web版:ラッパー宣言(仮)

ビートでバウンス 唇がダンス

午前11時。およそ2カ月ぶりの月曜日。

◇今日から息子の幼稚園が新学期を迎える。気づけばセミも鳴いていない。私はしっかりと二度寝を取ってしまった。

◇会社を辞めて形ばかりの開業をして、今年の夏休みは昨年とは違った意味で忙しく過ごすことができた。
 おたまじゃくしを飼い、近所の公園でサイクリングを楽しみ、虫取りゲーム(ボードゲーム)に興じて、絵本を読んだり歌って踊ったりして、立川と諏訪湖の花火大会と多摩動物公園とサファリパークと鉄道博物館に行った。京王線南武線埼京線都営大江戸線と、そして特急あずさに乗った。兄妹の風邪や熱もあった。妻の免許更新もあった。そして仕事もした。
 打ち合わせ等で不可能なこともあるが、基本的には朝食と夕食と風呂の時間をいっしょに過ごす前提で、一日のサイクルが成り立っている。

◇夏休み最後の日に息子は5歳の誕生日を迎えた。娘は奇妙なはいはいで自由自在に移動している。毎日は目に見えて急激に変わっていく。
 息子の鉄道博物館は半年ぶりだが、シミュレータやミニ鉄道などのアトラクション系よりも、車両の展示や鉄道のしくみを解説するコーナーの方が楽しいらしい。
 娘は齢8カ月にして10キロの大台に乗り、妻は手首を痛めた。相変わらずよく笑うことに変わりはないが、その口元には上下2本ずつ、生えかけの歯が光っている。

◇ようやく今月から黒字化するので、あとは目の前のことをこなすだけである。とはいえ、意外とここからの方が大変かもしれない。

◇新宿眼科画廊で行われていた山本浩生展が9月7日に終了した。運営的なものはよくわからないけれど、なんだかんだで結構盛りだくさんなイベントで、アラザルも各人それぞれに楽しんでいた。
 山本作品をこのような展示の形態で見ると、あらためてそのストレートな美しさに驚く。作品の生成過程を括弧に括りやすく、自律性を普通に担保できる作品だと思う。つまり作品という出来事を自分のコンテクストに位置づけて語ることができる。
 おそらく、9/5(月)に行われたトークイベントの議論を延長させていくと、最終的には山本作品の完結性はどこから来ているのかという話になっていったのではないかと予想する。その議論の視点自体は極めて今日的だけれど、実は根底には「美の現出」という大ネタに挑む作品であることを認めているのではないかと思ったりした。そしてそれはすごく正しい視点だと思う。

◇ちなみに、山下望がトークであんなに回せるのかと少し驚いた。トリックスター的な立ち居振る舞いも、彼のちょっと特異な普段の言動とうまく結びついていて、身内としては笑いつつ感心した。

午後7時。蛙を2匹放す。

◇昨夜までおたまじゃくしだったのが、今朝には尻尾がほとんどなくなっていた。息子と蛙になったおたまじゃくしの様子を確認しながら、今日中に放してやることに決めた。
 4歳男児によれば、周囲の環境によって色を変えることができるから「かえる」で、おたまじゃくしはそれが無理だから「かえない」と呼ぶのだそう。

◇結局蛙を近所の田んぼに還したのは、夕食後になった。朝には洗濯機の引き取り、昼は妻の実家で誕生日ランチパーティ、その後息子と明日の準備でブラウニーづくりをしていたら、あっという間に夕食になってしまった。子供の夏休みは1日が早い。
 田んぼにつき、水槽代わりにつかっていた虫かごの蓋を開けるが、蛙たちはなかなか出てこない。もう眠くなっちゃったのかもしれないねと言い合って観察を続けていると、おっかなびっくり息子が1匹の蛙をすくって放してやった。これまで息子は蛙の本も好きだし観察も好きだったが、触れなかったのだ。
 2匹目もすくい出すと、その蛙はすぐには水に飛び込まないで、少しの間虫かごの淵に座っていた。

◇妻は鼻歌の多い人だが、それを普段から聴いている息子にも鼻歌が多い。今朝は『マイ・ウェイ』をハミングしていた。
 妻の方は基本的にメロディをハミングするだけだが、息子の方はたまにオリジナルの歌詞を乗せる。やはりこちらも妻がよく鼻歌でハミングするアンジェラアキの『手紙』という曲だが、なぜか「生ゴミ」という単語だけで一曲成立させたりする。字余りとか字足らずはなまごみ→なまごごみ→なまごみみみみという風に処理していて、ちょっと面白い。

◇娘の方は、おしゃべりが楽しいらしい。父母兄が食卓を囲んで会話をしていると、同席している娘もそこに入ってきて、発話の妙を楽しんでいる。だから我が家は文字通り口数の多い状態が続いている。
 相手の発声を受けて、こちらからも発声する場であるところまでは理解しているらしく、割とインタラクティブなやり取りになっている。それがことばであると認識するのはいつなのだろうか。というかもう認識しているのだろうか。
 発話の妙を楽しむことと、ことばを話すことの楽しみは同根であったことを思い出す。

日本語ラップ批評ナイトに行ってきた。終わり間近に駆け込んだと思ったが、ありがたいことに延長してくれたのでそこから2時間近く観覧することができた。
 延長戦は、日本語ラップに対して批評は何ができるのかというところを出発点に、4人の登壇者が語り合うことになった。たしかに批評は常に対象の外側にあるものなので設定それ自体は頷けるが、とはいえしかし、こうしたテーマは時折、シーンの外側に特権的な「外野」というポジションを獲得することだったり、シーンの人間関係との距離の取り方といった程度の話と混同されてしまう危険を孕む。対象に対する外からの視点を獲得することと個人的な人間関係や立ち居振る舞いの話は当然別の問題だし、あるいは反対に批評対象から反論されない安全圏からの批評などというものも存在しない。身内の発表した作品に批評的な視線を介在させることができるならば、それは理想的なコミュニティを形成し、というかまさにヒップホップはそのようにして動いてきた。
 批評がない状態というのは、ある種のポピュラーミュージックが迷い込む共感か否かで全てが決する世界のことである。ヒップホップは細かいトライブを形成しやすいカルチャーだが、各トライブは常に覇権争いをしていて、それらがひとつの価値観に基づいた統一的なトライブを形成することなど目論んでいない。シーン全体としては共感よりも批評の方が上に立ちやすい傾向にある。少なくとも現在のところは。
 トラックに対する批評であり解釈であるのがラップだし、それに対する批評もまた、例えば楽曲へのディスだったり、あるいは客演だったりといった形で表現される。当然のことながら、批評は文章によってのみなされるわけではなく、そしてまた表現と対立するものでもない。あらゆる創作行為が批評行為を内包している。だから「○○に対して批評は何をもたらすのか」といった問いはたくさんあれど、少なくともヒップホップカルチャーに限っていえば、それに対する回答は、ラップが噴出します、ということでしかなくなってしまう。
 ラッパーと批評家を分割してしまうのではなく、むしろ異分野の同業と看做す方が自然なのではないかと思っている。

アラザルでやってる『ラッパー宣言』という連載は、ラッパーとして文章を書いている。ラップという言語を使用するのではなく、文章という言語を使用して対象との距離を言葉にする。つまり、対象と自分の間にある距離を言葉にすることが批評であり、それはラッパーが与えられた一定時間のヴァースの上で言葉を紡ぐことと同じである。言うだけ野暮だけど、何がラッパー宣言なのかあらためて言うと、文章という言語を使って時間=距離を言葉にしていく私もラッパーなんですよ、ということだったりする。

◇トラックの批評としてラップが乗る。そのラップの批評として更にラップが乗る。

午前2時。ストロングペプシを開ける。

◇ぷしっと音がして、何口か飲んでいるうちに目が覚めてくる。

◇昨夜は20時頃に寝てしまった。結果、変な時間に起きてしまったので、ライティングの仕事をコツコツとこなす。書き方の要領をつかめば、どんな内容のものでもある程度は楽しめる。
 6時ちょっと前に妻が娘とやってきて、7時頃に息子が朝イチのトイレに走っていった。

◇息子の「空手」を見ているからか、娘も私に仕掛けてくるようになった。抱き上げると、一旦両手を大きく広げてから、左右同時に手の平を勢いよく振り下ろす。きえいというかけ声と同時に私の顔に何発か入れた後、歯のない顔でにやっと笑う。耳のつぶれた柔道家と歯のない空手家には気を付けろと、ずっと昔に父が言っていたのを思い出した。
 ちなみに娘は宇良関にちょっと似ている。

◇昨日はダイニングテーブルを買いに八王子へ。我が家はこたつ机を使っていたのだが、息子が少し食べにくくなってきたようなので、我が家も思い切ってテーブル&チェアの生活に切り替えることにした。ちょうど安売りをしていたテーブルがよさげだったので、店に入って現物限りの1セットを購入。
 その後、息子が2歳になる直前まで住んでいた八王子の街を歩く。夜泣きする息子を抱えて歩いた道のりを、家族で歩く。今抱っこ紐に包まれているのは、かつての赤ん坊の妹である。
 駅に向かって歩いているとき、今の住まいのご近所さんとばったり会う。職場がこっちなんですよ、と話していて、私の方は「以前こちらに住んでいたんですよ」と答えた。

◇本日は午前中は仕事に当て、昼食を妻の実家でとった後に、家族全員で代々木公園に向かう。ブラジルフェスとスタジオパークが目当て。息子にとっては京王線の旅と井の頭線が目当て。娘にとっては初の渋谷が目当て。だと思う。
 スタジオパークは楽しんだものの、昼食を食べすぎた私たち一家は、ブラジルフェスはさらっと歩いてすぐに出てきてしまった。妻はなんだか疲れたと言い、人混みを避けたいようだった。私も気疲れしていた。妻がナンパでもされやしないか心配だったのだ。

◇三連休であることを忘れていた。すっかり夏。しかしいつ梅雨明けしたのかわからないまま。

◇非日本語ラップの件、つづき。
 GEISHA GIRLSは、その構想段階からすでに、松本人志高須光聖のなかでは「坂本龍一プロデュースで逆輸入アーティストのラップグループを作る」というコンセプトがあったらしい*1。『ガキの使いやあらへんで』のトーク中に松本人志がそのことを話してから、一気に実現に向けて動き出す。
 1994年にシングル『Grandma Is Still Alive』のレコーディングで渡米したダウンタウンは、そこでほとんど初めてラップを聴き、テイトウワのレクチャーを受けてから、その場で一気にレコーディングをするという離れ業を見せている*2
 そこで生まれたうちの一曲が『Kick&Loud』なのだけれども、方言と裏声シャウトがキツ過ぎて、一聴するだけではほとんど何を言っているのか聴き取れない。というか、日本語として受容不可能な域にまで達している。

 松本人志によれば、「アマ(尼崎)弁っていうか、大阪弁でもないアマ弁。……アマ弁でもない連れ弁(連れにしか通じない言葉)」であり、つまり仲間内にのみ流通するスラングで構成されている。「アメリカで評価を得て日本に逆輸入されるアーティスト」として、彼らは日本語でも英語でもないラップをする必要があったのかもしれない。それは結果として、ダウンタウンが元々持っている「異国性」なる資質を、あらためて浮き彫りにする作業でもあった。
 「アメリカに受ける日本」という視点を一度経由することで、GEISHA GIRLSのラップは、おそらくこの時期の日本語ラップに顕在化していなかったものを提出した。周知の通り、さんぴんは1996年だし、TOKONA-XTHA BLUE HERB、OZROSAURUSらの台頭よりも前の話である。彼らは地元をレペゼンする意図をもって方言を活用し始めることになるが、GEISHA GIRLSは地方にある種の「異国」を見て、日本語の外側にある言語として方言を活用し始める。
 自分たちの言語を異国語として活用することの不自然さは、そのまま日本語ラップの持つ不自然さと同義である。日本語ラップを初めて聞いた人の多くが感じる違和感は、まさにその「日本語でやること」に向けられており、裏返せば、ラップすること自体がすでに異国語を話すことである、とも言えるだろう。
 もちろんそこには、そもそも正統な日本語というものからして相対的なものであり、その意味で、自分の話す言語は常に日本語の外側に向けられているという姿勢もあり得る。もしかしたら、日本語ラップに不自然さを感じなくなる瞬間、自分の話す言語の異国語性を発見しているのかもしれない。

◇非日本語話者に向けた日本語のラップグループであるGEISHA GIRLSは、しかし、コンセプトだけが先行するフェイクではある。
 翻訳可能な日本語を駆使するKOHHとは逆に、翻訳不可能な日本語だけでリリックを作るのも、日本での洋楽受容に即した結果だったりもする。とはいえ、ストリート志向を打ち出したさんぴんが、後発世代からフェイクと揶揄されることがなかったわけではない。これはもちろん、本質的にリアルかフェイクかという話ではなく、オリジネイターにはコンセプト先行型のアーティストも少なからずいるという話なのだが、結果的にそういう側面から見ても、非日本語ラップ日本語ラップの鏡として見ることができるように思う。

*1:高須光聖『御影屋』(ビクターブックス)

*2:『THE GEISHA GIRLS SHOW』(幻冬舎

午前6時。娘の寝癖を梳かす。

◇髪が長いので、寝癖もすごい。髪を整え、女の子らしいこぎれいな服に着替えて座らせると、酒飲みのようなげっぷをして娘が微笑んだ。

◇息子に空手の「突き」を見せてやると、私のあだ名が「空手くん」になった。息子を「空手キッド」と呼ぶと、喜んで妹に空手の「突き」のようなものを披露する。食事中も集中せずに空手キッドに成り切っているので、妻から「ごはん中は空手禁止」というお触れが出た。

◇子供が二人になって思うことは、会話が家のなかの至るところで同時多発するということ。まだ娘は言葉を話さないけれども。
 子供がひとりのときは、話題はひとつであった。そしてひとりっこで育った私は、3人兄弟の妻の実家で、食事中、話題が同時多発する様子に、昔はついていけなかったことを思い出した。

◇4月末に仕事を辞め、6月にフリーとして開業届けを出してから、なんとなく仕事をポツポツ受け始めている。とはいえすぐに現金になるものがないので、何かしなければならない。

◇今のKOHHからは、これまで日本語ラップシーンにはなかったプロップスを感じる。英語圏で日本語のままラップをして評価を勝ち取り、そのことがまたさらに日本での評価につながるという。
 もちろん、これまでもShing02やkojoe、DJKrush、nujabes……挙げればキリはないけれども、海外で評価を勝ち取ってきたアーティストは居た。けれど、それらは英語ラップやトラックメイクだったりと、やっぱり言語の違いはオーソドックスな形で乗り越えようとしていた。いわゆる逆輸入アーティスト的評価はありつつも日本では「洋楽」的な評価になったし、日本語ラップシーンでの彼らの評価は、やっぱり日本語ラップシーン内の活動において評価されていたと思う。
 KOHHのラップは、私は『we good』で初めて知ったけれども、なんというかビデオの撮り方まで含めて、ダイレクトに向こうと繋がってる印象を受けた。無理に詰め込み過ぎない符割で、自然にビートを乗りこなす様子はやはり独特だった。耳が慣れないとラップは聴き取りづらいものなのだろうと思うけれど、KOHHとMONY HORSEのラップは初めて聴いた人でも充分に聴き取れるんじゃないかと思う。
 とはいえ、このラップの系譜は、例えばSCARSのA-thugとかSTICKYとか、主にハスラーラップをやってた人たちに起源を求めることもできるんだろうけれど、もう少しKOHH達は乗り方が英語っぽかった。それはラ行をRで発音するとかそういうことではなくて、アクセントがかなり効いているという意味で。

 もっと言ってしまえば、「〜じゃありませんか」を「〜ジャ、アーリマセンカ」と、「ありませんか」の「あ」に強迫を置くようなものに近く、トニー谷よろしく、日本語を話す外人のフロウのようにも聞こえる。
 つまりこれは、日本語を日本語のまま、しかし非日本語話者=「外人」にも音として親しめるように翻訳しているのでもあり、そういった作業をわかりやすく示したのが『It G ma』だった。この頃はもう、アクセントを自由自在に操っている。

 KOHHや318がどの辺りから非日本語話者を明確にターゲットにしたのかはわからない。ただ、この時期、KOHHの持っていた特徴が、色々な形で先鋭化していく。
 アクセントの操作以外にも、テーマの普遍化/極大化、押韻というよりもフレーズの繰り返しといったテクニックが次々と生み出されている。テーマの極大化は、おそらく翻訳されることを前提としたことによって起きた現象で、言語的なコンテクストを外しても伝わるための工夫だろうし、フレーズの繰り返しはコール&レスポンス対応だったり異国語を聴き取らせるための工夫だろう。


 KOHHのこうした一連のラップは、日本語を駆使しながらも、非日本語話者に通じるラップとして磨き上げられたものなのだと思う。元々日本語ラップのなかにあった要素をグローバライズすることで成り立っていて、それは当然、KOHHというキャラクターのマネジメント能力が優れているだけではなくて、何よりもまずKOHH自身の身体能力に依るところが大きい。
 仮に、日本語話者に向けた日本語のラップを「日本語ラップ」とするならば、非日本語話者に向けた日本語のラップを「非日本語ラップ」と呼ぶこともできる。もちろん、日本語でなされたラップは全て日本語ラップなので、これは一時的な分類だけれども、例えばこういう風に分けると、非日本語ラップの系譜で見えて来るものもあるんじゃないだろうか。

◇と、非日本語ラップという系譜を無理矢理作ってしまうならば、オリジネイターとして浮かべたいのがGEISHA GIRLSだったりするのだけれども、その話はまた別の機会にするつもり。

◇ちょっと個人的に、webメディアを作りたいと思っている。あんまりおっきいものじゃなくて。あと自宅から徒歩1分のところに事務所を構えられるだけの収入を得ようと思っている。家賃2万円で事務所利用可能な物件があった。
 

午後2時半。自転車の往復。

◇娘を抱えながら、息子の自転車が行ったり来たりするのを眺めていた。

◇一家全員風邪気味である。
 水曜日から幼稚園を休んでいる息子は、比較的元気ではあるものの、咳と鼻水が長引いている。今日は微熱もちょっと出ていたため、自宅静養を選択。でもどうしても自転車に乗りたいということで、自宅前で30分だけ楽しんだ。他の家族は全員でそれを見守る。時折自転車を停めて見学をしている私達にタッチをしてくるのだが、妻が出した左手に絆創膏を認めると、反対の手を出せという。タッチをするときに痛くなってしまわないようにとのこと。最近はそういう行動が増えてきた。
 見学中、私は蚊に刺された。

◇兄が自転車を乗りこなす様子に触発されたのか、妹の方は黙々と寝返りに挑戦している。息子が鼻歌まじりに自転車を漕ぐ代わりに、娘はたくましいかけ声とともに体を返す。基本的な体の動きが全て直線的というか、グリッドが粗いので、ふと電池が入っているのではないかと思うことがある。そして寝返りが成功するたびに、またかけ声に似た声をあげて笑う。

◇音楽それ自体が自律しているという考え方はコンサートホールという集中的に音の美を享受する空間を用意したりもするわけだけれども、それはやっぱり記譜を経た音楽だからだろう。
 ヒップホップのような音楽は、便宜上リリックを書き留めたりもするわけだが、基本的にその通り発声することはなく、50音に明確に区分されない曖昧な音を使ってラップする。そのとき、文字上では異なる母音を持った単語同士であっても、無理矢理押韻してしまったりする。アメリカの場合はもっとそれが激しく、名詞の末尾に「~ly」をくっつけて他の副詞や形容詞と踏むことすらあって、ようするにヒップホップは記譜と限りなく無縁な音楽といえる。
 ヒップホップは、音楽的な評価とは別の評価軸を常に用意していて、同じ音楽でも鳴らされる場所や状況によって全く異なる価値を生む。もちろん音楽的な——普遍的な評価をそこに与えることも可能だろうが、その一方で極めて即時的な評価も下され続ける。これはおそらく、鳴らされたそばからすぐに消えていく音声、物質としての音であり、本来消えていく筈の音が記録されてしまう、ということの二重性みたいなものなのかもしれない。

◇文字の記録がもたらす近代化と、音声の記録がもたらす近代化を比較するにあたって、「エクリチュール」と「存在の声」を咀嚼することが必要になってくるのだろうなと思っている。だから東浩紀を読む。

クラフトワーク好きの息子が、iPodを操作して居間を盛り上げている。

父と母と妹を呼び寄せ、自らもステップを踏むなど大変盛り上がっているわけだけれども、全然静養にならない。
 案の定、夕方疲れてからはささいなことで泣き出し、妹に助けを求めていた。娘はとにかく嬉しそうに笑顔を返すだけである。

午後5時。寝起きの娘と妻の会話。

◇声がほとんど一緒。

◇朝7時、息子は従兄弟の運動会を観るために、祖父母に連れられて出掛けていった。妻と5ヶ月になる娘と、3人で過ごす土曜日はとても穏やかで、あまり週末のような気がしなかった。

◇今年の春から幼稚園の年中になった息子は、集団生活のなかで、自分を相対化することを覚えた様子。相変わらず幼稚園が楽しくて仕方がないというのは変わらないようなのだが、しかし最近、給食を食べるのが遅いとか、あいうえおが読めないとか、そういったことがストレスになっているようである。
 本人が一体どのような気分で言ったのかは不明だが、あるとき別のことで叱られている最中、突然「なんにもできないんだよう」と言って泣きだしたことがあった。これには妻も私も少なからずショックで、こんなに幼いうちから劣等感のようなものを感じてしまうのかと、いたたまれない気持ちになった。しかしよくよく考えてみれば、これは「できないこと」が自覚できているという意味でもある。その意味で、実はわかりやすくチャンスにもなり得るものかもしれない。
 本人に周囲がしてやれることは、具体的な体験までの誘導だけである。「できないこと」が「できること」に変化する瞬間に訪れる喜びそのものは、本人が自力で発見するしかないのである。息子はすでにそのコードまでは発見しているので、その意味で私達のやるべきことは明確であった。そして息子は、「できないこと」に戸惑いながらも、別にそれを遠ざけようとしているわけでもないのである。
 私達夫婦は、ちょうど今、息子が嬉々としてチャレンジしている自転車のことを思い浮かべた。自転車はそうした知的な喜びに満ちた乗り物なのである。自転車の補助輪を早い段階で外した息子は、そのことが大きな自信になったようで、今日も眠りに落ちる直前まで自転車のことばかり話していた。

◇現在0歳児である娘は、知らない人に話しかけられても堂々と笑顔を返し、あまり泣いたり怒ったりということもない。常に抱っこをしていなければ怒って泣き出していた同じ頃の兄とはまるで違っている。時折姿勢を変えたいときに不満の声をあげるくらいで、いつも基本的に機嫌よく過ごしている。両親や兄のちょっかいにも余裕の笑顔で応え、立派な体格でどっしりと構える娘を見ていると、0歳児を一括りにすることの難しさを実感する。
 自分の子供をみているくらいで「一般的な子育て」を想像することなど不可能だし、ひいてはそれは「一般的な家庭」など想定できないことに連なっていくのだろう。

古谷実の新連載『ゲレクシス』は、ここに来てようやく様子が見えてきたというか、古谷実流のファンタジーor冒険譚になっていく気配が濃厚に。

◇しかしまずいのは、『サルチネス』は『僕といっしょ』の続編だっていう話と、それがどうやって帰結したのかをまとめる前に、『ヒメアノ〜ル』の映画化があって、ここに来て新連載……。古谷実論を進めなければ。

コーエン兄弟『バートンフィンク』。音とその聴取という問題を考えるうえでも良い材料になるような。
 これがコーエン兄弟のリメイクした『シャイニング』だというのは以前ここにも書いた記憶があるけれど、音に対するアプローチも同様だと思う。劇中鳴っている音が、ストーリー上で実際に鳴っている「客観的な音」なのか、主人公にしか聞こえていない「主観的な音」なのか、不明瞭になっているという部分も共通している。『バートンフィンク』の場合はおそらく、両者の区別の曖昧さそのものをかなり誇張/強調していて、それは心理的効果を狙うというよりはむしろ、明確にテーマとして前に出してしまったような気がする。

 主人公があのホテルで聞いている音は、すべてがどちらともつかない。隣室からは笑っているのか泣いているのかわからない声がする。反対側の隣室からはアベックの営みが聞こえる。仲良くなった客との会話ではつい興奮してしまい、相手の話を遮って自分の声を張り上げてしまったりもする。主人公がある女性と一夜をともにするとき、その声は部屋の排水溝から下水道へと落ち、ホテルの生活音の一部として回収されていく。その直後、主人公は決定的におかしな事態に巻き込まれる。
 私達は日常、ノイズを含んだ音のなかから、なんらかの意味役割を付け加えられる音にのみ注目し、それを声として扱っている。その意味ではフロントベルの音も広義の声(「誰かいませんか」という言葉を持っている)であるし、アベックの営みは間違いなく声であるだろう。しかしそのように声と明確に位置づけられない音が、印象的に描かれる。ひとつは、隣りの客の「泣いているのか笑っているのかわからない声」であり、もうひとつが「下水道にこだまする主人公の行為中の声」である。これらは明確な意味役割を担った声としては機能せず、単なる音でしかない。主人公は最終的に「because you didn't listen」と指摘されるが、そのとき彼は、音を自分勝手に都合のいい声に変換してきたことに気がつくのである。
 彼はそうして、部屋に飾られた風景のなかに閉じ込められてしまう。音のない絵のなかで、永遠に続く波の音を聴き続ける。

◇昨日シャワーを浴びていると、トイレである筈の隣室から4歳児の声が聞こえてきた。

◇音楽の外側から音楽にアプローチする方法論として、ヒップホップは有効なのだろう。ダウンタウンGEISHA GIRLSがヒップホップの様式を借りたことにも納得がいく。
 GEISHA GIRLSとほぼ同時期にスタートした「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」もまたその実践だったのだろうけど、それのひとつの完成型が、20周年特別番組内で披露された『Wow War Tonight 〜時には起こせよムーブメント〜』だったんじゃないか。

 この番組は、非音楽番組としての「トーク」パートと、音楽番組としての「演奏」パートを厳格に区別してきたが、それが融解してしまった瞬間だったのかもしれない。ただのカラオケ大会だが、テレビ芸能史、もしくはJ-POP史として観ると、強度を持ってしまう。

午前9時。二度寝の妻。

◇息子は小学生の従兄弟の学芸会を観に、祖母と電車の旅に出た。妻は朝早くに息子を実家に連れて行き、帰宅するなりすぐに布団に潜り込んだ。入れ替わりに遅く起きた私は、久しぶりに妻の朝の寝顔を観た。

◇更新していないうちに、気付いたら息子は4歳になり、近いうちに娘も生まれそうになっている。

◇ここまでしっかりハマる理由がやっとわかった。

 加山雄三とヒップホップをつなぐレコード。この一曲が示すのは、単純に共通するメディアを持つという意味だけではなく、「もしもロック(ユースカルチャー)がなかったら」という仮定を可能にする。ロックの目指すところは、やがてハイファイなCDというメディアに結実し、そしてここ日本においてCDと蜜月を過ごしたのはJ-popであった。
 北斎漫画と今日のマンガの間に戦争が挟まるのと同じように、日本の歌謡曲とヒップホップの間にJ-popを挟まずに語ることは不可能である。このpunpeeのリリックにB'zの引用が含まれているのは、けして偶然ではない。