web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前1時。寝室の外、夜中の音。

◇もう月曜日になってしまう。

◇3月11日から息子は6カ月目に入る。なんとなくおすわりもできるようになってきている今日この頃だが、本日はついに離乳食に挑戦したのであった。以前から両親の食事を涎を垂らして眺めていたので、さぞかし今日を待ちわびていたことだろうと思うのだけれども、しかしまず食べる前に首に巻いたエプロンに興奮を隠せない。ようやく口に放り込まれた母の手料理に、舌鼓を打つよりも先にまたエプロンを矯めつ眇めつする。そんな息子の姿を観ながら、僕らが食事と呼ぶものは、食べることにまつわるあらゆるものの全体を指すのだということを思い出したりする。

◇水泳に行ったのは先週の日曜日。完全に月に一度のペースだが、意外と泳ぐ速度は変わらず、45分2100メートル。けれども、泳いでる途中からずっと頭が痛く、それはその後数日間引っ張ることになった。やっぱり身体が鈍っているのかもしれない。

◇去年の3月11日以降の変化、特にメディアを介して意識が変化したという主張を聞くと、それは一体どの程度のものなのだろうと思う。3月11日由来の余震が収まり、津波の映像を観なくなり、放射能による健康被害の報告がないままに時間が経って、被災地の経済的な復興が終わったとき、ある程度の人はまた何事もなかったかのように新しい原発の建設計画を聞いてもぼーっと聞き流すのではないか、という強い疑念がある。
 2011年3月11日に起きた震災は、地震津波と、原発事故という二つの側面を持った災害である。実質的な被災を身近に感じる状況にない場合、それらはほとんどメディアを介した被災となる。市民の手によって撮影された無数の映像は、向こう側とこちら側の距離を一瞬にして乗り越える津波の様子を伝え、それはそのままその映像と閲覧者の間のフレームを乗り越えんばかりのインパクトを与える。あるいは放射能汚染の恐怖は実体のつかめない獏たる不安を象徴化し、それにまつわるあらゆるストーリー(虚構)は僕らの現実観にゆさぶりをかける。
 つまり僕は、メディア上の被災が津波原発事故による直接的な被災よりも軽い、などとは思っていない。いや当然被害は違う質のものだし、ある意味では軽いと言っても良い側面はあるだろうけれども、しかし意識の変化を促すという一点において比較すれば、どちらにも等しくその機会が用意されている。だからメディア上の被災から意識が変わることは、一本の映画が意識を変えるのと同様に、あるべきだろうと思う。ただそれが、残念ながら暇つぶしにテレビ番組を眺めるような類の、つまり漫然と消費して終わりにしてしまうようなことが、既に色々なところで起きているのではないか。例えば「3月11日以降、私たちは変わってしまった」という物言いなどはまさにその典型のように見えたりする。
 変わってしまったのが「私」ではなく「私たち」であるかのような口ぶりには、ひとつの出来事が私たち全員に全く同じ現実をもたらすという感覚があるのだと思う。けれど、ばらばらである個人の意識を一斉に同じものに変えてしまうことなど、どんなに圧倒的な体験でもあり得ない。意識の変化とは、起こった出来事を複数の角度から捉えなおす態度をひとりの人間のなかに用意することである。それはつまり、どこまでも個人的なものでしかない。だから3月11日という共時性を強調するのならば、同時にどれだけ異なったその日の過ごし方があったのかを浮かび上がらせる必要がある。起こった出来事から受けたショックの程度を語り合うのではなく、起こった出来事を複数の角度から何度も捉えなおすこと。

◇実生活が変化してから見方が変る人は、実生活に変化がない限り見方を変えることができない。震災後1、2年騒がしい気がしても、表面上の生活がなんとなく前のものに戻れば、また何事もなかったかのような気分になる。それまでの騒がしさとはつまり、一時的な感情の昂りでしかないのだろう。「終わりなき日常が終わり、終わりなき非日常が始まる」という言い回しが大嫌いなのは、そういうところである。非日常が収まれば、また日常に戻る。始めからお祭り騒ぎとして何かを享受するつもりの物言いに過ぎない。どんな出来事が起きても、それもまた日常の一部であるのだと、どうして言えないのだろう。