web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前9時。二度寝の妻。

◇息子は小学生の従兄弟の学芸会を観に、祖母と電車の旅に出た。妻は朝早くに息子を実家に連れて行き、帰宅するなりすぐに布団に潜り込んだ。入れ替わりに遅く起きた私は、久しぶりに妻の朝の寝顔を観た。

◇更新していないうちに、気付いたら息子は4歳になり、近いうちに娘も生まれそうになっている。

◇ここまでしっかりハマる理由がやっとわかった。

 加山雄三とヒップホップをつなぐレコード。この一曲が示すのは、単純に共通するメディアを持つという意味だけではなく、「もしもロック(ユースカルチャー)がなかったら」という仮定を可能にする。ロックの目指すところは、やがてハイファイなCDというメディアに結実し、そしてここ日本においてCDと蜜月を過ごしたのはJ-popであった。
 北斎漫画と今日のマンガの間に戦争が挟まるのと同じように、日本の歌謡曲とヒップホップの間にJ-popを挟まずに語ることは不可能である。このpunpeeのリリックにB'zの引用が含まれているのは、けして偶然ではない。

午前7時。豆腐の多いパンケーキ。

◇うちのパンケーキには豆腐とレーズンを入れる。今朝は期限の近い豆腐を使い切る必要があって、いつもよりひとサイズ大きいものを使った。これはこれでおいしかったが、ちょっと重たかった。
 レーズンを入れる係の息子は、いつも通りたっぷりレーズンを入れ、結局あまり食べずにごちそうさまをした。

◇息子は月曜からずっと体調が悪く、結果的に金曜日まで、幼稚園を一週間お休みすることとなった。症状としてはマイコプラズマを思わせるのだが、検査の結果は陰性。しかし検査のタイミング等で結果も変るらしく、陰性だからといって即マイコプラズマを否定できるものでもないらしい。でも結局抗生物質をもらうことはなく、対症療法のみに留まり、咳と熱の薬をもらった。自然治癒もある、とのこと。
 私は転職してまだ間もないこともあり、新しい職場で休みが取れず、息子の看病は全て妻に任せてしまっていた。妻によると、息子の食欲はないものの、しかし機嫌が大変よいらしく、それがせめてもの救いである。とはいえ妻も疲れていることに変わりはなく、この一週間はほとんど、私が帰宅した頃には既に寝てしまっていた。

◇金曜の夜に熱が下がり、土曜の朝は雨の降らないうちに近くの公園で遊んだ。雨でぬかるんだ地面の上を滑り、尻を泥まみれにして楽しんでいた。私はその公園の向かい、曇天の田んぼに伸びる稲を見ていた。息子といっしょに幼稚園に行かなくなって3週間ほど、稲がどんどん伸びて青さを増していることに気付いた。私は通勤時も同じ道を通るのだが、ひとりで歩くときはほとんどこの田んぼを見ていないのであった。

◇大変ありがたいことに、お声かけいただき、人前でお話をする機会をいただきました。
http://www.nadiff.com/gallery/thecopytravelers.html#event
美術に関しては全くの門外漢、ヒップホップに関しても確実に外側から観察している身分ですが、自分なりに参加させていただけたらと思います。

◇ヒップホップの4要素に共通するポイントを乱暴にいうと、「上塗りする」「重ねる」「乗せる」といったようなことなのだが、その塗られ方、重ねられ方は、グラフィティ、ブレイキング、DJイング、MCイングのそれぞれにおいて、微妙に異なってくる。
 二つ以上のものがひとつのメディアの上にパッケージされるとき、それらはミックスされるのか、単に並列されるのか。おそらく両方だが、ミックスか並列かの度合いは、キャンバスとなるメディアが持っている特徴に左右される場合もあるし、あるいは作家性に依る場合もあるだろう。要するにミックスされるというのは作品化する、それ自体ひとつの文脈を持ち得るという意味で、当然、完結性という点では、きちんとミックスされていた方が高められるのは事実だろう。作品に向かい合うとき、彼は表現者ではなく鑑賞者となるが、それは作品が完成していればいるほど、その役割分担は強固なものとなる。しかしヒップホップにおいては、この表現者/鑑賞者の境界が曖昧な状態が非常に多く、そしてそれが致命的な欠点になるとはほとんどの場面で思われていない。完結性の低い作品であっても、そのなかにフレッシュな切り口があれば、それは新たに次のプレイヤーによって育まれていくことになる。その意味では、メディアのうえに乗ったものが、充分にミックス、洗練されていないことも多いのである。

◇Summer City - パブリック娘。

午前9時。胡瓜の花と葱坊主。

◇登園中は、専ら通園路の微細な変化を話題にしている。道すがら出会う動植物の様子と、踏切を通る電車の車型と、近所で行われている工事の進み具合である。主題はほとんど変らないが、対象が日々変化していくので、話す内容もそれに合わせて変化していく。
 いつも水を張っていた田んぼからカルガモのつがいが姿を消していた。カルガモの夫婦はどこへ行ったのだろう、おそらく近所の公園に移っただけだろう。そう話しながら幼稚園に着いた息子は、同じくらいの園児達の列に並び、元気に登園していった。帰り道、カルガモの居なくなった水田を見れば、田植えが始まっている。まだほとんど黄色に近い、小さな稲が整然と並んでいく。

◇5月の末に退職を申し出ると、そのままほぼその日中に退職となってしまった。転職先は決まっていたが、入社時期はこれから詰めるという段階であった。退職の一月前の申請が義務づけられていたが、会社も相当苦しいのだろう、私はその条件を呑むかわりに、私が仕事を依頼したスタッフさんへの支払いが遅れないよう、一筆書いてもらった。それにしても、収入の面もそうなのだが、それ以上に健康保険が心配である。調べると、20日以内に申請すれば、退職後も現在の健康保険組合を任意で継続できるらしい。つまり、20日以内に新しい職場に入れるのか、交渉してみる必要がある。
 果たして本日先ほど、6月の半ばに入社が決定し、胸を撫で下ろした。今回の転職は、万事こんな調子で、全て唐突に始まり、全てギリギリのタイミングで決まっていった。
 ところで、30歳の妻子持ちというカードは、転職市場においてはなかなか引きがあるんじゃないだろうか。つまり、後がなく、踏ん張ることが見込まれ、仕事上はまだ伸びしろを期待される年齢、ということである。そしてそれはそのまま、おそらく私に注がれる世間の目という奴になっている。

◇5月6月は小学校時代からの腐れ縁達が、立て続けに結婚式を挙げた。4人のなかで最も早かったのは私だが、結局30歳で全員結婚していた。バンドを組んでいた私達は、かつて熱狂した音楽達が披露宴のところどころにBGMとして使われているのに気付くと、目を合わせてにやりとしながら、しかし同時に寂しいような気分にもなった。ただそんななかでも、なんとなく、この曲だけは結婚式には使用しない、という曲がある。

『How Many Times』は、ボブ・マーリーがスカを演奏していたstudio1時代には既にあった曲だが、後年、ドゥーワップ調のレゲエとして歌い直されてもいる。おそらくそちらの方が有名だろう。失恋の痛みを甘く軽やかに歌い上げていて、レゲエバージョンでは甘みが増している。ただ、私が初めてこの曲を聴いたのはこのスカのバージョンで、繰り返されるサックスのフレーズに顕著だが、全体的な軽やかさがとても好きだった。
 失恋の曲だから結婚式にそぐわないのは当然だが、しかし私達のうち二人はこの曲の歌詞を全く理解していなかった。だからきっと、この曲をかけない理由は、リリックだけではないのだと思っている。

◇ヒップホップのいうリアルは、常にハスリングとともにある。ものすごく単純な言い方をしてしまえば、彼がリアルであるかどうかを問われるとき、ハスラーとしてサバイブしているかどうかが問われているのである。そのヒリヒリした切実さを喪えば、彼はきっとセルアウトしてしまう。商業主義に陥ること自体が悪いのではない。それによって自分自身の切実さから目を逸らすことが問題なのだ。

午後4時半。水に浮く。

◇家族全員で水泳。初めての経験。

◇息子と私は、先月末頃に近所の市民プールに一度行っていた。今日はそこへ水着を新調した妻が加わり、三人で水泳を満喫した。息子はスイミングスクールの短期体験3日間コースで身につけた技術を見せたいらしく、水に入る/水から出る動作と、座ったままのバタ足、かべの伝い歩きを、得意げに何度も繰り返していた。しかしスイミングスクールの通常授業に通うかと訊ねると、ちがう!と短く答え、両親とこうやって週末に市民プールで泳ぐからいいのだと言う。
 短い間、私は妻に息子を任せ、500メートル程度泳いだ。妻はほんの少し、2〜3往復ほど泳いだ。息子は二の腕につけるタイプの浮き輪を使って、なんとなく水中を移動した。

◇木曜日は息子の入園式。人見知りを心配する両親の緊張が伝わったのか、息子も少しナーバスになっているようで、当日朝は出発時間が近付いてもなかなかプラレールを停めたがらず、大好きな制服も来たがらず、しかし幼稚園に行かないとは言わず、というなんとも複雑な気持ちが見えるようだった。結果的に彼の背中を押したのは、生まれた直後から一緒にいる「ベン」である。手を入れて動かすことのできるシロクマのぬいぐるみで、「ベアオ」という名前なのだが、いつのまにかベンと呼ばれるようになった。彼といっしょに幼稚園に行くのだと言い張る。こんなことを言うのは初めてである。
 登園途中、息子は「ベンを連れて外を歩くのははじめてのことだよ」とあらためて両親に語り、結局ベンを抱きかかえたまま、他の園児たちに紛れていった。先生もこういった事態はよく心得たものらしく、ぬいぐるみを抱えて両親と離れる息子を、慣れた調子で誘導していった。果たして式本番には、息子はベンと別れ、他の園児たちと電車ごっこをしながら会場に入ってくる。私の小さい頃とは似ても似つかないスリムな体型の息子は、おとなしく真顔を崩さずに式をつつがなく終えた。
 翌日金曜日は、もうベンの助けは借りずに、元気よく登園していった。見送った私は、無造作に床にうつぶせに置かれたままのベンを抱き上げた。

◇3月はアラザルメンバーの西田さん、諸根さん、黒川さんとともに作ったユニット「何某」の初ライヴがあった。東京と大阪で開催されるpre-の新作展示である。pre-は、これまたアラザルのほぼ全てのデザイン作業を一夜で終わらせる豪腕デザイナーとそのご主人が運営する服のブランドで、我々はそのライヴ中、pre-の新作を着て舞台に立つモデルでもある。対バンはju sei。何某のデビューを、pre-とju seiは温かく見守ってくれた。

◇電化をしない声というのは、音とその出所を分解しない。つまり言葉はそのまま距離であり、音として伝えることが、意味を伝えることよりも自然と前に来る。だがいま、録音や通信技術等も含め、電化を経ないまま、プリミティヴなままの声を鑑賞に晒そうとするとき、それは必ず電化を経た耳に聴き取られることを前提としなければならない。つまり、実体を持つ言葉が示す距離という側面に対して、それを無視しようとする耳と、あるいはそれに対して過剰な期待を寄せる耳と、いずれにせよ電化以前とは決定的に異なった聴こえ方をするはずの声として、それを提出しなければならない。それは結局、レコーディングマイクに向かうときの心境なのではないか。全ての耳を、レコーディングマイクに見立てて声を発していかなければならない。

◇何某のデビューしたイベントの前だったか後だったか。息子とふたりで遊んでいた公園に、自転車に乗った幼稚園の年長さんくらいの男の子二人組と、その後を歩いたりしゃがんだりしながら続く、彼らよりももう少し小さな子供たちの一団が居た。どうも弟や妹らしい。息子は彼らに目をやり、その弟妹たちが何かを拾っている様子を観ながら、何してるんだろうねえと私に訊ねた。この頃の息子は、こうやって何かを指して、それについて私や妻に訊ねるという行為自体がなにか面白くてたまらないようで、いまにも笑い出しそうな大声でそんなことを言う。妻から息子の人見知りを心配する声を聞いていた私は、息子の質問に直接答えることはせず、じゃあ何やってるのか訊いておいで、と返した。妻から心配されている息子は、しかしそこで、一番年齢が近いらしい男の子に向かって、相変わらず爆笑をこらえるような調子の声のまま「なにしてるの?」と走っていった。相手の迫力に気圧された男の子は、一瞬後ずさりするも、自分がやっていることの説明をするでもなく、なんとなく持っていた木の枝を貸してくれた。私にとっても、息子のこの行動はちょっと意外だった。私の知っている息子は、両親以外のほとんどの人とは、直接会話を交わそうとしないのである。
 木の枝を受け取って私のところまで戻ってきた息子に、今度は「ありがとう」と「いっしょに遊ぼう」を伝えるように言った。また息子が走っていき、遠くの方で息子が何かを話し、その一団に混ざって何かを散策し始める様子を眺めていた。少ししてから、彼らは亀を見つけたようだった。

◇Tyler, The Creator - Fucking Young

午前9時。食卓脇、静かなプラレール。

◇息子が矢来の従兄弟の家に出掛けると、両親は何をすればいいのかわからなくなってしまった。

◇先週の水曜日のこと。祖父母が週末に従兄弟の家に出掛けると話すと、息子もいっしょに行くと言い出した。両親は留守番をしていれば良い、とも言う。その後、木金土と、両親はしつこく何度も息子に確認するが、別に気分が変わることもなく、そのまま今朝、義父の運転する車に乗り込んで出掛けていった。元気よく手を降っていた。
 お言葉に甘えて、私と妻はふたりで何をしようか考えたが、特に何が変るわけでもなく、少し手持ち無沙汰な日曜日になっただけだった。

◇と思ったのもつかの間、16時頃に帰宅した息子はおそろしいほど上機嫌で、年上の従兄弟たちにかわいがってもらった余韻を反芻していた。移動は全て駆け足で、その間も話が途切れることはない。一瞬だけ眠い、と漏らしたので一安心して寝床へ連れて行くと、寝た振りをする両親に構わず、歌や踊りや器械体操を延々と繰り返す。年が少し上の従兄弟たちと遊ぶたび、語彙や修辞を爆発的に増やすらしく、それを使い回す快楽に浸っているのかもしれない。こんな言い回しをいつの間に覚えたのだろうと思いつつ、笑いをこらえているうちに、ようやく寝息が聴こえてきた。果たして23時。疲れた妻は、息子より先に寝入っていた。

◇2月が過ぎるのは早かった。ただでさえ日数が少ないうえ、息子が高熱を出して、調子の悪い日が月の半分ほども占めた。普段体調を崩さないせいで慣れていないのか、高熱にぐったりとしていた。両親もまた、初めてみる息子の様子に狼狽えた。川崎病をはじめとする、重篤な病気も疑いながら複数回診察を受けた結果、遅ればせながらの突発性発疹だったようだ。

◇1月は、私と妻の5回目の結婚記念日を迎えたり、新しい職場を早速休んでディスニーランドへ出掛けたりと、それなりに慌ただしく過ごした。気付けば息子も4月から幼稚園に通う。夫婦であったり両親であったり、私達ふたりにも色々な種類の役割が与えられ、そのたびごとに新しい関係が切り結ばれているのかもしれない。

◇サンプリングはパクリである、というのは事実だと思うし、それを肯定的に捉えていいとは思うけれど、最近思うのは、元ネタを暴力的に切断したり引き延ばしたりしているうちに、元ネタが持っている、いわば無意識みたいなものを汲み取っているケースもあるのではないか、ということ。それは、作者の意図を汲む「引用」と呼ぶには突飛過ぎるし、単に暴力で奪い取る「剽窃」と呼ぶにはもうすこし誠実なのかもしれない。あるいは、オリジナルの強度が、そうした誠実さを強制しようとするのかもしれないけれど。

KOHH実弟、Lil Kohh主演のDVD『日本の小学生』が、ノーカット完全版でyoutubeにupされていた。

Lil KohhがイベントのフライヤーやポスターなどでKohhの姿を発見するたびに、「お兄ちゃんだ!」と嬉しそうにはしゃぐ様子が大変愛らしく、ファン的には大変和む作品なのだけれども、見所は318氏がはじめてラップをする小学生たちを相手に、ディレクションをしているところ。驚くほどの上手さに舌を巻く。
 街のこどもたちの面倒を見るちょっと悪そうだけどやさしい兄貴、318氏の姿を見ていると、ベッドタウンとは違う下町の地力みたいなものを感じる。と同時に、スパイク・リー『クロッカーズ』に出て来る床屋の親父にも似た雰囲気を感じとって、やっぱり一筋縄ではいかなそう。

島田紳助は自分の進むべき道をあらかじめ計画し、その通りに実行することに命をかけるように見える。その彼の事業計画書のなかに「ロック」はあっても、「ラップ」はなかった。彼にとっての「ロック」は、おそらく情動の発露であり、また同時に制御でもあったのだと思う。ある種の物語に情動をはめこんでいくための、話芸の一種であったのかもしれない。そして島田紳助がそのツール足り得ないと早々と見切った「ラップ」は、ゲイシャガールズによって見事に昇華され、事業計画書を書かない松本人志によってひとつの達成を見る。

午後4時半。薄暗がりと白い息。

◇頬を紅潮させた息子が泥だらけで遊んでいる。気付くと公園には私たち父子だけになっていて、薄暗くなってきた年末の空に、息子と私の笑い声が抜けていく。

◇23日は近所に住む義父母をお招きして、我が家でクリスマスパーティを開いた。興が乗ってきた息子が、お気に入りの音の鳴る絵本でクリスマスソングをかけながら歌とダンスを披露し続け、いそがしく楽しんでいた。義父母といっしょに妻の作ってくれたグラタンやバクテーを食べ、年々賑やかになっていく我が家の様子を眺めていた。そういえば私がグラタンを好きになったのは、妻が作ったものを食べてからだ。
 翌朝、24日にもかかわらず、息子の枕元にはサンタクロースからのプレゼントが用意されていた。息子の指摘で気がついたのだが、サンタさんからのプレゼントの包装紙が、児童館のクリスマス会で妻が作ったブーツと同じ絵柄だった。

◇クリスマスから年末にかけてパーティが増えたせいか、妻はお腹を壊してしまった。私もちょっと胃が痛い。

◇クリスマス前のことになるが、ミラノ座のラストショウプログラムにて『E.T.』を観賞。3歳の息子の映画館デビュー戦でもあった。二度目に自転車が飛ぶシーンに涙を堪えていたら、膝の上の息子が突然振り返り、興奮気味に「自転車飛んだの、しごいー(すごいー)」とたどたどしく話しかけてきて、たまらず号泣。そのまま虹のシーンまで止めどなく。
 “I'll be right here.”の台詞から虹が描かれるまでの音楽が、とてつもなくすばらしくて、毎回驚いている気がする。シェルターが閉まりかけるときに、音楽が一旦静かになる演出は、おそらく一番最初に映画のなかの「音楽」を意識した瞬間でもあったと思う。言ってみれば、あの一瞬で、エリオットとE.T.の共振と断絶が同時に描かれてしまう。それは物語(映像)の流れとは少し違うタイミングで描かれる別れであって、つまり音楽はあくまで音楽として、映像の外側からこの物語に介入しているようにも見える。
 その日帰宅して、興奮さめやらぬまま『E.T.』の話をしていると、「ところでETって、かくし芸大会で研ナオコがモノマネしてなかったっけ?」と妻が言う。

◇今年もMiseさんにお声がけいただき、2DColvicsにて『2014 BEST ALBUMs In 日本語ラップ』『2010-2014 BEST ALBUMs In 日本語ラップ』を選ばせていただいた。ついでに、一年の出来事を振り返る意味でも、『2014 BEST act In 日本語ラップ』といったものも並べてみた。あらためまして、こんな機会をいただき感謝です。
 毎度のことながら、順位は便宜的にあてはめたもので、作品の出来不出来みたいなものをそのままランキングに反映しているわけではない。ただし、やっぱり基準として、1位には一番面白かったと思うものを置いているので、そういう意味では問題なくBESTランキングだと思う。

◇『2014 BEST ALBUMs In 日本語ラップ』は、基本的に1位と10位、2位と9位、3位と8位、4位と7位、5位と6位のペアで、同じテーマで選出させていただいた。このランキングは5位と6位の間に鏡を置いて、それぞれ裏写しになるようなイメージで配置している。
 『2010-2014 BEST ALBUMs In 日本語ラップ』の方は、説明が大変なのでメモをそのまま載せておく。

クリストファー・ノーラン『インターステラー』

クリストファー・ノーランインターステラー』。宇宙とタイムトラベルと親子。

 ネタバレ前提で書きます。
 『2001年宇宙の旅』との関連から書くと、「人智」の範囲を広げるという『インターステラー』の姿勢は、そのままHALとモノリスを合体させた人工知能キャラクターに表われる。かつて表象(≒理解)可能か不可能かという意味において厳格に区別されていたHALとモノリスは、『インターステラー』においてはひとつの人工知能、つまり理解の内側の存在にされてしまう。あの異様な手触りを伴う直方体は、「映像化不可能」を示す記号としての役割をやめ、おそらく工学デザイン的な意味を担うに留まっているし、『インターステラー』に登場する人工知能たちは、人間の予測に反して叛乱を起こすHALと対照的に、どこまでも人間に忠実であり続ける。彼らを放っておいても「裏切り」という未曾有の事態は発生せず、つまり人智を超えることは、ここでは人工知能の発達とは無関係の出来事にされている。
 では、限界・不可能の突破=人智の拡張はどうやって可能になるのか。言い換えれば、モノリスが担っていた「映像の外側」は、『インターステラー』においては、どこに描かれているのだろうか。
 ひとつ、ここで言う「限界」は「重力の制御」のことであり、これの可否によって、人類が他惑星に移住できるかどうかが決定する。重力はつまり、光や、音や、そして時間という形を借りて表現されるが、劇中、こういった「重力」を自在にコントロールする人間の姿が描かれる。首を傾けてロケットを眺めるマシュー・マコノヒーは、重力に担保された視点を変調させ、宇宙空間に地球の環境音をかぶせてしまうデヴィッド・オイェロウォは、重力に左右されずに音を持ち運んでいる。その延長線上に置かれた父と娘の交信は、だから唐突なものでもなんでもなく、あり得べきものとなる。なぜなら、私たちはすでに、物語をつむぐことによって、時間=重力を自在に制御しているからだ。
 ところで、『2001年宇宙の旅』が示したもので最も重大なものは、モノリスの手触りだろう。猿の群れのなかに屹立するモノリスも、宇宙空間に浮かぶモノリスも、その周囲と溶け込むようで溶け込まず、異物としての違和感を常に纏っていた。モノリスだけが、その他の事物と異なった位相にあり、映画のなかに、ただただそのままとんと置かれてしまった立体である。それを理解の内側に置こうとするかどうかの議論は置いておいて、ひとまずそうした立体を描写してしまうのが『2001年宇宙の旅』である。ここを起点として議論を展開させ、モノリスに触れる道を決断したのが『インターステラー』なのではないかと思う。異なる位相・次元のものに、触れるということ*1
 例えば、モノリスとの「距離」は、映画とそれを観る者の「関係」に置き換えられたのだとも言える。5次元空間のなかに3次元空間が出現することも、23年分のメッセージを一気に受信するまでの流れを目撃することも、折り曲げた紙にペンを貫通させてワームホールを説明することも、全て作品の内側に丁寧に描かれた「外側」である。しかしにも関わらず、ともすれば作品に穴を開けてしまう強靭な「外側」の力に依存することなく、作品それ自体の自律性を高めていくことができたからこそ、『インターステラー』は異なる位相にあるはずの内側と外側の接触(の描写)に成功したのではないだろうか。接触を接触足らしめるのは、同一化の欲求ではなく、相互に自律しようとする欲望であるはずだからだ。

◇それにしても、23年分のメッセージの再生には嗚咽をこらえ切れなかった…。こういったヒューマンドラマとしての演出こそがこの作品の核であり、上に書いたように、作品の内部と外部をしっかり分け隔て、後の「接触」に必要な要素になっている。


http://d.hatena.ne.jp/andoh3/20141208より、一部抜粋。

*1:もしかしたら、その挑戦はモノリスに触れようとして火達磨になった『2010年』以来かもしれない