◇非日本語ラップの件、つづき。 GEISHA GIRLSは、その構想段階からすでに、松本人志と高須光聖のなかでは「坂本龍一プロデュースで逆輸入アーティストのラップグループを作る」というコンセプトがあったらしい*1。『ガキの使いやあらへんで』のトーク中に松本人志がそのことを話してから、一気に実現に向けて動き出す。
1994年にシングル『Grandma Is Still Alive』のレコーディングで渡米したダウンタウンは、そこでほとんど初めてラップを聴き、テイトウワのレクチャーを受けてから、その場で一気にレコーディングをするという離れ業を見せている*2。
そこで生まれたうちの一曲が『Kick&Loud』なのだけれども、方言と裏声シャウトがキツ過ぎて、一聴するだけではほとんど何を言っているのか聴き取れない。というか、日本語として受容不可能な域にまで達している。
松本人志によれば、「アマ(尼崎)弁っていうか、大阪弁でもないアマ弁。……アマ弁でもない連れ弁(連れにしか通じない言葉)」であり、つまり仲間内にのみ流通するスラングで構成されている。「アメリカで評価を得て日本に逆輸入されるアーティスト」として、彼らは日本語でも英語でもないラップをする必要があったのかもしれない。それは結果として、ダウンタウンが元々持っている「異国性」なる資質を、あらためて浮き彫りにする作業でもあった。
「アメリカに受ける日本」という視点を一度経由することで、GEISHA GIRLSのラップは、おそらくこの時期の日本語ラップに顕在化していなかったものを提出した。周知の通り、さんぴんは1996年だし、TOKONA-XやTHA BLUE HERB、OZROSAURUSらの台頭よりも前の話である。彼らは地元をレペゼンする意図をもって方言を活用し始めることになるが、GEISHA GIRLSは地方にある種の「異国」を見て、日本語の外側にある言語として方言を活用し始める。
自分たちの言語を異国語として活用することの不自然さは、そのまま日本語ラップの持つ不自然さと同義である。日本語ラップを初めて聞いた人の多くが感じる違和感は、まさにその「日本語でやること」に向けられており、裏返せば、ラップすること自体がすでに異国語を話すことである、とも言えるだろう。
もちろんそこには、そもそも正統な日本語というものからして相対的なものであり、その意味で、自分の話す言語は常に日本語の外側に向けられているという姿勢もあり得る。もしかしたら、日本語ラップに不自然さを感じなくなる瞬間、自分の話す言語の異国語性を発見しているのかもしれない。
もっと言ってしまえば、「〜じゃありませんか」を「〜ジャ、アーリマセンカ」と、「ありませんか」の「あ」に強迫を置くようなものに近く、トニー谷よろしく、日本語を話す外人のフロウのようにも聞こえる。
つまりこれは、日本語を日本語のまま、しかし非日本語話者=「外人」にも音として親しめるように翻訳しているのでもあり、そういった作業をわかりやすく示したのが『It G ma』だった。この頃はもう、アクセントを自由自在に操っている。