web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

朝8時。切り込まれる。

◇子供向け教育商材のDMに載っているサンタの写真を観て、息子が「ぱぱ」「ぱぱ」と言っている。妻によれば、昨日児童館のクリスマスイベントに参加した際『ママがサンタにキッスした(日本語ver.)』が歌われたのだそう。
 サンタが実はパパだったなんて歌詞をこどもに聴かせるなんて、全く困っちゃうわと言いつつ、しかし妻はその直後に、鼻歌でこの曲を唄う。

◇腹筋20回×5セット&皿洗い&米研ぎ。

◇息子が2歳になって3ヶ月。誕生日のお祝いの際にサラ・ヴォーン『habibi』をかけて以来、彼はずっとこの曲がお気に入りで、最近はほぼ毎朝「あびびん、あびびん」とコンポを見上げて連呼する。抱き上げてコンポのボリュームで遊んだら、次は父とダンスバトルをする。しかしそれにしても、久々に踊っているからか、僕の体の動きがとても固くなっていることに気付く。
 体の衰えを感じるとは言わないけれど、筋肉の硬直を覚えることが多く、それは息子が言葉を真似て発音するのが日に日に上手くなってくるのと比べたときなどに、特に強く実感する。発音の再現性の高さは、口の周りの筋肉の柔らかさと制御能力に依る。

アラザルのインタビューで伺った際、某氏は10年とか20年のスパンで物事を考える、ということを言っていて、僕はそのとき、それぐらい続けてりゃなんかわかってくることもあるんだろうな、だから俺も焦らずのんびりやっていけばいいな、くらいに思っていた。基本、その解釈自体は間違ってはいないと思うけれど、しかし最近思ったのは、10年や20年という月日のなかで、自分の日常生活は明らかに変化していくのだということ。そして、そうやって変化していく生活という次元での時間感覚とは別に、あるひとつのテーマについて考え続けるという次元での時間感覚を養うことが、貴重かつ粘り強さの必要な作業で、かつ贅沢なものだということが、やっとわかりかけてきた。

高畑勲かぐや姫の物語』。同じ符割りの曲を違う音階で歌うシーンに、『平成狸合戦ぽんぽこ』や『ホーホケキョ となりの山田くん』における、同じ登場人物を違うタッチで描く演出を連想した。
 思えば、『おもひでぽろぽろ』だってそうだし、もしかしたら『火垂るの墓』だってそうかもしれないけど、作品内の世界をかならず重層化させていて、全く同じ出来事に対してふたつ以上の視点=世界から眺められるようになっている。ひとつの出来事について、解釈をいくつも用意しようとする姿勢は、そっくりそのまま「原罪」に対する人間の思索を映し出すことにもなるだろう。
 しかしそれにしても、最高にエキサイティングだったのはあの赤ん坊の動き。確かに赤ん坊は、ああやって動くし、あんな風に重くなっていく!

◇anarchyについては、無骨なラップをテクニカルにまとめる、という印象を持っていたけれど、今回のミックステープではかなり違ったイメージを持ってきている。テーマ的にはGSP周りにも通じるけれど、anarchy節も随所に光っていて、スタイリッシュでかっこいいanarchyが観られる。