web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前8時。寝間着姿の座布団運び。

◇唐突に笑点のテーマを歌い始めた息子が、我が家の座布団をせっせと敷いている。1歳になったばかりの娘が司会席に座らされ、32歳になった私は小遊三師の席に座らされた。5歳児はとにかく山田くんの役を生き生きとこなしていた。

◇ふいに始まった大喜利だが、歌丸師であるはずの娘はとにかく小遊三師であるはずの私の膝によじ登ってくるし、山田くんであるはずの息子は「1枚増やすこと言って」「減らすこと言って」と、客のヤジのようなことばかり言う。私は慣れないなぞかけをしながらそれらに答えているうちに、朝からへとへとになってしまった。

◇日記を書かずにいる間に、娘は1歳になり、2017年に入ってしまった。娘は髪を伸ばし、昨年の10月頃から妻の母と似たような髪型になっている。

◇昨年末12月23日に父方の祖父が他界し、今年は喪中である。
 認知症も末期がんも進んでいて、晩年は施設に入っていたが、それでもひ孫ふたりを見せることができた。娘は昨年10月に1度会ったきりだが、喪主となってくれた叔父と叔母はそのことをとても喜んでくれた。

◇通夜と告別式は我が家からは私だけが出て、私の実家からは父母両方が出席した。これは私には意外だった。というのも母は、父方の実家にはもう30年近く行っていなかったからである。
 母いわく、夫さえしっかりしていれば嫁と義実家の関係はうまくいくはずであり、つまり母が父の両親と距離を置くことになったのは、父がそれに失敗したかららしい。たしかに父が、母の基準に照らせば相当に不器用であることはよくわかる。私から見るにそれは、ただのマイペースに過ぎないのだが、しかしそのマイペースこそが、母にとっては耐えられないことであることは、息子の私にはよくわかる。母は、家族が自分の思うように動いてくれないことを、自分への無関心と捉える傾向が強い。
 ただ、父以外に誰か母の希望に応えられる人はいるだろうかと考えると、それはやはり相当に難しいのではないかと思ったりもする。
 とはいえ、父もまた相当なもので、毎日のように母の怒りを受け続け、ときにケガをし、ときに家を追い出され、ときに職場にまで電話をされ、ときに持ち帰った職場のPCを壊されても、ある部分では絶対にマイペースを崩さないのである。
 私は小さいころ、父に離婚を勧めたことがある。父のためを思ってである。あまりに理不尽に母の怒りを受ける父を、私は被害者なのだと思っていた。しかし父は曖昧に、いやあ、と言ってにやにや笑うだけであった。寒空の下、父と息子ふたりして家を追い出された日の記憶である。
 2〜3年前、実家に帰った私は、父の話を聞いてぞっとすることになる。なんの拍子だったか忘れたが、父はいきなり、「君にどう映っているかはわからないけど、お父さんは君のお母さんのことがいまでも好きなんだよなあ」と言い放ったのである。
 夫婦というのはやはり、どこか狂気を帯びた関係なのだという確信が、私のなかにはずっとある。

◇私は私で別件で母と揉めていたため、母も葬式に参加することを聞いたときは、正直なところあまり気が進まなかった。まあ、母と私が揉めるのはいつものことなのでしょうがないかと思ったが、物持ちで交通機関をあまりつかわない母が居るせいで、宮城まで6時間かけて自動車移動することになった。これは気が重い。そして遅刻が許されない父は、途中渋谷で降りて新幹線に乗っていってしまった。
 案の定、車中で母と再び揉めたが、5時間半というのは揉めるだけでは埋まらない。果たして、喜怒哀楽の全てが車中の会話で沸き起こることになった。母の私や父への恨み節は、いつのまにか笑い話にすり替わっていた。
 母はマイペースな――母の言い方で言えば「愛も理解もない夫」との関係に悩み、友人の勧めでいくつか占い師のところへ足を運んだらしいのだが、占い師たちは誰もが口をそろえて、こんなに相性のいい夫婦は見たことがないと話すのだそうだ。私は吹き出しながら、やはりぞっとしていた。

◇昨年は諸事情から辞退させていただいたmiseさんのところの日本語ラップ年間ベスト。2016年は参加させていただいた。

◇『2016 BEST act In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253560.html
 “国民的歌手”宇多田ヒカルKOHHがフックアップされた2016年。KOHHをどうにかして言語化しようとする日本語ラップ批評(?)よりも先に、一気にど真ん中に突き抜けてしまった感すらある。KOHHの客演はフックアップであるだけでなく、ある種の逆輸入アーティストとしての側面も持ち合わせていて、「KOHHゲイシャガールズのリアルなやつ」と言い換えてもいい。
 フリースタイルダンジョンの成功も含めて、日本のテレビ芸能的な位置づけを考えてみる必要性が一気に高まったのが、2016年の日本語ラップシーンだった。

◇『2016 BEST ALBUMs In 日本語ラップ(Selected by 安東三)』→http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52253562.html
 2016年は、言ってしまえばKOHH不在の年であり、ポストトラップの年でもある。いや、全然KOHHは居たし、トラップの猛威は相変わらずだったわけだけど。
 長らく、日本語ラップは逡巡をテーマにしていた。人種差別や貧富の差を歌うことの逡巡、ギャングでないことの逡巡、あるいは自意識の逡巡、そしてヒップホップをすることの逡巡。それらは音楽の上で、リリックの上で、はたまたファッションや姿勢や立ち居振る舞いの上で、直接的あるいは間接的にヒップホップに反映されていた。
 そういった逡巡が生み出す「アイデンティティの揺らぎ」によって、USヒップホップの内包する「アイデンティティの揺らぎ」と響き合う構造を持っていたようにも思う。
 しかし、もはやそうした二重に捻じれたアイデンティティの揺らぎはもはや必要なくなってきたのが、2000年代以降の日本語ラップが歩んできた道だったのかもしれない。
 KOHHはそうした世代の頂点だったと思うし、それは世界的にも共通した動きだった。よって、ワールドワイドにバズったりもしたのだろう。
 2016年は、逡巡なき日本語ラップがいよいよ極まるなかで、あらためて90年代からの日本語ラップとの再接続が試みられるような、そんな動きが見えた気がした。

◇気づけば、今回の10作品は、概ね上位3作品のいずれかの方向に分類されるように選んでいた。
 3位の『田中面サウンドトラック』は、一時期までのサンクラ/ディジタルディガー層を一気に取り込むと同時に、単純に「いい音楽ファン」にもリーチし、おそらく今後のコミュニティミュージックの在り方をいち早く提示していた。もちろんそうした一連の動きは田中面舞踏会の第一回から形になっていたわけだけど、音源として1枚に収めたという意味で、そしてそれがどんな方面にも目配せしているという意味で、極めて音楽的にコンセプトを達成したんじゃないかと思う。
 2位のKANDYTOWNは、どう考えても2016年のニューヒーロー。90年代信仰のうるさ型ヒップホップヘッズを音楽的にもレトリック的にも黙らせる日本語ラップの「正統派」感も出しつつ、サグなギャングもいいとこの子もUSもJPもラップすりゃみんな平等的な価値観で、リアルとかフェイクとかを端から問題にしない。“my house is a your home”のラインのやさしさに泣きそうになってしまったりしながら、「みんなで広げるホーミーの輪」を本気で信じられる気がしていた。草刈正雄浜田雅功の子供たち世代がこういうことを言っているという意味でも、次のフェーズに入った感じがする。

◇ある種のバックラッシュで評価されてる部分はあるかもしれないけど、しかし昨年彼らの登場を目撃できたのは圧倒的に良いことなんじゃないかと思う。

◇パブリック娘。を1位に選んだのは2011年以来、2作連続。正直、ひいきのアーティストを1位に、しかも2回連続で選ぶというのは、選者としては結構勇気のいるセレクトだったけど、胸を張って挙げさせていただいた。
 「ぶっきらぼうに見えて器用」なラッパーの系譜はキミドリからやけのはらまで連綿と続いているわけだけど、パブリック娘。はそこに貪欲な「非」アーティスト性を盛り込もうとする。ともすれば「ナード系」とか「文化系ヒップホップ」に回収されそうなところをギリギリで避けることができているのは、たぶん「文学性」やら「音楽性」といったアーティストっぽさを上手に回避して、「社交性」を前に出しているからなんじゃないか。
 もちろん、だからといってパブリック娘。が文学性やら音楽性やらが希薄なグループだと言いたいわけではない。ただ単に、そういった文化系受けしそうな自意識の逡巡をテーマにしていない、ということである。その意味で、2位のKANDYTOWNと非常に近いところでラップをしているようにも見えるし、見えている景色も似ているのかもしれない。
 学生時代にリリースした過去作からの変化という点では、社会人になってもリリックの巧みさは相変わらずで、そしてなんと、ラップがうまくなっている! しかしうまくなっているにも関わらず初々しさがあるというか、声の出し方がいまだに全然こなれていないというのは、これは絶対に狙ってやっていることだと思う。

◇2016年は出張の機会が以前より増えたんだけど、KANDYTOWNとパブリック娘。を交互にかけながら、新幹線の窓から外を見てみたりした。