web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

『僕達の失敗学』個人的な感想メモ

◇ゲーム的な選択肢もそうだけど、ひとつのストーリーを見る見方が流れの中で変わってくるっていう話が出て欲しかったな。
 てか、正直僕はあんまり選択肢を選んできた自覚はない。選択肢「ぽいもの」は無数にあったけど、そこは僕が道を選び取ったともいえるし選び取らされたとも言えるような。つまり、決断を「する」と「させられる」はそのときには違うように見えるけれど、そこを後々振り返って考えたときは、どっちだっておんなじだと思うわけです。
 んで、僕がゲームをやらないからかもしれないけれど、charlieのゲーム的リアリズムがいまいちよくわからない。ゲームの最大のカタルシスはエンディングにあるっていう前提が僕はよくわからないからかもしれない。だって、例えば目先の利益を追求して将来を考えずに楽しく過ごしてしまったとする。んで結局後悔するんだけど、でもその代わり目先の楽しいことは味わうことができたし、まあしゃーないよねってなるのが人生ってもんじゃないの?つまり、最終的な結論にたどり着く前に、様々な過程があって、その過程の一瞬一瞬に価値を見出してるってこと。
 まあね、じゃあ逆に、人生にゲーム的リアリズムを適応するとしたら、往生の瞬間をエンディングにもってくるのが正しいんじゃないの?ひとつの人生を就職ゲーム、受験ゲーム、恋愛ゲームみたいにジャンル化して分解して考えるっていうのは単なる方法論でしかなく、ゲーム的「リアリズム」と銘打っておきながらそれはないんじゃないのって思っちゃうのです。
 往生の瞬間というエンディングに向けて考えるとすると、まさに全ては「一喜一憂」。様々な価値観は錯綜するけれど、でも死はどこまでも個人的なものだし、自分が何に価値を置いてきたかっていうことだけになる。