短い腕を必死に伸ばす。息子はそのことを練習しない理由にしたいのだが、言い方が悪かったために妻に叱られた。泣いて隣室の布団にダイブしにいくと、妹も兄を追いかけ、大喜びで布団にダイブした。

◇娘はもう言葉自体は大分わかっていて、発音はまだできなくても、こちらとのコミュニケーションは大分スムーズ。発音も「うん」という軽い同意程度なら可能だし、このあいだは語尾だけ「ねー」と同調することを覚えていた。

◇5月は『バンコクナイツ』と、そこに至る空族サーガをいくつか観た。ゴーギャンの『私たちはどこからきたのか、何ものなのか、どこへ行くのか』の映画化だと思って問題ないと思う。サウダーヂで田我流が演じた極右ラッパーも、国道20号線に出てくるやつらも、どこにいようとみんな「異邦人」だった。
 しかしそれにしても、バンコクナイツの音楽の良さには参った。エムレコードから出ているLPを思わずいくつか買ってしまった。ミュージカル映画とまでは言わないけれど、音楽と映像が依存し合う関係で結びついている。

アラザル同人の杉森さんに誘われて、スタジオでセッションしてきた。スタジオに入ったのはおそらく10年ぶりくらいだと思う。もちろんジャズセッションの経験もないし、フリースタイルもまだまだ続かない。なので、とりあえずいくらかリリックを書いて参加。おっかなびっくりだけれども、基本的なセッションのフォームも教わりつつ、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごした。みんな演奏うまい。

是枝裕和『海街ダイアリー』。
 親に捨てられた子供たちの生活を描くという意味では、『誰も知らない』の美人姉妹バージョンと考えていい。『誰も知らない』にも植物を育てるという日常の所作によって、兄弟たちの日常を肯定する素晴らしいシーンがあるけれども、『海街ダイアリー』はそれをさらに広げていて、限りなくやさしい映画だった。
 やさしさには、常に覚悟と決意が伴う。覚悟や決意なく人にやさしくすることは甘やかしであり、同時に自分自身への甘えでもある。海街ダイアリーが映すのはまさに甘えとは異なるやさしさで、それはおそらく人に期待することの残酷さも、人に受け入れられることの厳しさも、充分理解した上に表れる態度であるように見えた。

◇WAR『Why Can't We Be Friend?』

「I seen you walkin' down in Chinatown. I called you but you could not look around. Why can't we be friends?」

ミュージックマガジン6月号『日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100』に参加。同時にgogonyanta氏の『リスナーが選ぶ日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100』にも参加。ともにベスト30を選んで、同じランキングを提出した。
 ミュージックマガジンの方では25位いとうせいこう『MESS/AGE』、38位LowPass『Mirrorz』、47位スチャダラパー『WILD FANCY ALLIANCE』についてのレビューを、gogonyanta氏の企画の方ではベスト100にランクインした作品についてはすべてコメントしてある。
 個人のブログの方では、自分が選んだ30作品とそれに対する全コメントをメモしておく。一応、ミュージックマガジンのやつとは別の原稿になってます。

日本のヒップホップ・アルバム・ベスト30。2017年:安東三提出バージョン。


1.ALPHABETS『なれのはてな
日本語ラップがすごいことになった!」と思ったら、すごいのはアルファベッツで、その後のヒップホップアーティストへの影響がちょっとよくわからない。しかしとはいえ、この路線を突然変異と捉えてしまうのはやっぱりもったいなくて、ここからの枝葉はまだどんどん伸びていく余地があるんじゃないか。そんなことを期待したくなる名盤。


2.スチャダラパー『WILD FANCY ALLIANCE』
宮台真治『終わりなき日常を生きろ』は95年だけれども、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件よりも前の段階で「終わりなき日常」を主張したのはこのアルバムだった。というのは後付けだけれども、でも実際そうとしか思えない。そこにはある種の覚悟としての「まったり」があるわけで、『彼方からの手紙』にはその決意に至るまでの道程が読み取れる。「川」が何を指しているのかを考えてみれば、彼らの論理と倫理が明確になるだろう。ちなみに、サンプリング元ネタのジョージ・ベンソン『ブリージン』は、中原昌也の小説『誰が見ても人でなし』にも使用さえていて、そういえばこの短編を収めている書籍タイトルは『ニートピア2010』だったこともメモしておく。


3.GEISHA GIRLS『THE GEISHA GIRLS SHOW 〜炎のおっさんアワー〜』
ゲイシャガールズなんか入れんな!と怒られてもいいからランキングに入れたかった。松本人志がラップをやろうと思った理由とかは色々調べているけれど、いずれにせよ日本のテレビ芸能とヒップホップが早い段階で結びついた例のひとつなのは間違いない。そしてまた、ゲイシャガールズは「逆輸入アーティストとしての日本語ラッパー」を提示していたと思う。逆輸入的な日本「人」ラッパーとしてはShing02からKOJOEまでの系譜があるけれど、やっぱり彼らは英語でラップすることで向こうのプロップスを集めてきたラッパーだったと思う。また同様に、DJやトラックメイカーなどの日本人ヒップホップアーティストもアメリカで評価されてきた流れはあった。そう考えると、日本語でなされた日本「語」ラップだけがやっぱり言語の壁を越えられずにいたとも思うのだけれども、これはご存知の通りKOHHがついに突破した。日本のヒップホップの歴史として、フェイクが先行してリアルが追い付くというケースは多いけれど、まさにそれに当てはまる例がGEISHA GIRLSからKOHHという流れだったんじゃないだろうか。


4.NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDNITRO MICROPHONE UNDERGROUND
完成度と革新性を兼ね備え、それでいてフォロワーも生んで新しい潮流を作った最強のアルバム。アルバム単体の革新性はもちろんのこと、やっぱりDEF JAM JAPANとかRIKOといった名前も思い出されて、そういうヒップホップのディストリビューターまでよく見える「産業としてのヒップホップ」も面白かった。ヒップホップにそれほどのめり込んでるわけでもなかった私でも、町田のTAHARAで大々的にDEF JAM JAPANとニトロのパネルを見たときは感動した(記憶違いだったらすんません)。


5.SEEDA『花と雨』
6位のPSGと本当に迷ったけど、ここはBACHLOGICSEEDAの奇跡的な仕事が刻まれたという意味で、こちらを少し上にランキングした。とはいっても、また選ぶ時期が変わればどっちが上になるかわからない。


6.PSG『DAVID』
PUNPEEBACHLOGICは、日本のヒップホップの流れを一気に変えたプロデューサーだったと思う。『花と雨』がSEEDAに文学的な拡がりを与えた作品だったとしたら、『DAVID』はどこまでも映像的な音だったと思う。ちょっと感覚的な言い方だけど、でもghettohollywoodの超名作ビデオの出来を見ても、やっぱりそうなのかなという気がしてくる。


7.BUDDHA BRAND『病める無限のブッダの世界 〜BEST OF THE BEST(金字塔)〜』
まあこれは普通に、どう考えても選ばないわけにはいかない。日本語ラップが目指したひとつの頂点を極めてしまった。スタッテン島のシャオリン使いたちと同じ水準でやってのけたのがブッダブランドだったんだろうなあと思う。


8.LowPass『Mirrorz』
凝ったトラックの上でめちゃくちゃうまいラップが展開するだけでもすごいけれど、そのリリックが言葉遊びに終始してることに感動する。言葉遊び系とはいっても、やっぱり日本語ラップ黎明期のそれとは大きく違っていて、一番違うのは支離滅裂な展開の仕方。全体を通してのコンセプトが見えない。これには書き言葉の言葉遊びと話し言葉の言葉遊びの違いというのがあるんじゃないかと思う。


9.ZEN-LA-ROCK『LA PHARAOH MAGIC』
いまだにヒップホップの黒歴史的な扱いを受けることさえあるニュージャックスウィングだけれども、このアルバムを聞けば聞くほど、まだこちらの道へと延びていくヒップホップの豊かな可能性に気づかされる。テディーライリーという分岐点から、ファレルにいくのか、ZEN-LA-ROCKにいくのか。まだまだわからない。


10.SCARS『THE ALBUM』
ハスラーの世界を日本語で歌う。その強烈なインパクトもさることながら、マイクリレーの巧みさにも目を見張る。ある意味では実録ニトロだったと言ってもいいかもしれない。


11.いとうせいこう『MESS/AGE』
完全に書き言葉的な、コンセプトと展開がぴったり一致した言葉遊びではある。ラップ=メッセージをどのように崩すのか。みうらじゅんアイデン&ティティ』よろしく「不幸なことに、ぼくらには不幸なことがなかった」の問題に、日本語ラップとして初めて答えを出したのがこのアルバムだったのではないか。ちなみに、この次にその問題に回答を出した作品はスチャダラパー『彼方からの手紙』だと思う。


12.キミドリ『キミドリ』
インディペンデントカルチャーは雑多な未発達の文化の混交・交流を促すけれど、日本のヒップホップにおいて、その様子が色濃く投影された作品がこれだと思う。ラップスタイルも「ストリートっぽい」と形容すればいいのか、ぶっきらぼうな感じがむちゃくちゃパンク。


13.AUDIO SPORTS『Era Of Glittering Gas』
ヒップホップが明確にジャンルとして線引きされる前、可能性としてのヒップホップに挑んだ作品。普通にめちゃくちゃかっこいい。


14.m-flo『ASTROMANTIC』
ヒップホップは成り立ちから見ても、ボトムアップで切磋琢磨するカルチャーだと思われている。でも、これだけ大きな産業には、お金も人もふんだんにリソースを割いて、トップの人たちだけで構成されている側面も当然あるわけで、m-floは確実に日本でそれを担っている。(細野晴臣でなく)坂本龍一にラップさせたこのアルバムは、m-floの路線を確固たるものにした。ように見える。


15.YOU THE ROCK★『THE★GRAFFITI ROCK ‘98』
アルバム一枚でヒップホップの歴史を辿ってみせるという、一種の離れ業だと思う。ユウザロックのラップの魅力も全開で「全身でラップする」という表現がぴったり。


16.ECD『The Bridge 明日に架ける橋』
正直に白状すると、ラッパーECDを本当にすごいと思ったのはこのアルバムからだった。つい最近です。流行りのビートもしっかり咀嚼したうえで、自分のラップを乗せる真摯な姿に胸を打たれる。あと、これは今後、ラッパーの高齢化問題に取り組んだ最初期の作品になるのではないだろうか。


17.SHAKKAZOMBIE『HERO THE S.Z.』
実は入口は『カウボーイビバップ』だった。「日本語ラップはダサい」という偏見しかなかった中学生が素直に聞き入ってしまった曲が『空を取り戻した日』。まあこれは個人的な経験だけれども、とはいえ、そういうジャンル・メディア横断的なことができる拡がりを持った名作なのはひとつ。


18.LUNCH TIME SPEAX『B:COMPOSE』
MVでTAD’SがTシャツをパンツインしてラップしてる様子がむちゃくちゃかっこよかった。GOCCIの男ウケ間違いなしのラップがむちゃくちゃかっこよかった。メロコアもヒップホップもストリートのことを言うけれど、それが同じものを指していることを知ったアルバム。


19.SOUL SCREAM『The positive gravity〜案とヒント〜』
はじめて買った日本語ラップのアルバムだった。日本語でどのようなフロウを完成させるかが日本語ラッパーの宿命だった時代に、一番魅力的なものを提出したグループだと思っている。


20.THA BLUE HERB『STILLING STILL DREAMING』
対東京、対渋谷を打ち出した功績が大きいのはもちろんだが、単純にものすごいスピーチが聴けるという意味で抜群の存在感。演説とラップはつくづく同じものなんだと思う。


21.TWIGY『SEVEN DIMENSIONS』
単純に、ツィギーの魅力が一番詰まったアルバムなんじゃないかと思う。多種多様なフロウを緩急自在に使いこなすキレッキレのツィギーが聴ける。あと客演してるマッカチンがむちゃくちゃかっこいい。


22.KAKATO『KARA OK』
フリースタイルがすごすぎるふたりの即興的快楽を、カラオケという密室空間で見事に表現。J-pop的記憶の使い方もさることながら、普通に良質なポップスにしてしまってるのもすさまじい。


23.MACKA-CHIN『CHIN NEAR HERE』
マッカチンは明らかに時代を作ったアーティストだと思う。PSGを初めて聞いたときの衝撃にデジャヴがあったんだけど、絶対この作品を思い浮かべてたと思う。サンプリングの仕方も、ラップの主題の選び方もなんか変。マッカチン自身のものすごくハキハキラップする姿にも惹かれた。ニトロのファーストの後にこうした展開を用意できるところに、音楽的厚みを感じる。


24.THREE ONE LENGTH『THREE ONE LENGTH』
思わず「エバーグリーンな名作」とか言いたくなるくらい、一瞬と永遠が同義であることを認識させられる。いつ聴いても、このアルバムを聴くときは、いつも同じ自分になってしまう。


25.DELI『DELTA EXPRESS LIKE ILLUSION』
ニトロ以後、ニトロ的世界観をもっとも展開していったのがDELIだったんじゃないかと思う。なんというか、自身のソロ作品なのに客演ぽいというか、その辺がとても冷静。客演というヒップホップにおける重要な要素を考えるために、これからも何度も聞き返されるべき作品。


26.Dragon AshViva La Revolution
これはやっぱり、ロックミュージシャンのアルバムではなくて、ヒップホップとして数えられるべきアルバムだったんじゃないか。日本版『walk this way』だと思ってる。


27.SIMI LAB『Page1:ANATOMY OF INSANE』
ファーストだけれども、OMSBとQNが同時在籍していた時期の最後のアルバム。とか考えてしまう。それはともかくとして。日本語ラップは日本語を分解してまた組み直す作業なわけで、微妙な言い方になるけど、おそらくシミラボは組み直す際の手つきに独特なものを持っている。


28.NORIKIYO『OUTLET BLUES』
孤独であることのなかには、さみしさとは真逆の、一種の円満な、幸福に閉鎖された世界もある。多くのラッパーからそういうことを学ぶけれども、NORIKIYOがリリックで描く街は、そういった幸福な閉塞をもたらす存在のように聞こえることがある。


29.KOHH『YELLOW T△PE』
まるでL.A.かと思うような『we good』のMVを観たとき、日本語ラップが完成したと思った。ミックステープが出るというのですぐさま買って、『僕といっしょ』からのサンプリングや『family』を聴いた。完璧な日本語ラッパーが現れたと思った。


30.Moe and ghosts『幽霊たち』
ゴーストコースト(彼岸)というアイデアは□□□『お化け次元』でも提示されていたけれど、それをガチでやってしまったのは間違いない。ラップは話し言葉に漸近するものであり、そこにラッパー自身が見えてくるのだと思っていた。しかしMoeがやってのけたのは、どこまでも「話し言葉に近づかないままのラップ」であり、要するに歌声のままラップするということ。このコンセプトを突き詰めた先にはテクニック派に向かうしかないようにも見えるけれども、もしもそれとは違う道が見えたら、ラップが、ヒップホップが変わる。