web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午後3時。冷たい風と桜の花びらに、身を寄せるぬくさの春。

◇彼女と新宿御苑にてお花見。日が照ってるときはあったかいんだけど、昼寝してたら結構寒くなってきた。

◇出来事の面白さって、やっぱ強力。出来事と表現のせめぎ合いをなんとか文章の中に魅せられないかと思うけれど、やっぱ力及ばずで出来事に依拠しちゃってる。てか、ま、自分にすぐ出来るとは思わないけど、いつかやってみたい。
 あと、ここどうにかして生かして面白く膨らましたいと思う部分が見えてきたんだけど、どうやって伸ばせばいいかわからない・・・。あ、平日紀のことね。

◇hirotecさんから依頼を受け、原稿を書くことになりました。hirotecさんありがとー!!(→http://geocities.yahoo.co.jp/gl/hirotec_os/view/20090403
 楽しいと思える仕事はギャラの有無問わずいくらでもこなしますよ〜。以前にもラジオ批評のMasaruSさん(→http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/)から依頼していただいたり、そういうのっていいよね。何かありましたらメールにて承りますので。

◇『Life存続サミット』のパート1だけ聞いた(→http://www.tbsradio.jp/life/2009/04/2009329part1.html)。メール出すのすっかり忘れてた・・・。まずちょっと今すぐにでもできそうなのは、番組サイトがトラックバック受け入れることだと思う。これは技術や管理の面では全然問題ないわけで、ネックになる部分は、マスメディアっていう振る舞いをどこまで地面に漸近させるかってところ。そういう姿勢の問題でしかないんじゃないかって。マスコミの運営する公式サイトを、ほかの有象無象のブログとは差別化せねばならんっていう意識を持ってるのは実は局にしかなくて、僕らはおんなじディスプレイで番組公式サイトと2ちゃんねるを見てる。ネット上で展開されるものに関しては、公共性っていうのはかなり疑わしい。
 あと、コンテンツ産業ほど、お金持ちも貧乏人も同じように扱われてる領域ってないと思う。だってタオルとかフライパンとか化粧品とかの日常生活用品とかって、価格の高低とランクみたいなのが比例してる。けどコンテンツ消費に関しては全然違う。それこそ貧乏人は面白い映画みちゃいかんなんていわれたらホントキツイけど、実際こういう強度に関わる感受性はあんまり経済的な違いってないわけで、逆を言えばそれがマスメディアの雑なターゲッティングにも繋がる感じがする。
 さて、生活用品とかで、お金があればとりあえず高いものを買うのはなぜか。「安かろう悪かろう」をさかさまにして「高かろう良かろう」という判断をするからだ。お金があって、いちいち製品情報を調べるのがめんどくさい場合などは、こういう判断は有効だと思う。さて、あまり余裕がないが、少しでも良いものが欲しいと思った場合、お金を使わずに頭を使わなければならない。製品に関するあらゆる情報を収集・分析して、その中で満足できるものを手に入れることになる。んで、案外安くていいものっていうのは沢山転がってたりして、僕とかは頭と体使うといいことあるなあって気分になったりする。
 コンテンツ産業にもこうした原理を導入してあげられないかと思う。
 例えば、モーニング2は全作品ネットで公開してたらしい。ネット上でディスプレイを通して絵や文字を長時間眺めることは疲れるので、余裕のある人はコンビニで従来どおり買う。お金を使いたくない人は立ち読みやネット上の作品をプリントアウトするなりそのまま読むなりする。僕は漫画に限らずよく立ち読みをするけれど、将来お金ができたら好きな作品とか評価したい作品をガンガン買おうと思ってるわけで、コンテンツってそういう原始的なところで成り立たせるのが一番いいと思ったりする。

◇「被写体としての優秀さにつくづく驚く」(→http://d.hatena.ne.jp/ama2k46/20090403/)なんて書くとすごく冷静に、顎に指当てたりしながら「ほう」なんてつぶやきながら見ているように思えるけど、実際の様子は川村ゆきえ眺めながら、「うわ、これええね!!」「やばいっすね!」「ちょっとやばいんちゃう、これ・・・!?」「いやあけしからんですなあ・・。」なんて中二感情むき出しで話し合ってたわけで、もうama2先生ったらw。アラザルには文章と口述の間にギャップがある人が多いのです。それでそのことはすごく素晴らしいことだと思っている。ギャップ萌え。

◇グラビアのポエジー。そう、グラビアは一行詩なんだよ、チミ。

◇「一般的に見たらクソ曲でも、ファンはむしろその欠けた部分を補完することで価値の転倒を起こす。それがアイドル。」みたいなことをヒアホンの鼎談で宇多丸が言ってた気がするんだけど(←うろ覚え)、そうした「補完」は美の価値観の更新にも繋がっていくんだと思う。要するに、イメージの余地を用意するってこと。

シミュラークルの問題。ショッキングですので、ご注意。

人間がモノになる瞬間。